ナタリー PowerPush - eastern youth

ゼロ番地を守るために歌う

eastern youthが9月19日に最新アルバム「叙景ゼロ番地」をリリースした。東日本大震災以降に作られたこのアルバムには、吉野寿(Vo, G)が眼鏡の奥から見た世界が描かれている。彼はどのような思いで本作を制作したのか、じっくりと話を聞いた。

取材・文 / 宮崎敬太 インタビュー撮影 / 平沼久奈

地震のあと、社会が個人に浸食してきた

──本作「叙景ゼロ番地」は東日本大震災以降の世界を描いた作品ですね。まず、本作をどのように作り始めたか教えてください。

地震があってから何をどう言っていいのか、わからなくなっちゃったんですよ。何を言っても、「白々しいなあ」「嘘臭えなあ」って。それで悩んだ結果、「俺はこう思う」って直接言うんじゃなくて、俯瞰した視点から世界を叙景することで自分の心の奥底にあるものを伝えることはできないか、と思ったんですね。そこからスタートしました。

──その心の奥底にあるものが「ゼロ番地」というキーワードだった、と。

そうですね。

──「ゼロ番地」とはどういったものなのでしょうか?

吉野寿(Vo, G)

「ゼロ番地」とは個のことです。孤独、アイデンティティ、パーソナリティ……呼び方はなんでもいいんですが、自分だけの場所のことを表現しています。その場所は自分が死ぬと同時に消滅する。そんな場所だからゼロの番地、「ゼロ番地」と呼ぶことにしました。

──「ゼロ番地」を題材にしたのはなぜですか?

地震のあとから、社会が個に浸食してきているように感じたからです。そもそも社会というものは、個の集合体だと思っています。だから、個が社会に働きかけることはあっても、逆があってはいけないと思うんです。でも、震災直後にコマーシャルが全部ACになったり、不謹慎という名目で俺らがいろんな制約を受けたり。そういう全体主義的な動きが個を圧迫しているように感じたんですよ。

──画一的な価値観を押し付けられているように感じた、と。

社会にはいろんな人がいて、それぞれの「ゼロ番地」から見た景色がたくさんあるわけですよ。そこから1人ひとりが「ゼロ番地」の向こう側とどうにか折り合いを付けていくのが社会だと思っているんです。でも現実は逆で、社会から折り合いを付けることを強いられている。

──吉野さんは、それを震災後に感じたと。

地震が起きてからはそれがより顕著になったけど、これはそれまでも普通に暮らしていて感じていたことです。要は世の中にとって有益か無益かってことだけが絶対的な価値観で、それ以外は認めないという考え方。俺はそれに対して強烈な憤りを感じています。社会が個に浸食してきたとき、個を自分の力でしっかり保っておかないと己が曖昧になっていくっていう危機感を持っているんですよね。

──「己が曖昧になる」とは?

社会にとってただの駒というか、代わりの利くねじみたいな存在になってしまうということです。弱いねじは外して付け替えればいい、みたいな。ただ絞り取られるだけのエキスみたいな感じですよ。でもね、俺は「そんなことがあるかよ。違うだろ」と思う。だから、そういう全体主義的な価値観を押し返したいんです。俺ができることは歌うことだけだから、個を、「ゼロ番地」を守ろうと思って歌ってるわけです。

──ということは、本作はこれまでeastern youthが歌ってきたことと、本質的な部分では変わらないということですか?

そうですね、ただ表現の角度を変えただけでこれまでの作品とつながっています。でも、地震はこの表現の角度を選ぶきっかけにはなっています。それは言葉の選び方にも、コンセプトにも関係している。だから結果的には、地震はこの作品に大きな影響を及ぼしていると思います。

──このアルバムはどのようなコンセプトで制作されたのですか?

このアルバムは喪失から再生までのプロセスというか、止まってしまった足を一歩前に出すまでのお話にしたかったんですよ。10曲は全部つながっていて、その一歩を出すまでの10場面を1曲ずつで表現しています。だから、1曲目の「グッドバイ」は喪失の象徴なわけです。つまり、さよならから始まってるんですね。

──なるほど。

大きなものを喪失してどーんと力を失ってしまうと、それまでちょっとずつでも歩いてきた足がピタッと止まってしまうことがあるんですね。で、足を一歩前に出さなきゃいけないってことはわかってるんだけど、それは口で言うほどそんな簡単なことじゃなくて。それでも一歩踏み出す。そんな人の10場面なんです。

喪失から再生までのプロセスを10曲で描いた

──これまでの作品では、具体的な時が語られることはほとんどありませんでしたが、本作では2曲目の「目眩の街」で「2012年 目眩の街」と歌っていますね。

自分が今立ってるこの状態をグッと刻み込むべきだと思ったからです。例えそれが空っぽだったとしても、それはそのまま形にしよう、と。そこで「それでも俺は生きてるんだ」ってことを言いたかった。

──「それでも生きてるんだ」という思いは、吉野さんが体調を崩されたあと強くなったものですか?

吉野寿(Vo, G)

いや、それよりも前からそういう感覚はありましたよ。ただ、あんなことになって、死ぬかなって思ったけど死ななかった。それこそ今は拾った命で生きている思ってるから、随分考え方がシンプルになりましたね。「生きてる意義とは!?」「生まれてきた意味とは!?」とか、そういうのはもうどっちでもいいかなって(笑)。

──どういうことですか?

意義とか意味とかじゃなく、ただ生きてるという事実を実感できればいいじゃないかっていうか。俺はそれをもっと形にしなきゃだめだなって思うようになったんです。もっともらしい「人生とはーーー!!」みたいな、そういうことじゃなくてさ(笑)。

──ありのままでいい、と。

そうですね。何もわからないんだったら、そのまま歌えばいいんですよ。それが個だと思うし。別にそれは正当化するって意味じゃなくて、そのまま焼き付ければいいっていうか。

──吉野さんから見て、今の世の中を生きている多くの人というのは、生を実感しているように見えますか?

どうなんでしょうね。まあ他人のことはわかりませんけど、そういうことを実感しづらい世の中にはなってると思います。そういうことを考えるのは「儲からない」「合理的じゃない」という価値観を、これでもかというくらい浴びせかけられているので、知らないうちにそれが自分たちの価値観になってきているような気がするんですよね。

──「社会が個に浸食している」ということですね。

立ち止まることが許されないというか、立ち止まったやつはどんどん置いていかれちゃう感じ。敗残者には冷たくて、「あんなふうになっちゃうよ」とか言われる。だから「がんばれ! がんばれ!」って言われてやってるうちに、生きてるってことを実感しにくくなっているんだと思う。誰の意図かはわかんないけど、やっぱそういう価値観に統制されてきてる感じがするんです。

──吉野さんはそれを歌で押し返したい、と。

そうですね。人間は開闢以来ずっと生身で生きてるわけですから。心のどっかには灯火みたいなものが灯ってて。その温度とつながることはできるんだっていう希望みたいなものは捨てたくないとは思ってますけど。

ニューアルバム「叙景ゼロ番地」 / 2012年9月19日発売 / 3000円 / VAP / VPCC-81744

収録曲
  1. グッドバイ
  2. 目眩の街
  3. 空に三日月 帰り道
  4. 呼んでいるのは誰なんだ?
  5. ひなげしが咲いている
  6. 残像都市と私
  7. 長い登り坂
  8. 地図の無い旅
  9. 驢馬の素描
  10. ゼロから全てが始まる
eastern youth(いーすたんゆーす)

1988年に札幌で結成されたロックバンド。メンバーは吉野寿(Vo, G)、二宮友和(B)、田森篤哉(Dr)の3人で、結成当初はオイパンクであったが徐々に音楽性をエモーショナルハードコアへシフトしていった。1997年にシングル「青すぎる空」でメジャーデビューし、同曲を収録した「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」は大きな話題となる。その後も順調に活動を続け、2008年にはトイズファクトリーとキングレコード在籍時代のベスト盤「1996-2001」「2001-2006」を同時リリースした。しかし、2009年に吉野が心筋梗塞に倒れ、翌2010年3月まで活動を休止。復帰作として2011年5月にアルバム「心ノ底ニ灯火トモセ」を発表した。2010年ドキュメントDVD「ドッコイ生キテル街ノ中」を発売、劇場公開もされ話題に。2012年9月に通算15枚目となるフルアルバム「叙景ゼロ番地」をリリース。