BILLIE IDLEプロデューサー・NIGO|プロデューサー・NIGOが語るBILLIE IDLE解散の理由

メンバーのやりたいことを応援している

──プー・ルイさんの加入から1年が経ち、今年は特にファーストサマーウイカさんがテレビのバラエティ番組やドラマに出演するなど、露出の機会が増えてきました。

ウイカに初めて会ったときから、彼女はすでにファーストサマーウイカでしたから、昔と何も変わらない存在です。最近テレビなどで注目を集めていることに関して言えば、もともと彼女は個人として役者やタレントとしての活動にもすごく前向きでしたし、相談も受けていたので、今の活躍を見ると素直に「ウイカ、ホントによかったね」と思います。僕のアトリエに集まる仲間の中からスターが生まれたのは、大変うれしく誇らしいです。ただお茶の間では「BILLIE IDLEのファーストサマーウイカ」という認知は低かったと思いますし、メンバー1人が突き抜けたからといって、グループが売れるかと言ったら、それはまた別の話で。このビジネスの難しいところでもありますよね。

──なるほど。

今回解散という形にはなってしまいましたけど、グループの中の1人が売れたから、それが原因で云々……みたいなよくある話ではないです。ウイカはBILLIE愛が誰よりも強いので、本人も歯がゆいところもあったと思います。絶対に誰も断らないだろうという仕事のオファーがあったのですが、BILLIE IDLEのためにそのオファーを断り、最後のツアーを最優先してくれました。BILLIE IDLEはウイカなしでは成立しなかったでしょうし、ここまでよく引っ張ってきてくれたことに、とても感謝しています。

──プー・ルイさん加入によって、歌の面を含めてより強力になったと思いますし、グループとしてはいい状況になっていってましたよね。

それはもちろんそうですし、現に動員も増えました。プー・ルイに入ってほしいというのは僕の強い思いで、もともとは2014年にBiSが解散するとき、僕はプー・ルイに一番魅力を感じていました。破壊力もあり、才能もあり「この娘すごいな」と。でも当時の彼女はすでにバンド(LUI◇FRONTiC◆松隈JAPAN。のちのLUI FRONTiC 赤羽 JAPAN)で活動することが決まっていたので、自分のプロジェクトに誘える状態ではありませんでした。ウイカとノンちゃん(ヒラノノゾミ)に声をかけて始まったのがBILLIE IDLEですけど、プー・ルイとはいつか何かやってみたいという思いがずっとあったので、第2期BiSを辞めると聞いたときに渡辺くん経由で聞いてもらって、本人も前向きに検討してくれて、加入してくれたことには本当に感謝しています。やはり4人から5人になって見え方も良くなったし、プー・ルイは存在感もあるので、すごくBILLIE IDLEは安定しました。

──ヒラノノゾミさんもそうですし、モモセモモさんとアキラさんの2人姉妹は活動の主軸がBILLIE IDLEでした。

BiSのときからステージに上がっているノンちゃんの発する何かに取り憑かれてました。普段のいい意味でのアナーキーなノンちゃんも好きでした。BILLIEではノンちゃんより歳下のメンバーもいたので、BiSのときとは違う一面も見れ、成長が目に見えて、大人のノンちゃんになりましたよね。秘めたる才能はグループイチだと思います。モモセもその存在が怖いくらい成長したと思います。ライブで歌っているモモセの太々しく、堂々とした、その殺気のようなオーラには魅了されます。ステージではウイカの存在すら消しますから、まったく脱帽です。アキラは日比谷野音のライブ(2016年開催の「ANARCHY TOUR FINAL "IDLE is DEAD!?"」)を観に来てくれて、そのときバックステージで初めて会いました。元メンバーのヤスイユウヒから勇退したいと言われていた時期で、代わりに入れるならアキラしかいないと直感しました。最初は動きや、歌い方などヤスイ感がかなり強く、キャリアもなかったので、ヒヤヒヤでしたが、本人の努力もあって、今ではオリジナルのアキラになってくれたことはとてもうれしいです。

──メンバーの今後については何かもう決まっているんですか?

個々に決めていくと思います。すでに次が決まっているメンバーもいるかもしれません。

BILLIE IDLE。アルバム「NOT IDOL」リリース時(2018年11月)。

楽しくやっていく中で成功する難しさ

──2017年11月に4人編成で最後のアルバム「LAST ALBUM」を発表した際には、NIGOさんと渡辺さんにインタビューを行いました(参照:BILLIE IDLE「LAST ALBUM」特集 NIGO&渡辺淳之介インタビュー)。その際にもNIGOさんは「1回負けを認めるしかない」「僕のエゴがこれでラスト」とおっしゃってました。

あのときも違う意味でシンドかった時期でした。「もう最後かな」という気持ちもあって「LAST ALBUM」というタイトルにしました。でもあのときは苦境も乗り越えられました。

──NIGOさんは同時期にデビューしたBiSHとの伸び具合を比べていましたが、ライブの動員、インストアイベントとお客さんは多く集まっていたと思うのですが。

CDを売るためにがんばってメンバーが稼働してくれてオリコンのチャートにも入るようにはなったものの、ライブの動員数に直接影響することもありませんでした。そこからメジャーレーベルや地上波など、次につなげられなかった悔しさはあります。1つの“村の中の話”で終わってしまっている感覚です。努力が知名度に結び付いて広がっていくのが理想ですけど、なかなか村から広がることがなかった。自分も自分としての活動が多忙で、常にメンバーと行動を共にすることもできず、もっと時間を共有して、一緒に切磋琢磨できたら、面白いアイデアや仕掛けができたのかもしれません。BiSHと比べることは意味がありませんが、ほぼ同時期にできたグループとして考えると、渡辺くんはやはり天才なんだなあと思います。最終的に僕1人のプロデュースという形にはしましたが、渡辺くんとは仲が悪いなんてこともなく、今でも変わらずBILLIEのことは相談しています。彼のやり方はかなりストイックですし、僕のやり方は恐らく彼の対局でぬるま湯です。録音スタジオや練習のスタジオなど、環境面も整えました。自分が苦労してきたので、しなくていいなら苦労はしなくていいと思っています。そもそもBILLIE IDLEのアイドルは、動いていないとか、怠け者という意味なんです。

──ちなみに共同プロデュースを辞めた真意というのは?

なんとなく中途半端な気がしたので。WACKでもなく、オツモレコードでもなく、どっち付かずで……。「はっきり分けましょうか」と僕のほうから相談させてもらいました。関係性を切るというよりは、見え方の問題だったので、そこは彼も快く理解を示してくれました。