2021年4月に突如TikTokに光臨し、卓越した演奏力だけでなく“おゴージャス”なビジュアルや口調でも人気を集めているピアニスト・五条院凌。フジテレビ系「TEPPEN」をはじめとするテレビ番組で彼女の活躍を目にした人も多いはずだ。自身のSNSではネット音楽シーンで人気の楽曲を中心にカバー動画を投稿してきた五条院だが、10月25日にリリースされたアルバム「お愛集」では、“愛”を題材にした昭和歌謡曲を多数演奏している。
音楽ナタリーでは「お愛集」のリリースを記念し、前後編に分けて特集を展開する。前編では五条院にとって特にお気に入りの歌謡曲であるという「難破船」の作詞作曲を手がけたシンガーソングライター、加藤登紀子との対談を実施。五条院が「難破船」を知ったきっかけ、加藤による同楽曲の制作秘話を中心に、さまざまな話題が飛び出した。後編ではこれまでの活動を振り返りつつ、コンサート活動のこだわり、故郷での凱旋コンサートを含む今後の公演について単独インタビュー形式で語ってもらった。
取材・文 / 秦野邦彦(対談)、高橋拓也(ソロインタビュー)撮影 / 須田卓馬
わたくしにとって、「難破船」は大切なお守りでございます
五条院凌 今日初めて登紀子様とお会いしたばかりなのに、こんなにも温かく優しい風に包まれるとは思ってもいなかったです。ピアノも置いてある登紀子様のお部屋はわたくしにとって、とても心地のいい空間です。
加藤登紀子 どんなときも瞬間的に心地よくすることが大事ですからね。コンサートでもそうよ? 会場に着いて楽屋に入ると、まず模様替えをするの。気持ちが落ち着かない椅子が配置してあると嫌だから、せっせと動かして。そしたら誰か飛んできて「やりましょうか?」って言われるんだけど、自分でやったほうが早いわね。
五条院 わかります。居心地のいい空間作りから自分の精神が整っていきますし、それが音楽につながり、ステージでのパフォーマンスにもつながると思っているので、お部屋の断捨離はけっこうします。
加藤 私は断捨離、苦手なの(笑)。すっきりしてるお部屋は好きだし、そうしたいと思うんだけど、気が付けばどうしても捨てられないものをいっぱい残してるわけ。例えば着るものとか。私の母が洋服を作る人だったから、初期の衣装は全部母が作ってくれていたのね。
五条院 素晴らしいです。
加藤 母の洋服を着なくなって20年30年経った頃、「ぼちぼち整理してもいいかな」と思って1回捨てたら、それを母に見つかって「作った人の気持ちになってごらんなさい!」って、こっぴどくしかられてね。それから洋服は捨てられなくなりました。
五条院 どのお洋服にも、そのときそのときの思い出がありますよね。
加藤 コロナ禍になってからは少し時間もできたので、亡くなった母の裁縫道具を使って30年前の服を自分で直して着ています。こんなこと、今日の話題とは関係なかったわね(笑)。
五条院 うふふ。
加藤 私はこの10月で歌手活動59年目に入ったんですけれども、曲を作る立場からすると、制作者がいる限り生まれた曲は永遠に大切にされなきゃいけないのに、世に残っていく曲と忘れられていく曲って、どうしても出てくるでしょう? そういう中であなたが「難破船」を選んでくれて。
五条院 愛がテーマの昭和歌謡を集めた「お愛集」というアルバムで、登紀子様の「難破船」を弾かせていただきました。
加藤 あれは中森明菜さんの歌っているメロディを聴いてコピーしたの?
五条院 耳で聴いて調音したものを譜面に起こしました。
加藤 もともと音大でクラシックを学んでいらっしゃったんですよね? そこから自分流にアレンジして演奏するスタイルに変えたのね。
五条院 はい。やはり自分の魂から生まれる音を奏でたい、という意志が大きくありまして。おクラシックは何百年以上前の偉大なる作曲家様方の意思を、自身の肉体を通して現代の方々に届けるお役目を担うことになりますので、あまり自分の感情を爆発させて音に変えることはできないんです。
加藤 基本的には決められた通りに演奏するものですからね。
五条院 おクラシックは自分の感情を抑えながら作曲家様の感情を自分に降ろし、それを音にするという、通訳者や伝達者のような役割を担うものだとレッスンを受けてきまして。音楽の源とは何かを学んだ結果、やはり「自らの魂から出る音を弾いてこそ、生きる喜びであり、幸せな人生だな」と感じるようになりました。その中でも「難破船」はわたくしにとって、お守りのような曲なんです。
五条院凌が解き明かす「難破船」の衝撃と魅力
加藤 五条院さんは、そもそもどういうきっかけで「難破船」を知ったの?
五条院 母が中森明菜様の曲をよく歌っておりまして。今の時代ですから、そこからいろんな明菜様の曲をネットで探して聴いていたんです。その中でも「難破船」は特に破壊力満載で、最初に見つけたときは「なんてすごいタイトルなんでしょう」と思いまして。どんな音世界が待ってるのか、大変興味を持ちながら聴いてみると、冒頭の歌詞「たかが恋なんて」から衝撃を受けました。しかもアウフタクト(※主旋律が第1拍の前から始まること)で、まるで捨て台詞を言うように歌が始まりますよね。
加藤 ええ、そうね。
五条院 この出だしから大変驚きました。初めて「難破船」に出会ったとき、わたくしは大切な人を失った直後だったんです。そのときの感情とリンクして、あっという間に「難破船」の世界に惹き込まれて、そこから歌詞と旋律の流れが自分の感情の波とシンクロしていったことをよく覚えています。
加藤 それは何歳くらいのとき?
五条院 中学生でしたね。
加藤 中学生でそんな失恋をしたの?
五条院 そのときは親友との別れでした。毎日一緒にいたのに、ケンカ別れみたいな形のまま、わたくしが引っ越してしまって。その方の誕生日は今でも覚えているんですけれども、連絡先がまったくわからず。ほかには高校生、大学生の頃には失恋という別れがあって、そのときにも「難破船」にはすごく支えられました。この曲は破滅的に寂しくて、孤独感あふれる曲なのに、言葉の1つひとつが耳元で話しかけられているように、とっても身近に感じるんです。「大丈夫だよ」と背中を支えてくれるような温かさもあるので、大切なお守りソングとして、わたくしの中に存在しているんです。
加藤 そうだったのね。この間マレーシアでコンサートしたとき、明菜さんの「難破船」を聴いて、日本に行こうと決心したっていう男性がいらっしゃってね。その人は論文が書けるぐらい「難破船」に関して研究したとおっしゃっていて、すごく感動したんです。坂本冬美さんとか、明菜さん以外の方がカバーした「難破船」も全部聴いたと言っていたから、あなたが弾いたバージョンも把握しているかもしれないわね。彼は日本語を勉強して、日本で仕事を見つけているから、バリバリ日本語もしゃべれる人なんだけど、「『難破船』のような恋をして『難破船』のように別れた」そうで、今後悔してるって言うわけ(笑)。「みじめな恋つづけるより」って歌詞があるでしょう?
五条院 「別れの苦しさ えらぶわ」と続く部分ですね。わたくしもすごく刺さった言葉です。
加藤 彼は「同じように“別れの苦しさ”を選んだことで、あっさり破局してしまったことが悔しくてしょうがない」と言うわけ。「登紀子さんも本当にそうするんですよね?」って確かめられちゃったの。この曲を作ったときは実際そうだったけど、聴いてくれる方の未来まではわからないし、こっちはそこまで面倒見れないんだけどね(笑)。
初恋は一生の中で二度とない、大切な時間
五条院 「難破船」は登紀子様の実体験をもとにした曲だとうかがいました。
加藤 ええ。題材にしたのは20歳のときの初恋で、別れたのは23歳。で、明菜さんが歌ったのは22歳ですけど、私がこの曲を作ったのは40歳になってからだったのね。まあ、言うならば思い出ですよね。奇しくも明菜さんの曲に「セカンド・ラブ」という曲があるじゃない? 「恋も二度目なら 少しは上手に」と歌われているように、つまり別れを一度経験してるから免疫があるわけよね。だから別れが来ても、そこまでショックじゃないことは自分も経験していて。それに比べると最初の恋っていうのは、ね?
五条院 特別ですよね。
加藤 誰かに「お前たち2、3年もしたら別れるんじゃない?」とか言われて、2人して「絶対そんなことありえない!」と激怒する瞬間もあったわね。私の一生の中でも二度とない、大切な時間だったなと思って、40歳を過ぎてから歌にしたんです。(Aメロをゆっくり口ずさみながら)メロディが先にできたんだけど、歌のテーマは決まってなかったのよ。
五条院 登紀子様の書かれたエッセイを読ませていただくと、最初はアウフタクトの「たかが」が付いていなかったそうですね。
加藤 そう。もうちょっとおとなしいクラシカルなメロディで、なかなか詞が思い付かなかったんだけど、頭に「たかが」を入れたことで、わっと言葉が浮かんできたの。だからアウフタクトという表現はすごく雄弁。「時には昔の話を」(※1987年発表の楽曲)に出てくる「そうだね」というフレーズも、「なんか終わりがちょっと締まらないよね」「どうやって終わらせたらいいんだろう?」と考えて付けたんです。その「そうだね」という部分も、「たかが」と似た突破口を開いてくれた感じがしますね。
五条院 「たかが」も「そうだね」も、すごく優しいニュアンスが込められていて。この言葉があることで何人もの命が救われたと思うんです。
加藤 「『難破船』に命を救われた」と言ってくれる人は多いんだけど、「どうして?」って聞いたら、ある人は「どん底の気持ちになれるから、とても気持ちがいいんです」と教えてくれたわけ(笑)。夜寝る前にこの曲を聴くと、力が湧いてくるんだって。確かに歌い手としても、歌っているうちにスカッとするというか、トンネルをくぐって最後は光の中に出ていく……みたいな感覚があるんですよね。吐き出したことで気が済むというか、何かひとつドラマが終わった、という気持ちのよさですかね。五条院さんも苦しいテーマの楽曲を演奏していて、終わったあとにすごく安らかな気持ちになることって、あるでしょう?
五条院 あります。わたくしも「難破船」には、それと似たようなことを感じたんです。「ここまでわたくしは人を愛していたんだ」と思いつつ、憎むまではいかないけども気分が落ちてしまって……。でも、そんな自分を肯定するように寄り添ってくれる歌詞だから、「ここにいていいんだ」「このままでいいんだ」とありのままの姿を受け入れてくれるように思えたんです。
加藤 この曲では1人になった姿が描かれているからね。
五条院 だから「別れたあとは、こういう感じに生きればいいんだ」と知ることができて、わたくしにとってバイブルのような存在になったんです。