ハードディスク1GBで80万円の時代
──書籍を通して1990年代のレコーディング環境も垣間見えました。1stアルバム「HIDE YOUR FACE」を制作していた90年代前半はコンピュータのクラッシュが頻繁に起こっていたようで。
僕らの世代でコンピュータを使っていた人は、グラフィックとかも含めてどのジャンルの人でも経験してたはず。最近は何をやっても安全にできるからいいんですけど、昔はデータが何回消えたかわからないし大変でしたね。データをバックアップするハードディスクもすごく高くて。今なら1GBのUSBメモリなら100円くらいで売ってるじゃないですか。その時代、1GBの中古ハードディスクを80万円で買ってたんですよ(笑)。すごい時代でしょ?
──簡単には買えない金額ですね。
25年くらい前のことだけど、当時はめっちゃくちゃ高かった。バックアップをするにもいらないデータを消さないとすぐ容量がいっぱいになっちゃう。そういう意味では大変な時代でした。とは言え、その中でやりくりしながらやっていたから、実はクリエイティブの妨げになるようなことではなかったです。だって3rdアルバムの制作時でも、レコーダーは確か16トラックでしたよ。デジタルとアナログをリンクさせながら、16トラック内でエディットして、テープに戻して、ということを繰り返すみたいな。まあ3rdアルバムでも20年前の話ですから。
──確かに。
当時は作り手の発想がコンピュータでできることの先を行っていたから、発想を優先して模索していくことが多かった。ここ数年コンピュータが発達しすぎて、その中でやれることが完結しちゃうんですよ。最近はそういう枠で物事を考える人が多くて、クリエイターと話をしていると、コンピュータの中でできることをやろうとしてるなって感じる。僕らの若かった頃はコンピュータでできることが少なかったから、発想のほうが勝っていて。「こんなことをやってみたい、だったらこうやってみよう」って考え方だったんですね。でも今は逆ですよね。「こういうことができるから、じゃあこうしよう」みたいな。だから飛び抜けた発想のものがあんまり出てこなくなったんじゃないかなって気はします。
──1stアルバムを制作する際の試行錯誤があったからこそ、2ndアルバムの「PSYENCE」(1996年9月発表)について「最短期間、最少人数で最高のアルバムができた」とhideさんが自信を持って発言することができたんですね。
そうですね。この本の内容は1stアルバムの時期にあった出来事がほとんどです。その中で培ったものがずっとあとにつながっていったので、「HIDE YOUR FACE」を制作していた頃の出来事をすごく細かく書いたんです。僕もhideもあのアルバムの制作過程で大きく成長できたから。
──1stアルバムのレコーディング時のエピソードのページには、「DICE」の歌詞に書き込みがされたメモも掲載されています。
ボーカルテイクを組み合わせるときのメモですね。ただこれ1枚で決まっているわけじゃなくて、何回もどのテイクがいいかを選別していくから、あの写真は何枚もメモがあるうちの1枚。歌がうまいボーカリストだったら3回くらい録って、組み合わせていくんだけど、hideの場合はすごく細かくやってました。特に1stアルバムの頃はまだボーカルスタイルが確立できていなかったから。3rdアルバムのときはここまで細かくやってないけど、「DICE」はボーカルのOKテイクを1文字単位でセレクトしてました。そもそも1テイク目はこういうふうに歌っていて、2テイク目は……って全部覚えてないとどれがいいのかジャッジができないし、本当に大変だった。
日本とアメリカを行ったり来たり
──本の装丁は、hideさんが音楽レーベル「LEMONeD」を立ち上げた時期からhideさんの一連のアートワークを手がけているユニットt.o.Lによるものです。
t.o.Lは「PSYENCE」以降、要所要所で一緒にやってきたから、本のデザインをどうするかってなったときに「だったら彼らにしたい」と。
──LEMONeDは当時無名だったZEPPET STOREとの出会いがきっかけでhideさんが立ち上げたレーベルでした。hideさんは音楽制作で多忙を極める中、いろいろなアクションを起こしていました。
ホントに。この本を読んでいるとhideも僕も本当に忙しかったことがわかると思う。若いってすごいですね(笑)。今もバタバタだけど、当時はもっとがむしゃら感があった。
──書籍ではアメリカと日本を行ったり来たりしていた時期が特に大変そうでした。
hideのソロに加えて、zilchが始まって、X JAPANのツアーがあった1995年頃ですね。あの頃は本当に忙しくて、移動の連続で何がなんだかわからなくなってた(笑)。zilchは拠点がアメリカだったんだけど、なんであんなに急いで進めてたんだろうな? そのあと結局1年くらい遊んでたのに(笑)。スケジュール的にいろいろあって仕方なかったんだろうけど。
──zilchのアルバム「3・2・1」は結果的に、hideさんが亡くなったあとの1998年7月にリリースされました。
そう。完成してリリースするまでの間も1年くらい空いてるんですよね。
──hideさんの生涯を振り返ったドキュメンタリー映画「JUNK STORY」の中で、LUNA SEAのJさんが「このアルバムがオンタイムで出ていたら、音楽の世界地図は変わっていたんじゃないか」とおっしゃっていました。
うんうん。Jはちょうどzilchで入ってた同じスタジオにソロ作品のレコーディングで来てたんです。それでJとzilchのメンバーが仲良くなったから、印象に残ってるのかもしれない。
──お酒やタバコにまつわる話はhideさん自身も過去に語っていましたが、本の中ではhideさんが酔っぱらって“怪獣ヒデラ”に変身した際のエピソードも書かれていますね。
今だったらそれこそ炎上騒ぎですよ。自分もお酒を飲んでいたのに意外と覚えてるもんだなって思いますけど、あれだけのことをやられたら……(笑)。
──そういうhideさんの姿を見て、I.N.A.さんは心配に思うことが増えていたようで。
もう最後のほうは一緒に飲みに行かなくなりましたね、暴れそうな予感がするときは。最初は笑っていられたけど、だんだんひどくなっていったからなあ。さすがに笑っていられなくなった。基本的にそういう人だったんだって思うけど……なんでそうなのかは本人にしかわからないところですね。
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とにかくインターネットにハマっていた
書籍
- I.N.A.(hide with Spread Beaver)
「君のいない世界~hideと過ごした2486日間の軌跡~」 - 2018年4月28日発売
ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス -
単行本 1728円
- 内容
-
- 君のいない世界
- プロローグ
- 出会い
- ロサンゼルス
- ハードコアテクノくん
- 酒と泪とヒデラと消防車
- hideソロプロジェクト始動
- 2枚のシングル
- アンセム
- LAの青い空 その壱
- ほんとにあったヤバい話
- LAの青い空 その弐
- 未来人の片鱗
- LAの青い空 その参
- DON'T PANIC
- ギブソン レスポール
- 過酷な日々
- HIDE YOUR FACE
- LAの青い空 再び
- hideとzilchとX JAPAN
- PSYENCE
- 3・2・1
- 時代の終焉
- hide with Spread Beaver
- 未来人
- エピローグ
メモリアルライブイベント
- hide 20th memorial SUPER LIVE
「SPIRITS」 -
2018年4月28日(土)
東京都 お台場野外特設ステージJ地区OPEN 10:00 / START 11:30 / END 19:00(予定)
出演者
MUCC / ZEPPET STORE / OBLIVION DUST / D'ERLANGER / BUCK-TICK / hide with Spread Beaver(ゲスト:PATA) -
2018年4月29日(日・祝)
東京都 お台場野外特設ステージJ地区OPEN 10:00 / START 11:30 / END 19:00(予定)
出演者
J / 氣志團 / defspiral / ZIGGY / 布袋寅泰 / hide with Spread Beaver(ゲスト:PATA)
献花式
- hide Memorial Day 2018~献花式~
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2018年5月2日(水)神奈川県 CLUB CITTA'
ボックスセット
- 「hide 1998-Last Words-」
- 2018年5月2日発売 / エムアップ
-
[6CD+DVD+BOOK]
14904円
MUCL-00003
1998年春。hideが自ら語った最後のストーリー。永遠のメッセージを完全コンプリート。
映画
- hide 20th Memorial Project Film
「HURRY GO ROUND」 - 2018年5月26日(土)全国公開
あの衝撃の日から20年。なぜ彼は時代を超えても生き続けるのか。その真実に迫った究極のドキュメンタリー。
トリビュートアルバム
- V.A. 「hide TRIBUTE IMPULSE」
- 2018年6月6日発売 / UNIVERSAL J
-
[CD] 3240円
UPCH-2162
hideの音楽のスケール同様、幅広くバラエティに富んだアーティストやバンドによるトリビュートアルバム。
- I.N.A.(イナ)
- hideの共同プロデューサー兼プログラマー。X JAPANのサポートメンバーとして日本のロック界を裏側で支えてきた音楽プロデューサーで、さまざまなアーティストのアレンジなどを手がけている。現在は東京・IID 世田谷ものづくり学校にスタジオを構え、音楽ワークショップ「電脳音楽塾」を展開している。