フィッシュマンズが10月から11月にかけて東名阪ツアー「FISHMANS TOUR "LONG SEASON 2023"」を開催する。彼らがツアーを行うのは、デビュー25周年を記念して2016年に開催された「FISHMANS TOUR "LONG SEASON 2016"」以来7年ぶりとなる。またツアーの決定に合わせて、スペシャルゲストとしてハナレグミとUAがライブに参加することも発表された。
2010年代の中盤より、ネットを中心に海外の音楽ファンの間で草の根的に知名度を高めていたフィッシュマンズ。2018年8月に各種ストリーミングサービスで楽曲配信がスタートするやいなや、彼らに対する注目度は飛躍的に上昇していった。中でも今回のツアータイトルに冠されたアルバム「LONG SEASON」はアメリカ最大手の音楽コミュニティ「Rate Your Music」のオールタイムベストランキングで31位(2023年7月25日現在)を記録するなど高い人気を誇っている。
1995年にレーベルをポリドールに移籍し、プライベートスタジオ・ワイキキビーチを手に入れたフィッシュマンズは、1996年2月にアルバム「空中キャンプ」を発表。劇的な進化を遂げたサウンドで多くの音楽ファンに衝撃を与えた。そんな彼らが高まる創作意欲をそのままに、同年10月にリリースしたのが、1曲35分16秒からなるワントラックアルバム「LONG SEASON」だ。世界規模で“新規”のフィッシュマンズファンを生み出すきっかけとなっている本作はいったいどのようにして生み出されたのか? 音楽ナタリーではツアーに先がけ「LONG SEASON」を掘り下げるインタビューを実施。メンバーの茂木欣一(Dr, Vo)に話を聞いた。なお取材には当時の状況をよく知るマネージャー植田亜希子氏にも立ち会ってもらった。
取材・文 / 望月哲撮影 / 相澤心也
海外で高まるフィッシュマンズ人気
──フィッシュマンズの東名阪ツアーが決定しました。前回の25周年ツアー(「FISHMANS TOUR "LONG SEASON 2016"」)が2016年だから、7年ぶりになるんですね。
茂木欣一(Dr, Vo) 7年も経ってるんだ! そう考えると超ひさしぶりですね。
──このタイミングでツアーを行おうと思ったきっかけは?
茂木 ここ最近、海外の音楽ファンがフィッシュマンズを聴いてくれているという話をたびたび耳にするようになって。以前は、歌詞が日本語だということもあるし、正直、言葉の壁を超えるのは難しいのかなと思っていたんです。もちろん、どこで演奏しても負けないくらいのものを持っているバンドだとは思っていたんですけどね。それが今では、ネットの影響もあって僕らの想像を超えるくらい、世界中でたくさんの人たちがフィッシュマンズを聴いてくれるようになって。改めてフィッシュマンズの音楽を多くの人たちに届けていきたいという気持ちがここ最近すごく強まっていたんです。それがまず1つ目の理由で。
──はい。
茂木 2つ目はフィッシュマンズのドキュメンタリー映画(2021年7月公開の「映画:フィッシュマンズ」)が公開されたことですね。あの映画では、メンバーやバンドに関係してくれている人たちが、それぞれ自分たちの言葉で佐藤(伸治 / Vo)くんのことを語っているんです。それこそ心の中にずっとしまっていたようなことまで。佐藤くんが亡くなってから20年以上が経ったあのタイミングで、ああいう形でフィッシュマンズの歴史を丁寧にまとめてもらったことで、自分たちの中で少しホッとした部分があったんです。1つ気持ちに区切りがついたというか。今まで以上にポジティブな気持ちでフィッシュマンズの音楽に向き合えるんじゃないかと思うようになって。そういう意味でも今、ツアーを行うのはすごく意味があるんじゃないかと思ったんです。
──2010年代の中盤以降、海外の音楽ファンの間でフィッシュマンズの作品に対する評価が年々高まっていて、中でも人気が高いのが今回のツアータイトルにもなっている「LONG SEASON」なんですよね。世界規模で新規のファンを取り込んでいるという意味でも、「LONG SEASON」は今後のフィッシュマンズを語るうえで重要な作品になってくると思うんです。
茂木 なるほど。確かにそうかもしれないですね。
──なので、今回のインタビューでは「LONG SEASON」という作品がどのようにして生まれたのかを茂木さんにこのタイミングで改めて振り返っていただければと思います。
茂木 わかりました。よろしくお願いします。
1つの円を描くように音が鳴り続けるイメージ
──「LONG SEASON」は今から27年前の1996年10月25日にリリースされました。「1曲でアルバムを作る」という構想自体は、前作にあたる6thアルバム「空中キャンプ」(1996年2月1日発売)を制作している段階で、すでにあったんですよね?
茂木 そうですね。具体的になったのは「空中キャンプ」のマスタリングが終わったあたりかな。あのアルバムは8曲で1つの世界を表現しているような作品だったんですけど、だったら8曲分の世界を1曲でも表現できるんじゃないかという話になって。みんなでディスカッションしている中でそういうアイデアが自然に出てきたような記憶があります。自由な発想をどんどん形にしていこうみたいな空気がバンドの中にあったんで。
──「空中キャンプ」のレコーディングで手応えを感じたことも大きかったんでしょうか?
茂木 めちゃくちゃありましたね。レーベルを移籍して、自分たちのプライベートスタジオ(ワイキキビーチ)を持って、やりたいことが自由にできるようになって。プライベートスタジオでの最初の作業が「ナイトクルージング」のレコーディングだったことも大きかったと思います。佐藤くんが考えたループするシーケンスや、HONZIが弾いたラストのピアノのフレーズ……それだけで心が持ってかれちゃう感じというか。あの響きが永遠に続いたらいいのに、みたいな。そういう感覚を1曲に落とし込みたいという願望がずっとあって。1つの円を描くように音が鳴り続けている、そういうイメージがみんなの頭の中に漠然とあったような気がするんですよね。
──周りのスタッフやレコード会社の反応はどんな感じでしたか?
茂木 反対意見はなかったです。ディレクターの佐野(敏也)さんも面白いことをどんどんやっていこうというタイプだったし。今思えば、佐野さんがディレクターだったことは僕らにとってラッキーでしたね。Grateful Deadが大好きな人だから長い曲にも全然抵抗がなくて。メンバー、スタッフ含め、誰も迷ってなかったと思います。「こんなことやっていいのかな?」ということよりも、「このアイデアにふさわしい曲を早く作ろう」というところに、みんなの意識が向かっていたから。そこで「SEASON」という曲をアルバムに膨らませていこうという話になって。
“季節”というテーマがインスピレーションを掻き立てた
──当初は7thアルバム「宇宙 日本 世田谷」(1997年7月24日発売)に収録されている「バックビートにのっかって」がワントラックアルバムの候補曲だったそうですね。
茂木 そう。佐藤くんが最初に書いてきたのがあの曲だったんです。「バックビートにのっかって」は、それこそ「終わらない夜」という歌詞で始まるし、イメージ的にもぴったりだと思ったんですけど……このあたり、ちょっと記憶が曖昧ですね。(同席した植田マネージャーに)植田さん覚えてる?
植田亜希子マネージャー 「バックビートにのっかって」は、みんなでスタジオに入って1回合わせていますね。
茂木 そうだ、スタジオに入ったね! 楽曲的にも1つのグルーヴがずっとつながっていくような構成だから、あの曲がアルバムになる可能性があったかもしれないけど……なんでならなかったんだろう?
植田 いざ演奏してみたら、長くならなかったんじゃないですか?
茂木 ははは。でも意外にそういう単純な理由だったかもしれないね。1枚のアルバムにするには、要素が足りなかったのかな。
──その次に佐藤さんが書いてきたのが「SEASON」だったんですか。
茂木 そうです。「SEASON」はシングル用に書かれた曲だったんですけど(1996年9月25日にシングルとして発表)、初めて聴いたとき、「これはイケるかも」っていう予感みたいなものをみんなおぼろげに感じていたと思うんです。おそらく“季節”というテーマがインスピレーションを掻き立てたんでしょうね。春夏秋冬と季節が巡っていく感じが、先ほどお話しした円を描くように音が鳴り続けているイメージとシンクロしたというか。あの曲の中には、夕暮れ時とか、いろんな風景が描かれていますからね。そういう意味でもイメージを膨らませやすかったのかもしれない。
次のページ »
誰も聴いたことのない音楽を作っているという実感