ハナレグミ×仲野太賀|曖昧さから浮かび上がるリアル 言語化できない感覚を追い求める2人の対話

ハナレグミが約3年半ぶりとなるニューアルバム「発光帯」を完成させた。音楽ナタリーでは本作のリリースを記念して、ハナレグミが「今一番話してみたい人」だという俳優・仲野太賀との対談を実施。表現に向き合う姿勢から共通の趣味であるフィルムカメラの話題まで、じっくりと語り合ってもらった。

特集後半にはニューアルバム「発光帯」に関するハナレグミのソロインタビューを掲載。内省的な雰囲気があった前作「SHINJITERU」から一転、開放的なムードが全編を覆う本作「発光帯」はいかにして生み出されたのか。コロナ禍における制作環境やシンガーとしての意識の変化など、さまざまな角度から作品の背景に迫る。

取材・文 / 望月哲 撮影 / 笹原清明
スタイリスト / 石井大(仲野太賀)
ヘアメイク / KEI(ハナレグミ)、高橋将氣(仲野太賀)

ハナレグミ×仲野太賀 対談

左から永積崇(ハナレグミ)、仲野太賀。

「泣く子はいねぇが」を観終えて、
しばらく椅子から立てなくなった

──今回対談を企画するにあたって、永積さんに今一番話してみたい人を聞いたところ、真っ先に名前が挙がったのが太賀さんだったんです。

仲野太賀 いやあ、うれしいです。

永積崇 「太賀くん以外は考えられない!」って一点押しで(笑)。迷いなく名前を挙げさせてもらいました。

仲野 ありがとうございます。僕が出ている映画を観てくださったと聞きました。

永積 もちろん! 「泣く子はいねぇが」と「すばらしき世界」を立て続けに観て、「この人はいったい何者なんだろう!」って。

仲野 ええ!(笑)

──永積さんが太賀さんが出演する映画を観ようと思ったきっかけは?

永積 ここ最近、never young beachの安部ちゃん(安部勇磨)と仲よくしてるんだけど、彼から「仲のいい俳優さんがいるんですよ」って教えてもらって。太賀くんは、安部ちゃんと友達なんだよね?

仲野太賀

仲野 はい、よく遊んでます(笑)。

永積 それで気になって映画を観たら、存在感がすごくて。僕は家にテレビがないから、ドラマのほうはちょっと観れてないんだけど。

仲野 でも、映画を観て興味を持ってもらえるのはすごくうれしいです。

永積 そうなんだ。映画とドラマっていうのは思い入れの部分で違うものなの?

仲野 もちろん演技をするうえでは変わらないんですけど、昔から映画が大好きなので。僕は中学生からこのお仕事をやらせてもらってるんですけど、長い間全然仕事がなかったんです。映画俳優に憧れてがむしゃらに仕事を続けてきたので、映画を通じて自分の存在を認識してもらえたことが、とにかくうれしくて。

永積 太賀くんには何か独特な雰囲気があるよね。「泣く子はいねぇが」も「すばらしき世界」も、特に派手な役を演じているわけではないじゃん?

仲野 そうですね(笑)。

永積 でも、知らない間に太賀くんの役に惹き付けられて、自分自身を重ね合わせてしまうというか。「あれ? この感じ、どこかで味わったことがあるぞ」みたいな。特に「泣く子はいねぇが」は、劇中の男女の間に漂うぬるい空気感だったり、主人公の人としての弱さだったり、自分自身の感覚や記憶と重なるところが多くて、観終わったあとに呆然として、しばらく椅子から立てなくなった(笑)。すぐ街に出たくない、しばらく余韻に浸っていたいあの感じをひさびさに味わったよ。

仲野 超うれしいです。

観る人と作品をつなげられるようなお芝居をしたい

永積 「泣く子はいねぇが」では、演じるにあたって自分の中で何か思い描いていたこととかあったの?

仲野 「泣く子はいねぇが」に限った話でもないんですが、僕は自分が生きてる世界と地続きになっているような物語に共感を覚えるんです。SFだとか突飛な世界観の作品だとしても、登場人物が抱えている思いに共感できる部分があれば、それはきっと日常と地続きになると思うし。そんなふうに観る人と作品をちゃんとつなげられるようなお芝居をしたいなと思っていて。映画って確かに作り物ではあるんですけど、なるべくそこに真実があるように自分から役にアプローチしていくようにしています。「こういう人って本当にいるかもしれない」と観た人に思ってもらえるように。

永積 役者としての感覚が身に付いたのって天性のものなのかな。太賀くんはお父さんも役者さん(中野英雄)だよね。家庭環境が影響したところはある?

仲野 それが意外になくて。僕が物心付いた頃、父親はVシネマをメインに仕事してたので。子供はVシネマ観ないじゃないですか(笑)。

永積 (笑)。

仲野 なので直接的な影響はあまり受けていないと思います。「父親の姿を見て役者を目指した」みたいな話が美しいと思いますけど、自分はそうではなくて(笑)。でも家の中で交わされる会話は演技の話だったりして、役者という仕事自体は身近だったんです。ドラマや映画も親と一緒に観ていましたし。普通の家庭と違って、うちには会社に勤めたり大学に行ったりしている人が誰一人いなかったので、むしろそっちのほうが険しい道に感じたのかもしれないです。そういう意味では多少、家庭環境が影響してるのかもしれません。ちなみに永積さんはどういうきっかけで歌に興味を持ったんですか?

永積 僕は小さい頃から単純に歌を歌うのが好きだったっていう(笑)。うちの親はまったく違う仕事をしていて。

仲野 音楽系ではないんですね。

永積 うん。流行ってる歌を普通に聴いてる親だった。僕は家族みんなで音楽を聴いてる景色がすごく好きで。一番覚えてるのは小学生の頃、夏休みに家族で軽井沢に遊びに行ったときのこと。帰りの車中で両親が井上陽水とか、さだまさしとかフォークソングをカセットテープでかけるんだけど、子供心にすごく心に沁みてね。兄貴が後部座席の真ん中で寝ちゃってるから、僕は狭いスペースに寝かされて。

仲野 かわいいですね(笑)。ほんとにちっちゃいときだ。

左から永積崇(ハナレグミ)、仲野太賀。

永積 そのときに流れていたフォークソングの切ないメロディと中央高速道のライトがスパンスパンって通り過ぎていく風景がシンクロして、子供ながらに「幸せな時間が終わっていく」って感じて。ただただ切ないんだけど、何かその切なさにグッと来たんだよ。

仲野 どこか心地いいものに感じたんですかね。

永積 家族がいつも以上に傍にいるような気がして。その感覚を疑似的によみがえらせることができないかっていう一人遊びがそこから始まったわけ。あのとき流れていたような曲を自分で歌えたら、いつでもあの感覚を再現できるんじゃないかって。今も変わらず歌を歌っているんだけど、結局当時と気持ちは変わってないのかも。

仲野 すごい。それが今の活動につながってるわけですよね。

今思えばバンド時代は迷うことが多かった

永積 でも自分の場合、歌い始めてから迷うことなくここまで来ることができてるけど、ミュージシャンの中には紆余曲折を経て自分の表現を手に入れている人たちもいて。たまにそういう時間を経てない自分って、どうなんだろうと思うこともある。

──ある意味、SUPER BUTTER DOG(永積が現レキシの池田貴史らと組んでいたファンクバンド。2008年に解散)で活動していた時期がそれにあたるんじゃないですか? 当時は作品ごとに試行錯誤していたような印象があります。

永積 あ、そうだね。言われてみると確かにバターをやってた頃はわりと悶々としていたかもしれない。

仲野 SUPER BUTTER DOGの頃って何歳ぐらいですか?

永積 ハタチの頃に始めて、本格的に活動してたのは20代の終わり頃までかな。活動休止してる時間も長かったから。SUPER BUTTER DOGって奇跡的にデビューできちゃったんだよ(笑)。

仲野 へえ! そうなんですね。

永積 いわゆる渋谷系と呼ばれるムーブメントが盛り上がって、メジャーよりもインディーズのほうがカッコいいみたいな時代がやってきたんだけど、僕らはそのすぐあとの世代で。メジャーのレコード会社がインディーズの新人をどんどん青田買いしていく時代があったのよ。

仲野 いい時代ですね(笑)。

永積 それで「CD出してみる?」みたいな感じで僕らも声をかけてもらって。

──確かCDをリリースすることが決まってから本格的にオリジナル曲を作り始めたんですよね?

永積崇(ハナレグミ)

永積 そうそう「ヤッベー!」って思ってさ(笑)。その時点でオリジナル曲が1、2曲しかなかったから。

仲野 えっ!

永積 「曲ってどうやって作るんだ!?」みたいな。

仲野 そんな感じだったんですか(笑)。

永積 当時のプロデューサーに「いいからCD作っちゃおうよ!」とか言われてさ。

仲野 逆に言えば、そのプロデューサーさんもすごいですよね。SUPER BUTTER DOGの才能を見出したわけですから。

永積 なんか面白がってくれてね。池ちゃんのことも、「今どきアフロなんて珍しいね!」みたいな(笑)。そういうスタートだったから、そのあとものすごく悩むことになるんだけど。

仲野 やっぱりそういう時期があったんですね。

永積 「ヤバい。俺には何もないぞ」って(笑)。周りのミュージシャンがどんどん自分というものを出していく中で、俺はどうやって曲を作っていけばいいんだろうと思って。「デビューできたぞ! イエーイ!」みたいな感じにはならなかった。

仲野 1回そこで立ち止まって。

永積 うん。そこから戦いの日々が始まった(笑)。歌うことが好きだという気持ちは変わらなかったけど、今思えばバンド時代は迷うことが多かったね。