「エスピオナージ」は雨の失恋のテーマ
──シングルには閣下が歌うAliceの名曲「エスピオナージ」も収録されます。この選曲は閣下ご自身で?
まあ一応。「NEO」の骨子が見えてきた時点で、吾輩がいくつか候補を挙げたのだが、谷村氏が「だったら『エスピオナージ』だね」と即答で決めてくれたのだ。「デーモンが歌うんだから、勢いがある曲がいいよね」と。あとは「NEO」とのバランスだな。似すぎてもいけないし、遠すぎてもよくないと考えて。
──「エスピオナージ」は1981年、Aliceが活動休止する前の最後のシングルとしてリリースされました。
谷村氏に聞いてみたら、「活動休止を決めたあとに作った曲」と言っていた。活動休止に対する思いを込めて、「自分たちはどこに行くかもわからないし、もしかしたらここで死んでしまうかもしれない」という曲を書いたわけだな。当時、この曲が収録された「ALICE IX 謀反」というアルバムも聴き込んでいたし、活動休止前に後楽園球場で行われたラストコンサートも観ているのだが、それとは別の思い出もあって。当時は世を忍ぶ仮の予備校生だったのだが、好きな女の子がいて、結果的にフラれるのだが、それがちょうど10月くらいだったのだ。季節の変わり目で雨がシトシトと降り続く中、「フラれてしまったけれど、自分はしっかり受験勉強しなくてはいけない」と思いながら、「エスピオナージ」を含むそのアルバムをずっと繰り返し聴いていた。そのときの印象がすごく強いので、吾輩にとって「エスピオナージ」は10月における雨と失恋のテーマというわけだ。しかも今回のシングルのマスタリングが終わったのも、ちょうど10月。どうして吾輩は、38年経った今も雨の10月に「エスピオナージ」を聴いているのだと思ってしまった(笑)。
車の中でボロボロ泣いてしまった
──当時は38年後にAliceと一緒にシングルを作るなんて、まったく予想してなかったですよね。
そうだね。レコーディングが終わって、ミックス前の音源が送られてきたのが9月上旬。ちょうど「悪魔の森の音楽会」(デーモン閣下と岡本知高による“劇的コンサート”)の山梨公演の時期だったのだが、会場までの車の中で「NEO」と「エスピオナージ」をずっと聴いていて、ボロボロ泣いてしまったのだ。正直言って、ここまで心を揺さぶられるとは思っていなかった。
──それくらいAliceの存在が大きかったということですか?
もちろんそれもある。ただ、聖飢魔IIの活動をガッツリやっていたときは、Aliceと距離を感じていたことも確かで。いくらAliceにロックな曲があるとは言え、聖飢魔IIとはかなり音楽性が違うし、楽曲を提供してもらうことなどあり得ないと思っていたのだ。その後、聖飢魔IIが解散し、ソロとして試行錯誤しながら曲を作り始めたのだが、聖飢魔IIと同じことはやりたくないという気持ちもあったし、いろいろなテイストの楽曲を歌っていく中で、「Aliceのような雰囲気の楽曲があっても不自然ではないな」と考えるようになってきて。一昨年のアルバム「うただま」では「君が代」まで歌ってるからな。そういう経験があったからこそ、意を決して今回楽曲の提供をお願いしてみようと思ったんじゃないかな。
──この時期でしかありえなかったコラボレーションなんですね。
制作のタイミングも絶妙だったんだ。Aliceのお三方は今年春から7月にかけてツアーの前半を行い、9月から来年にかけてツアーの後半を開催している。その間の時期に自分たちの新曲を録ることになっていたのだが、吾輩が話を切り出したのが6月で、「やるなら8月だね」とその日のうちに“ほぼ”決まったのだ。そもそもAliceが活動していなければ無理だったわけで、運命的だったと言えるね。そのおかげで夏はめちゃくちゃ忙しかったが(笑)。「うた髑髏」の"MUSIC VIDEO"の撮影とジャケット制作や、、前々から「いつか出そう」と言っていた津軽三味線の上妻君たちとの楽曲の録音、そして来年発表する楽曲の作詞作曲およびレコーディングも重なって。「忙しすぎる~」とぼやいたら、侍従は「このシングルを作りたいと言ったのは閣下自身ですよね」と言っていたがな(笑)。
──Aliceと閣下の共演による「NEO」のパフォーマンスもぜひ観てみたいです。
吾輩もやりたいね(笑)。テレビの歌番組で共演する予定があるのだが、どうなるかな。あとはAliceのコンサートにゲストとして加わらせてもらうか……まあ、それもAliceの三師匠次第だな(笑)。