「FICTION」は“制約の美学”を意識したアルバム
──では、新作「FICTION」について伺いたいのですが、「TITY」が“ボクとキミ”のアルバム、「Play time isn't over」が“ボクとみんな”のアルバムであるというお話を踏まえると、「FICTION」はどんなアルバムと言えますか?
高木 「FICTION」は、また“ボクとキミ”に戻ってきたような気もするけど、突き詰めると、“ボク”という感じですね。
──なるほど。制作の出発点はどんなところにあったんですか?
高木 まずあったのは、“制約の美学”を意識したということで。自由って案外自由じゃないというか、完全に自由な状態よりも、制約がある方が結果的に面白いものができるんじゃないかという考えが俺の中にあったんです。なので、今回は完全にクリックなし、5人の音以外は入れない、デモを作らない、実機の楽器しか使わない、加えて合宿で制作するというルールをまず決めました。今の時代、やろうと思えばなんでもできるんですよ。どんな音でもソフトウェア音源で手に入れることができちゃう。でも、便利すぎるがゆえの味気なさがあるなと思うんですよね。「昔がよかった」ということでもないんですけど、俺が面白いと思うものは「これしかなかった」という状況でこそ生まれるものなんです。
林 ジミヘン(ジミ・ヘンドリックス)のギターとかがそうだよね。彼は左利きだけど、右利きの人用のギターを弾いていたという。
高木 そうそう。今はどんな音でも入れようと思えばパソコンで入れることができちゃうから、そういう制約をあえて設けようと。あと、今回のアルバムに関して強調して言いたいことがあって。「Play time isn't over」から佐々木優さんというミックスエンジニアの方と一緒にやっているんですけど、「FICTION」の一番の功労者は優さんなんじゃないかと思っているんです。プリプロ、レコーディング、ポストプロダクション、ミックス、すべてを優さんと一緒にやっていって。本当に長い時間、一緒にいたんですよ。
──確かに「5人の音しか入れない」という制約の旨味を引き出そうと思うと、ミックスやポストプロダクションがより重要になってきますもんね。今回設けられたという制約に関しては、皆さんどう感じましたか?
林 僕は「サックスだけでどこまでできるんだろう?」という部分を突き詰めましたね。サックスが入るとどうしてもムーディになるんですけど、曲によってはそういうアプローチをしたくないので、そういうときにサクソフォニストとしてどうすればいいのか?という葛藤はけっこうありました。世の中のサクソフォニストはマルチになんでもやる人が多いんですよ。自分も少しはフルートやクラリネットが吹けたりするので、サックスがダメな場合はほかの楽器に置き換えてしまえば早いんだけど、今回は「自分はサクソフォニストなんだ」という根本から逃げるのは違うのかなと思って。そういう部分はすごく考えました。
高木 結果的に、かなり発明したもんね。“バンドの中で鳴るサックス”としては、世界規模で見てもすごいことをやっていると思う。
ドキュメンタリーだけどフィクション
──高木さんの歌詞や、アルバムの全体的な世界観に関してはどのように考えられていましたか?
高木 めちゃくちゃ個人的なことなんですけど、「これは歌にしなきゃいけないな」と思うことがあったんです。人を傷付けてしまうようなことを去年してしまって。
サトウ 暴力ではなく、恋愛的な面でね。
高木 そう。その出来事があったうえでまったく関係ないことは歌えないし、書かないと自分がキツいなと思った。でも、傷付けてしまった人に対してすべてを嘘なく書こうと思っても、絶対に限界があるんですよね。音楽にしている時点で脚色が入っているし、歌詞も事実を書くだけでは音楽的にならないし。その人への贖罪の気持ちを音楽にしたとしても、それを俺たちのファンが聴いて盛り上がっている様子を見て、その人はどう思うだろう、とか考えて……。俺は書かなきゃいけないけど、書くとしたら、どうがんばっても傷付けてしまう可能性があるなと思ったんです。
──ああ……なるほど。
高木 例えば太宰治の「人間失格」を俺たちは「面白いな」と思って読むけど、当事者がどうだったのかということは誰も知らないですよね。ドキュメンタリーのようにものを作ることって、真摯なようで危険性をはらんでいるし、結局は俺のエゴなんじゃないかとも思ったんです。でも、たとえエゴだとしても、避けたくないこともあって。最初は「FICTION」というタイトルではなかったんですけど、曲を作っていくうちに、どこかのタイミングで「これはフィクションだな」と思ったんです。ドキュメンタリーだけど、フィクションだなって。そこでアルバムタイトルを「FICTION」に決めて、2曲目の「ドキュメンタリ」とか最後の「エンドロール」なんかは先にタイトルを決めて作っていきました。
──このアルバムを「FICTION」と名付けたことは、高木さんにとってはどこかで悲観的な部分もあったんですか?
高木 いや、悲観しているわけではなくて、ただただ事実として、気付きとして、タイトルにした感じでした。
──何か強烈な出来事があったときに、それを「曲にしなきゃいけない」という感覚は、高木さんの中では常にあるものなのか、それとも去年の出来事が特殊だったのか、どう思いますか?
高木 常にあると思います。ただ、去年の出来事はあまりに強烈だったのと、今まではあまり深く考えていなかったんだと思います。自分はずっと後ろを振り返らずに生きてきたと思うんですけど、去年のその出来事があってから、内省することが多くなって。曲を書くってどういうことなのか、ものを作るってどういうことなのか、考えることが多くなった。なので、実際の出来事をもとに曲を書くというやり方自体は変わっていないけど、そこへの向き合い方が変わったんだと思います。俺は、伝えたいメッセージがあるわけではないんですよね。それよりも、出てきたものを書かざるを得ないという感覚の方が強いなと思います。
林 祥太は嘘をつけないんだと思うんですよ。
高木 嘘をついたから怒られたんだけどね。
林 だから、大ごとになったんじゃん。嘘をつけないくせに嘘をつこうとしたから、それがバレて大ごとになった。祥太にとって創作するということは、生身の高木祥太を出すことなんですよ。そういう音の作り方をしているし……人間臭いですよね。
これはあくまでバンドのアルバム
──高木さんのモードについては、皆さんどう受け止められていたんですか?
サトウ 俺は本当に不思議なことに、こいつ(高木)に大きなことが起こるタイミングで、俺も似たようなことが起こるんですよ。無意識のうちに影響されているのかなって思うんですけど(笑)。だから今回も、俺は祥太から出てくるものに対して、違和感がなかったです。「キツいだろうな」とは思っていましたけどね。俺もキツかったから。でも「キツくねえ?」と思いつつ、それを音楽にしてしまう祥太の集中力は、すごいなと思いましたね。末恐ろしいというか。
Kanno 祥太の悪い部分は前からずっとあったものだと思うけど、俺はそれが作品に昇華できるのであれば、人間性を否定したくはないんですよね。俺が高木祥太のアート性に惹かれる由縁でもあるんですけど、音楽に限らず俺が好きなアーティストは、自分が感じたものを作品を通してリアルにアウトプットしている人たちなんです。以前ヒップホップのプロデューサーと話していたときに、その人が「壮絶な人生体験をしていなければ、すごい作品は生み出せない」と言っていたんですけど、高木祥太はまさにそこに当てはまる男だなと思うし。
高木 でもそうちゃんは狭間で揺れていたよね? ミュージシャンとして思うことと人間として思うことの狭間で揺れている感じがした。
Kanno 最終的に俺は祥太と、ディアンジェロとクエストラブみたいな関係性でいられたらいいのかなと思っていて。
──強烈な才能をバックで支える役割ということですよね。
高木 でも、これは言っておきたいんですけど、俺はこのアルバムを「俺のアルバムだ」とは思っていないんですよ。自分のことをアーティストだと思っているわけでもない。歌詞は俺が書いているけど、あくまでもこれはバンドのアルバムだから。あくまでもBRIEMENの作品だし、なんなら今までで一番みんなに委ねたアルバムでもあるし。今回のアルバムが今までで一番、5人の音がいいバランスで鳴り合っている気がするんですよね。誰かが裏側に回るわけでもなく、絶妙なバランスになっていると思う。「Play time isn't over」は5人以上のいろんな人の顔が見えるアルバムだったけど、今回は5人の顔がはっきり見えるアルバムになったと思うんです。
いけだ そうだね。ほかのバンドがどうやって曲を作っているのかわからないけど、俺たちはそれぞれが好きな色を塗りたくって、その結果として「いい絵じゃん」となることがけっこうある気がして。「お前のそれはダメだよ!」と言われることがない。それはBREIMENというバンドの根幹にセッションがあるからだと思うんですよね。即興劇にも「イエスアンド」という精神がありますけど、相手のことを「イエス」で受け入れたうえで、「じゃあ、俺はこうするわ」と進んでいく。それはやっぱり、セッションなんだと思うんですよ。
高木 人間もあると思うよ。この5人の人間性。
いけだ そうだね。セッションや人間性、いろんな要因があると思う。今回のアルバムは特に5人がそれぞれ好き勝手にやって、それがうまく作用して、結果的にいいアルバムになったと思いますね。
──本作があくまでもバンドのアルバムという前提のうえで、それでも高木さん個人として、この「FICTION」というアルバムを作り上げたことは大きな体験ですよね、きっと。
高木 そうですね、何かが一件落着したわけではないんですけどね。ただ、2021年が明けていない感覚がずっとあったのが、このアルバムのミックスダウンが終わったことで、やっと2022年が来た感覚がありました。
──今日はBREIMENとしての歴史を振り返るような形で話を伺いましたけど、3作のフルアルバムはそれぞれが違ったベクトルの濃密さがあって、バンドの変化と芯の太さを感じました。「FICTION」がリリースされ、「MELODY」の余波もあると思うし、BREIMENは世の中からいろんな求められ方をされていくと思うんですけど、そこに対してはどう考えていますか?
高木 求められるものは見ないようにしていますね。むしろ予想は裏切っていきたいし、俺は超飽き性なので、自分が飽きないようにやっていくほうが重要で。今日振り返ってみても思いましたけど、「Play time isn't over」は「TITY」の延長線上にはない作品だし、「FICTION」も「Play time isn't over」の延長線上にはない作品になっている。結局、いかに自分たちが面白がってやれているかが重要だと思うんです。そこにはジャンルも関係ない。「枠を取っ払う」なんてよく言うけど、俺たちはそれを本気でやっている気がします。音楽に限らず、普段から「自分はこうだ」と無意識に思ってしまう“枠”ってあると思うんです。それを取っ払うのって意識しないとできないことで。とにかくいい感じに、いい感じに……って作っちゃうと、結局は同じようなものしか出てこなくなるから。BREIMENとして、どういう曲が評価されるのかというのも雰囲気としては見えているんです。でも、それも追いたくない。それをやっちゃうと、楽しくなくなるような気がするんですよね。
記事初出時、人名に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。