ハナレグミ×仲野太賀|曖昧さから浮かび上がるリアル 言語化できない感覚を追い求める2人の対話

音楽や映画が人に寄り添うのって大事な役割だと思う

仲野太賀

仲野 僕も誰にも見向きもされなかった時代が10年以上あって。ようやく俳優として認めてもらえるようになったのが、ここ3、4年で、それまでは本当につらかったです。ただ、仕事には結び付かなかったけど、その間にも映画はどんどん好きになっていったんですよね。現実から逃れられる場所が映画館だったんです。自分が苦しめられているはずなのに、一方では救いになっていて。変な話なんですけど、そうやって自分の目指す方向がどんどん絞られていったというか。自分の好きなものをとことん信じてやるしかないみたいな気持ちにはなりましたね。

永積 「泣く子はいねぇが」と「すばらしき世界」で太賀くんが演じていた役にも、そういう熱さがあるよね。迷ったりしながら、何か熱いものに衝き動かされてる感じ。映画を観ていて自分の中の乾いていた部分に、その熱さが流れ込んできた感覚がある……俺、今47歳なんだけど、やっぱり歳を重ねるとどんどん声が変化していくんだよね。

仲野 そうなんですね。

永積 うん。肉体が変化していくのはしょうがないんだけど、前は普通に出せていた声が40歳ぐらいを境に突然出なくなった。とあるフェスに出てるとき、ライブの本番中それに気付いて。それで「ヤバい、終わったかも!」って気絶するぐらい焦ったわけ。

仲野 それは焦りますよね……。

永積 そこから体のこととか音楽のことを改めて真剣に考えるようになって。そんな中で自分よりも歳上の森山良子さんとか、玉置浩二さんとお会いする機会があったんだけど、いろいろ話を聞いてるうちに、「ここから熱くなっていくことがありそうだな」と思えるようになったんだよね。今のこの肉体を使って表現できることがまだあるはずだって。今の自分の熱くなりたい部分に、太賀くんの演じていた“彼ら”が醸し出すソウルみたいなものが注ぎ込まれたんだろうね。

仲野 すごくうれしいです。自分が出ていた作品が、永積さんの今の気持ちに寄り添えるようなものになっているとしたらとても光栄ですし、僕自身、不安で屈折していた時期にハナレグミの曲を聴いて何度も救われてきたので。永積さんの歌声が何者でもない自分にそっと寄り添ってくれたような気がして。音楽や映画がそうやって人に寄り添うのって、すごく大事な役割だと思うんです。

左から永積崇(ハナレグミ)、仲野太賀。

親父が毎日歩いている道が光り輝いて見えてきた

永積 今回の「発光帯」というアルバムは、コロナ禍が本格化した不安な時期に作り始めたんだよね。去年の春先、ふと窓から外を見たら日中の光がすごくきれいなことに気付いて。それまでだったら特に気にしなかったと思うんだけど、「なんで、こんなにきれいなんだろう」としみじみ思っちゃってさ。それでこの日常を記録しておこうと思って、毎日写真を撮るようになった。ずっと家にいるから日にちの感覚もなくなっちゃって、そういう状況で音楽の制作をするのってすごく苦しくて。カメラって、瞬間瞬間を1つ形として写真に刻み込めるでしょ?

仲野 そうですね。

永積崇(ハナレグミ)

永積 一時期それに浮き輪のようにしがみついてる自分がいた(笑)。で、あるとき実家に帰ってファインダー越しに近所の風景を眺めたら自分が子供の頃から見覚えのあるものと新しいものが混在していることに気付いたんだよ。

仲野 今は新しいものと古いものが共存していますよね。

永積 うちの親父はもう80歳を超えてるんだけど、いまだに同じ道を通って毎日仕事に行ってるの。世の中や景色が変わっても、親父は毎日ここを歩いてるんだなと思ったら、その道が急にピカーッって光り輝いて見えてきて。なんか拝みたくなる感じっていうか。

仲野 その道はずっと変わらず何年も同じ場所にあったわけで、たぶん永積さんご自身が立ち止まったからこそ、光に気付くことができたのかもしれませんね。確かにその時どきの心境によって、風景の見え方って一気に変わりますよね。

永積 僕の実家は東京の郊外にあるんだけど、小学校の社会の授業でドーナツ化現象というのを教えてもらったとき、教科書の図の中で自分の家がドーナツの輪っかの部分にあるというのがすごく面白いなと思って。普段光り輝いてる都心が休日になると空洞になって、今度は郊外が光り輝くっていう。それをふと思い出して、「発光している帯」っていう意味で「発光帯」っていうタイトルを考えたんだよ。

仲野 そういうことなんですね! 僕は「発光する声帯」かと思っていました。

気付いたら光に吸い寄せられるように写真を撮っている

永積 太賀くんも写真を撮るのが趣味なんだよね? 写真はもう子供の頃から?

仲野 はい。地元の友達が写真店の息子なんですけど、僕は両親が共働きだったんで、いつもそのお店に預けられていたんです。そこで作業している大人たちを見て、カッコいいなと思って。それで写真に興味を持って、小学6年生のときにサイバーショットというカメラをお年玉で買ったんです。

永積 そうなんだ。

仲野太賀

仲野 その後、役者の仕事をするようになって映画をたくさん観るようになったんですけど、2000年代初頭の日本映画って、なぜか劇中にフィルムカメラがよく登場してたんですよ。西川美和監督の「ゆれる」でオダギリジョーさんがフィルムカメラを使っていたり。そこで映画のビジュアルとカメラとフィルムっていうのが自分の中でカチっと重なって、中学生のときにフィルムカメラを買ったんです。それ以来ずっとフィルムカメラを使ってます。好きなものをパシャパシャ撮っているだけなんですけど、気付いたら光に吸い寄せられるように写真を撮っている自分がいて(笑)。永積さんはいつからカメラをやられてるんですか?

永積 高校生くらいの頃かな、友達の間でカメラブームみたいなものがあってさ。「Olive」っていう女性誌があったんだけど、その雑誌に出てくるおしゃれな女の子たちがフィルムカメラを首から下げてたのを真似したりしてた。