GRAPEVINE|せめて少しでも光に触れて

GRAPEVINEが2月6日に16枚目のオリジナルアルバム「ALL THE LIGHT」をリリースした。

本作には「退屈の花」「Everyman,everywhere」といった作品に携わったホッピー神山がプロデューサーとして参加。アルバム1枚をプロデュースしてもらうという意味では「真昼のストレンジランド」(2011年1月発売)以来、およそ8年ぶりにプロデューサーを招いて作られたアルバムとなる今作は、バンド初のアカペラ楽曲「開花」や、ブラスの華やかなサウンドが印象的な「Alright」など、個性豊かな10曲で構成されている。

音楽ナタリーでは田中和将(Vo, G)へのソロインタビューを実施。ホッピー神山との共同作業で進められたアルバム制作の背景や、田中が書く歌詞の変化などの話を交えながら、田中自身が「イレギュラーな作品」と語る「ALL THE LIGHT」がどのように作られていったのかに迫る。

取材・文 / 倉嶌孝彦 撮影 / 佐藤早苗(ライトサム)

うっかり感動してしまいました

田中和将

──2017年から2018年にかけてはデビュー20周年のアニバーサリーイヤーということで、メディアへの露出の機会が多かった印象を受けましたが、バンドとしての活動はいい意味で普段と変わらず淡々としてましたよね。

特別“アニバーサリー”を打ち出さなかったんです。10周年と15周年はアニバーサリーライブをやっていたのですが、それと同じことをやるのもなあと思って。かと言ってベスト盤はもう出してるし、トリビュート盤みたいなものを作るのもなんか違う。リテイクアルバムを作るのにレコーディング費用をかけるなら新曲を録りたいし。アルバム(2017年9月発売のアルバム「ROADSIDE PROPHET」)をちゃんと作って、そのアルバム・ツアーをやることがGRAPEVINEの20周年としてはふさわしいかな思ったんです。

──ただアルバム「ROADSIDE PROPHET」を携えての「GRAPEVINE tour 2017」のファイナルが東京・東京国際フォーラム ホールAで行われるなど、活動の規模感はしっかり大きかったわけですよね。

そうですね。国際フォーラムでツアーファイナルをやらせてもらったのは感慨深かったです。いろんな洋楽アーティストのライブを見てきた会場だというのもあるし、ライブ後に大勢の関係者が僕らを祝福してくれたんですよ。うっかり感動してしまいました(笑)。「これが20周年か」と。

──2018年は音源のリリースがなく、「club circuit 2018」と題したライブハウスツアーが開催されました。GRAPEVINEが特定の音源に紐づかないツアーを行うのはひさしぶりですよね。

そうなんですよ。2018年はリリースがなかったわけですが、ワンマンツアーを組んで。アルバムツアーではないので選曲の自由度が高くて逆に困りました。キャリアも長いし、レパートリーもそれなりにあるので、ある程度縛りを設けないと決めようがないんですよね。結果として新しめの曲を中心にしつつも、オールタイムな選曲で往年のファンが喜ぶ内容になったと思います。一見さんがどう思ったかはわかりませんが(笑)。

──演奏するメンバーの方々は、過去の曲をライブで演奏することをどう感じているのでしょうか?

曲を作ったときとは解釈が変わってくるので、当時とは腑の落ち方が違うんですよね。これまですごく難しく考えていたこととか、演奏面でうまくできないと思っていたことが楽にやれるようになる。まあ、もともとCDに収録したアレンジが完成形だとも思っていないので、リリース後に自分たちでいろいろ楽しめる余地を残しているというのもありますけど。

いい曲は1、2曲でいい

──今作「ALL THE LIGHT」の特徴は、プロデューサーにホッピー神山さんを招いて制作された点だと思います。ここ数年のアルバム作品では「プロデューサーを付けたかったけど、結局セルフプロデュースに」という流れが多かったですよね。

ポニーキャニオンからリリースした最後の作品(2013年4月発売の「愚かな者の語ること」)からもう6年近くセルフプロデュースでアルバムを作ってきてるんですね。僕らとしてはバンドの空気の入れ替えだったり、刺激をもらう意味でもプロデューサーを招いて作品を作りたいと思っているのですが、前作(「ROADSIDE PROPHET」2017年9月発売のアルバム)はデビュー20周年という節目のタイミングでもあったので「セルフプロデュースでやったほうが落ち着きがいいのではないか」という話になった。今回のアルバムを作り始めるにあたってメンバーやスタッフと話し合った結果、バンドの初期作品でも一緒に作業したことのあるホッピー神山さんにお願いすることになったんです。

田中和将

──これまでバインに関わってきたプロデューサーは数多くいるわけですが、その中からホッピーさんを選んだのはなぜなんでしょうか?

バンドの体質とか性分なんですが、「音楽的にこういうことがしたい」とか「次のアルバムはこういう作品にしたい」みたいな具体的な欲求がないんですよ。それゆえ「今回のアルバムはこういう作品になりそうだから、〇〇さんにプロデュースしてもらおう」みたいな計算もできない。これまで数々のプロデューサーと一緒に曲を作ってきましたが、ホッピーさんはその中でも“ストレンジな方”という印象です。「退屈の花」(1998年5月発売のアルバム)や「Everyman, everywhere」(2004年11月発売のミニアルバム)で一緒に作業したときよりは我々もスキルアップしてるはずなので、そこに“ストレンジなプロデューサー”が加わったら面白くなるんじゃないか、ということですね。

──「Everyman, everywhere」以来となると、およそ15年ぶりですよね? ひさびさに会ってみていかがでしたか?

相変わらずでしたね。一見、よくしゃべる気のいいおじさんですが、才気走った空気感があって。今回はひさしぶりにプロデューサーを招いたこともあって、作品作りの舵取りは完全にホッピーさんにお任せしました。

──バンドのメンバーだけでは描けない作品の青写真を、ホッピーさんに描いてもらったわけですね。

そうですね。すごくカラフルなアルバムになったと思います。ホッピーさんは「いい曲は1、2曲でいい。それより、もっと個性的な面構えの曲がたくさんあったほうがアルバムとして面白い」とおっしゃっていて。僕らはもともとそういうマインドのバンドだったんですが、もっとエグくてもいいんじゃないかと。

──アルバムの収録曲の中には、作曲のクレジットにホッピーさんの名前が入っている曲もあります。

ホッピーさんが参加してジャムセッションした曲ですね。「ミチバシリ」とか「Asteroids」とか。ちなみに「ミチバシリ」は金戸(覚 / B)さんがいない日にセッションして作った曲で。そのときはホッピーさんがシンセベースで低音のフレーズを弾いてくれたから、レコーディングにも金戸さんは参加してない。だからクレジットには我々3人とホッピーさんの4人の名前が入っているんです。