ナタリー PowerPush - カーネーション

無敵のビートアンセム誕生! 新生カーネーションが向かう栄光の道

カーネーションが、2006年7月発売のアルバム「WILD FANTASY」以来となるオリジナル音源「ジェイソン」をリリースする。この3年弱、ライブアルバム「The Sounds of ROCK LOVE」 のリリースや、映画「ROCK LOVE」の公開、書籍「宇宙の柳、たましいの下着」の発売など、新作以外のリリースやライブは精力的に行っていた彼ら。満を持して発表された新作は、先日発表されたドラマーの矢部浩志脱退という衝撃をまったく感じさせない、荒削りな衝動に突き動かされたロックナンバーとなった。

新生カーネーション、そして自身の新レーベルの「デビュー曲」が生まれた背景と、結成25周年という節目を経たカーネーションの今後をメンバーに訊いた。

取材・文/津田大介 インタビュー撮影/中西求

新曲をリリースしたくてもできなかった

──今回の「ジェイソン」は、久しぶりのリリースですね。ライブ盤や映画、書籍などリリースそのものはありましたし、ライブも精力的に行われていたので「何でオリジナル音源のリリースだけこんなに間が空いたんだろう」ということが素朴な疑問としてあるのですが。

直枝 振り返ってみると、自然な流れでそうなったというか、自分たちだけではコントロールできない流れを受け止めて、その中でできることをやっ てきて今ここにいる……そんな感じですね。何せ、この2年半はいろいろ難しい問題が一気に降りかかってきたので。「ROCK LOVE」を映画にしたり、「宇宙の柳、たましいの下着」っていう本を1冊まるまる書いたり、そういう新しいことにも挑戦しつつ、これからのカーネーションをどうするか考えてましたね。いろいろチャレンジすることで、自分たちが置かれている状況を良い方向に変えるための動機やきっかけを探し てた……みたいな。

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──「置かれている状況」というと、2005年にそれまで所属していた事務所から独立する形で、事務所とレーベル(ハリケーン・レコーズ)をカーネーションのメンバーが中心になって設立しましたよね。さらに昨年末そこから独立し、直枝さんが代表を務める事務所(カーネーションオフィス)を設立することになりましたね。

直枝 前の状況は音楽的じゃないところで不透明な部分がいっぱいあって「俺たちの会社であってそうじゃない」ような感じだったんですよ。金銭の 問題とかもあったし、前向きに新曲をリリースしたくてもできないような状況で。組織の変な部分に巻き込まれたような形になって、どんどんフラストレーションがたまっていった部分はありますね。

バンドはゼロ年代ずっと問題を抱えていた

──「リリースしたくてもできない」というと、エイベックス時代の「SUPER ZOO!」をリリースする直前も、作品をコピーコントロールCDで出すかどうかで揉めたりしていましたよね。あのときもバンドとしてしんどい時期を乗り越えてアルバムを出すという感じだったわけですが。

直枝 いちいち何かあるよね(笑)。そのとき感じていたしんどさと今回のしんどさは違うものだけど、結局バンドとしてはゼロ年代に入ってからず っと何かしら問題を抱えていたんだよね。でも、本当にいろいろ大変なことがあったんだけど、振り返ってみると良い作品を残してるんですよ。こんなとんでもない時期によくもまぁこれだけ創ってきたなとは思 いますね。

──大田さんはそばで見ていて直枝さんの苦悩をどのように捉えていましたか。

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大田 相当悩んでたよね。身体にも(悪影響が)出てたしね。会社を運営するということと、音楽を創るということはなかなか両立しないというか、 俺たちも両方を同じようにはできないわけで。そこらへんをほかの人にうまくやってもらいたかった部分もあるし、うまく調整できれば良かったんだろうけど、まあ実際にやってみると難しいですわ(笑)。こっ ちは創る気持ちも動く気持ちもたくさんあったんだけど、状態を整えることができなかった。

直枝 ずっと曲は創ってて、新しいアルバムのために曲も用意して持ってくんだけど、そこから先が進まない。

──バンドにとって苦しい状況が続く中、追い打ちのように矢部さんの(椎間板ヘルニアの悪化による)脱退という厳しい現実が突きつけられた、と。

直枝 そうなんだよ。精神的にも肉体的にもストレスが頂点で身体はボロボロ。自分でも「いや、俺、このままだと死ぬな」って思ったもの。いろい ろな人見てるマッサージのおばちゃんにも「あなた、このままじゃ死ぬね」って言われたしね。

痛かった矢部浩志の脱退

──最初期の頃から不動のドラムだった矢部さんの脱退はカーネーションというバンドにとって大きな損失ですよね。ファンにとっては突然の脱退という感じだったんですが、前々からそういう話はあったんでしょうか。

直枝 うん。表向きは叩けているように見えても、本人は相当イライラしてた。去年の7月くらいに京都の磔磔でやってた頃、彼はもう精神的にも肉体的にも限界だった。

大田 人前で納得いかないプレーをしている自分が許せなかったんだよね。そのへんは本当に本人にしかわからない微妙な部分で、俺たちも少しずつ は感じていたけど、それでもまだ全然イケてると思ってた。

直枝 そうなんだよ。デリケートな人間だから我慢しちゃうところもあったんだろうけど、イライラを抱えているのはこっちにも伝わる。でも、彼の 身体のことだから何とも言えないし、どう触れていいのかわからない部分もあったんだよね。

──最終的にはお互いに話し合って納得のいく結果になったんでしょうか。

大田 脱退という形じゃなくて、治してほしかったね。

直枝 「治して帰ってくるのを待っているよ」ということはずっと言ってたんだけど、几帳面な人なんでね。「待たれていることがストレスになっち ゃう」と言っていた。彼は彼でMUSEMENT(矢部浩志のソロプロジェクト)という生き甲斐をこの何年かで見つけているんで、痛みと闘わないやり方があるんだったら、そっちに偏っていくのはしょうがないのかな と。俺もその気持ちはわかるしね。とはいえ、俺たちはやっぱりライブをやってナンボなんで。その中で彼を引きずりまわしていくなんてことは無理だしさ。

──仕方のない話とはいえ、切ないですね。

直枝 タイミングも悪かったね。去年の夏、前の事務所から独立することを決めてメンバーで話し合いを始めた日に彼が(脱退の)心を決めたような ところがあって(笑)、それが一番ショックだったな。

大田 いろいろな問題が重なったんだよな。

──それだけ個人としても、バンドとしてもしんどい状況があったのなら、極端な話ですが、バンドを活動休止させようとか、それともいっそのこと解散しようかとか、いろいろな選択肢はあったと思うんですが、あえて茨の道に進んでるようにも見えます。その原動力は?

直枝 いや、まぁそれが生きることだよね。生きなきゃいけないわけだから止まってられない。すべてが「え? え?」っていうことの繰り返しで来 てるから、そういうクエスチョンマークを1つずつ片付けていきたいじゃない。辛い状況でもその中でできることをフルにやっていかないと負けちゃうし、負けて終わりになっちゃうのが一番かっこ悪い。じゃあ今何ができるかって考えたら、振り切るしかない。

ニューマキシシングル『ジェイソン』 / 2009年4月15発売 / 1500円(税込) / Cosmic Sea Records / XQGL-1001

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CD収録曲
  1. ジェイソン
  2. Flange
  3. 恋するふたり
  4. ジェイソン(2002 legendary version) Live at SHIBUYA CLUB QUATTRO 2002.2.3
  5. ジェイソン(Short version)
カーネーション

プロフィール

1983年に前身バンド・耳鼻咽喉科のメンバーで直枝政広(当時は政太郎/Vo,G)を中心に結成。1984年にシングル「夜の煙突」(ナゴム)でデビューを飾る。現在のメンバーは直枝と1990年加入の大田譲(B,Vo)の2人。幾度かのメンバーチェンジを経て、数多くの名作を発表し続けている。緻密に作られた楽曲や演奏力抜群のアンサンブルはもちろん、直枝の人生の哀楽を鋭く綴った歌詞や、圧倒的な歌唱、レコードジャンキーとしての博覧強記ぶりなどで、音楽シーンに大きな存在感を示している。2008年に結成25周年を迎え、2009年1月、1986年加入以来不動のドラマーだった矢部浩志が脱退。現メンバー、直枝政広(Vo,G)と大田譲(B)の2人にサポートドラマー中原由貴(タマコウォルズ)を迎え、約2年半ぶりの新録作品となるシングル「ジェイソン」をリリースした。