音楽ナタリー Power Push - ハナレグミ×是枝裕和
映画「海よりもまだ深く」と呼吸する音楽
物語の最後の深呼吸が決めたタイトル
是枝 レコーディング中に一度、スタジオにお邪魔させてもらったことがあったでしょう。大きめのスクリーンで映画を流しながら、セッションで音を組み立てている状況で。そのときは「深呼吸」のメロディラインにたった一言、「hello again」という歌詞だけが乗っていた。
永積 そうでしたね。
是枝 それ以外はハミングで。あれを聴いて、身体が震えるくらい感動したんです。音楽的なディテールはまったくわからないんだけど、なんだろう……永積さんの声とあの優しいメロディが、物語にすごく豊かな読後感を付け加えてくれる気がして。帰り道にスタッフと、「あれだけでもいいね」って話し合ったりしてたんですね。
永積 監督、それ僕にもおっしゃってましたよ。「このままでもいいです」って。
是枝 本当にすみませんでした(笑)。でも、歌詞の付いたバージョンを送っていただいて、改めてラストの場面に当ててみて、心底「うわーっ、これはすごい」って思ったんです。映像に合わせてみると、まるで良多の背中を見送るようにギターのイントロがあって。少し遅れて歌が始まるんですけど……。1つひとつの言葉が作品のトーンとぴったりなんですね。明るいだけじゃない。でも決してペシミスティックではない、絶妙な前向きさ加減というか。「あと一歩だけ前に」と、映画では直接言えなかったことまで、見事に曲にしてくれて。あ、これでちゃんと物語を終えられるなと。
永積 良多と一緒にうつむいたり、空を見上げたりしてるうちに、自然とあの歌詞に落ち着いたんですね。あと、本編を何回も見直して、すっごく好きなシーンがあったんですよ。これからご覧になる人もいるので詳しい内容は言えないけど、物語の最後のほうで、良多の姿勢がちょっとだけよくなるところがありますよね。
是枝 ええ、はい。
永積 そのとき良多が、ほんの一瞬なんですけど「すーっ」と息を吸う。あそこのシーンがずっと心に残っていて……。
是枝 えええ! そうだったんだ。
永積 今回、主題歌のメロディも歌詞もできて監督にお渡ししたあとも、タイトルが最後まで決められなくて。で、いよいよ決めなきゃまずいって段階になって、そのシーンを思い返して、それで曲名を「深呼吸」に決めたんです。
是枝 うーん……びっくりした。この映画にはとても大切なシーンがいくつかあるんですけど、今、永積さんが挙げてくれた場面もまさにそうなんですよね。なんだろう……僕はこの作品で、背中を丸めていた男が息を吸って、背筋をちょっと伸ばすまでが描きたかった。これはそういう映画だと最初から思ってたんです。
永積 ほんとですか? うわ、ちょっと鳥肌が。
是枝 僕にとっては、あの深呼吸が実質的な物語の終わりなんですね。だから今のお話を聞けて、とてもうれしい。そうかあ、エンディングの歌は、あの深呼吸からもう始まってたんだな。音が鳴っていないだけで。
永積 そうかもしれませんね。そのつもりで作りました(笑)。
是枝 やっぱり、僕の解釈は間違ってなかったんだな。永積さんに主題歌をお願いして本当によかった。ちょっと感動してしまいました。
永積 よかったあ。
「海よりもまだ深く」とつながったシングル
是枝 今回のシングルには、「深呼吸」以外にもいろんなご褒美が入ってますよね。「あるてぃすと」は映画の重要な場面で流れる曲に、わざわざ新しく詞を付けてくれて。
永積 はい。この歌詞を書くとき、たまたま友達の大宮エリーと飲んでまして。そのとき彼女が「東北のイベントでシャッター商店街に絵を描いてるんだ」という話をしてくれたんですね。それがすごく面白かった。ほら、普通の人は、シャッター商店街にくすんだイメージを抱きがちだと思うんです。でも、たぶんエリーは、そこに色があるように見えるんだろうなあと思って。アーティストっていうと言葉が大きすぎて居心地悪いけど、彼女はさしづめ「あるてぃすと」かなと。
是枝 それで「なんにもないのに あるよと 君は言う」という歌詞なんですね。素晴らしい。
永積 そうなんです。例えば西日の当たる団地の個人商店だったり、その前を歩いてる良多の母親だったり、いろんなイメージを歌詞に混ぜさせてもらって。ちょっとのほほんとした曲に仕上げてみました。
是枝 ささやきのような歌ですよね。永積さんの声の響きがひたひた浸透してくる感じがとても生かされていて……。映画本編で使われているインストバージョンも、明るく朗らかなのにどこかホロ苦くて、初めて映像に当てたときは泣いちゃったくらい好きなんですけど(笑)。歌詞が入っているバージョンが映画に入っていてもおかしくない気がしますね。
永積 そう言えば今回のシングルでは、劇中でラジオから流れるテレサ・テンさんの「別れの予感」もカバーさせてもらってて。監督は「歩いても 歩いても」(2008年公開)でも、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」を劇中で使われてますよね。今回はなぜこの曲を?
是枝 歌謡曲を映画の中で流そうというのは、最初から決めてたんですね。嵐で閉じ込められた団地の中で、真夜中にラジオの台風情報に続けて何か曲がかかる。それによって、元家族と一緒に閉ざされた空間が際立って……映画的という言葉は恥ずかしいですけど、なんかいいなと(笑)。最初に思い付いたのは、ちあきなおみだったんですね。「喝采」なんて、意外と台風の夜に合うかもしれないなと。
永積 おおお、すごいディープですね!
是枝 でも、実際に映像に当ててみると、強すぎるんですよ。どうしても歌詞に聴き入ってしまって、母と息子がラジオを聞き流しながら会話する感じにならなかった(笑)。ここはやはり、2人が話をしてる流れで、樹木さん演じる母親が自然に歌詞を引き取れるような曲にすべきだと思って……。で、ふと、彼女が自分自身の人生ではまったく経験しなかった恋愛を歌った歌手って誰だろうと考えて。「あ、テレサ・テンだ」と思い付きました。
永積 「海よりもまだ深く」というタイトルも、この曲の歌詞の一節から取ってるんですよね。この曲、うちのオカンもカラオケで歌ってたりして昔から知ってましたが、実際にカバーしてみるとけっこう難しかったです。何しろ、どこまでも男に尽くす女性の歌なので……。
是枝 うん、うん。
永積 どんなテンションで歌えばいいのか、見当がつかなかった(笑)。普段のカバーなら、ガッと自分の側に引き寄せてやっちゃったりもするんですけど、さすがにそれも変かなあと。ただ昔の歌謡曲っていろんな人がカバーしていて、それこそ石原裕次郎さんが「喝采」を歌ってるんですよね。
是枝 へえ、知らなかった。
永積 そういう音源を聴いてみると、当然だけど皆さん無理に自分の人生を重ねたりはしない。裕次郎さんは裕次郎さんのまんま、どっしり歌ってるんですよね。なので僕も、そのアティチュードを見習って(笑)。変に作ったりせず、「今の僕は、こんな男です」という感じで、けっこう素のまま歌ってます。アレンジはもろ昭和歌謡というより、ちょっとだけフィリーソウルのテイストを入れて。レコーディング自体はすごく楽しかったなあ。
是枝 完成してすぐ音を送ってくれたんですよね。いち早く聴けて、ぜいたくな気分だった(笑)。このところずっと聴いてますよ。
永積 うれしいです! 今回のシングルは個別の曲を集めたものじゃなく、「海よりもまだ深く」という映画としっかりつながった作品にしたかったんですね。どの曲にも映画の肌触りや空気感が色濃くにじんでますし。そしてCDを聴いてくれた人がまた物語に還りたくなるような、そういう1枚になればいいなと思って作りました。
是枝 そうなっていると思います。素敵な音楽を作ってくださって、ありがとうございました。
- ハナレグミ ニューシングル「深呼吸」2016年5月25日発売 / SPEEDSTAR RECORDS
- 初回限定盤[CD] 1512円 / VICL-37175
- 通常盤[CD] 1296円 / VICL-37176
初回限定盤収録曲
- 深呼吸
- あるてぃすと
- 深呼吸(遠慮すんなよミズノ買ってやるよ!ver.)
- 別れの予感
- 別れの予感(カラオケ)
- 大安(Live ver. from Tour What are you looking for)
- 光と影(Live ver. from Tour What are you looking for)
- おあいこ(Live ver. from Tour What are you looking for)
通常盤収録曲
- 深呼吸
- あるてぃすと
- 深呼吸(遠慮すんなよミズノ買ってやるよ!ver.)
- 別れの予感
- 別れの予感(カラオケ)
- 映画「海よりもまだ深く」2016年5月21日より全国公開中
- 映画「海よりもまだ深く」
ハナレグミ
永積崇(ex. SUPER BUTTER DOG)によるソロユニット。2002年11月に1stアルバム「音タイム」をリリースし、その穏やかな歌声が好評を得る。2005年9月には東京・小金井公園でフリーライブ「hana-uta fes.」を開催し、約2万人の観客を集めた。2009年6月に4年半ぶりとなるアルバム「あいのわ」をリリースし、ツアーファイナルの東京・日本武道館公演を成功させる。2013年5月リリースのカバーアルバム「だれそかれそ」では多くの名曲をさまざまなアプローチで歌い上げ、ボーカリストとしての力量を見せている。2015年8月に野田洋次郎(RADWIMPS)、YO-KING(真心ブラザーズ)、池田貴史(レキシ)、堀込泰行(ex. キリンジ)、辻村豪文(キセル)、大宮エリーら、さまざまなアーティストが参加したアルバム「What are you looking for」をリリース。2016年5月に公開された是枝裕和の監督映画「海よりもまだ深く」では、劇伴および主題歌「深呼吸」を手がけた。
是枝裕和(コレエダヒロカズ)
1962年生まれ、東京都出身の映画監督。1987年に早稲田大学第一文学部を卒業後、テレビマンユニオンに入社。主にドキュメンタリー番組の演出を手がけ、1995年に同社による初の劇場公開作品「幻の光」で監督デビューを飾る。同作は「ヴェネツィア国際映画祭」で金のオゼッラ賞(脚本賞)を受賞。2004年に公開された映画「誰も知らない」は「カンヌ国際映画祭」をはじめ、国内外で高い評価を得る。その後も「歩いても 歩いても」「空気人形」「そして父になる」「海街diary」といった作品でメガホンを取る。2016年5月に阿部寛主演による「海よりもまだ深く」が公開された。