BBHF|今この現実を歩み続ける人々を美しく描きたかった

BBHFの2ndフルアルバム「BBHF1 -南下する青年- 」が9月2日にリリースされた。

昨年バンド名を改名すると共に「Mirror Mirror」「Family」の2作品をリリースしたBBHF。明瞭な音楽的飛躍を聴かせる両作を経て発表された2枚組のフルアルバムは、作曲、歌詞、アレンジ、演奏、歌唱、ミックスがより洗練され、圧倒的なスケール感で迫りくる作品に仕上がっている。綿密なプロダクションであることに変わりはないが、その細部を凌駕する勢いでフィジカルなバンド演奏の快楽性が、「南下する青年」という壮大だが日常的でもあるテーマと共に立ち上がる。そのスケール感において、本作はThe Who「四重人格」やPink Floyd「THE WALL」、ブルース・スプリングスティーン「The River」のような存在と比されるべきロックアルバムと言っても過言ではないだろう。

音楽ナタリーでは、フロントマンの尾崎雄貴(Vo, G)にオンライン取材を実施。北海道のプライベートスタジオでの作業の合間を縫って現れた尾崎は、「続ける」という実直な行為をもって完成させたフルアルバムについて詳しく語ってくれた。

取材 / 柴崎祐二 文 / 音楽ナタリー編集部

より遠くへ旅をしたくなった

──昨年11月の作品「Family」リリースから時間も浅い中、2枚組全17曲の作品を作り上げたというその創作意欲にまず驚きました。制作はいつ頃から開始したんでしょう?

BBHF(Photo by Iwai Fumito)

今年に入ってから作り始めました。去年のツアー中、「来年の半ば頃には2枚組の新しいアルバムを出す」って話をMCでしていたんです。さもアイデアがあるような感じで言っていたんですけど、実はその時点で新しい曲は1曲もなくて(笑)。そうやって自分を追い込んで、いっぱい曲を書いていったんです。

──「Family」にも感じられたフィジカルなロックバンド演奏の快楽性みたいなものが、歌唱の強靭さも含めて、「BBHF1 -南下する青年- 」では全面的に開花している印象を受けました。

正直、意図せずにわりと自然とそうなったのかなという気がしていて。まずは純粋に今何をすれば楽しいのかというのを突き詰めていった感覚ですね。僕もメンバーも基本的にはインドアなタイプなので、リラックスした制作環境で素直に好きなことに向かって楽しみながら曲を作っていった結果、フィジカルなバンド感が強く出てきたのかもしれないです。それとアルバムを通して設定した「南下する青年」という今回のテーマが、自然とそういう肉体感というか、「音楽の熱に触れる」という感覚を引き出しているのかも。

──リラックスした制作環境というのはどのような環境だったんでしょうか?

基本的に今僕がいる札幌のプライベートスタジオで録音しました。以前の地下室スタジオから今回新しく3世帯用の物件に引っ越したんです。その中の1世帯をスタジオにしている形ですね。子供っぽい表現ですけど、新しい秘密基地で遊んでいるような感じで楽しかったです。今もインタビューの後ろで少し音が聞こえていると思うんですけど、メンバーに曲のアイデアを練ってもらっている最中です(笑)。

──「北から南への移動」というコンセプトはどこから出てきたんでしょう?

自分で思い返してみると、特に明確なきっかけとかはないんですよね。前のEPの時点からぼんやりとあって。常に頭の中にあるいくつかのコンセプトから、どれを出していくかっていう感覚なんです。

──普段の生活の中でふと考えたことがアイデアにつながっていく?

そうですね。今回の場合は、普段から移動をする中でぼんやり考えていたことで。僕らは北海道を中心として活動しているし、生活の拠点も北海道なので、例えばツアーを回るとかプライベートで旅行に行くとか、日本国内を移動する場合、基本的に南下するのみなんですよ。

──あー、そうか。

そういう現実的な感覚に加えて、今後自分の人生にとっても大事になるだろうキーというか、これさえ手にしてしまえばという何かを、BBHFとしてEPを2枚出したり、自分の生活を送ったりする中で得た気がしていて、それもインスピレーションの1つになっていますね。その鍵を得たことで、精神的にもより遠くへ旅をしたくなったというのがあって。今自分は安心できる環境にいるとは思っているんですけど、そこから精神だけでも離れていこうとするような冒険心。それに加えて、最近僕の中で大きなテーマになっている、人との関係に対しても物事に対しても、自分の仕事に対しても、愛情をもって継続していくということについてのエネルギーや、それらを続けること自体の価値のようなもの……そういうことと向き合った結果、今回の「南下する青年」というテーマがでてきたように思います。

歩んでいる人自体が僕は好きなんです

──壮大なモチーフがありつつ、あくまでその視点は日常的で、パートナーとのやりとりだったり、生活に根ざした要素が多く織り込まれているのが面白いなと思いました。テーマ的には全面的にSF的な描き方にしてしまうとかもできたかもしれないけど、そうじゃなく、あくまで日常性を手放していない。

メンバーにも言われるし、ファンにもときどき言われているのを見かけるんですけど、僕自身の歌詞が徐々に「リアル」に近付いてきているなっていうのは自分でも思っていて。それはたぶん、このところの自分の感情の動きがすごく現実的なものになってきているからだとも思います。

──具体的には、どういう変化でしょうか?

尾崎雄貴(Vo, G)(Photo by Iwai Fumito)

うーん……例えばGalileo Galileiの頃は、自分を中心に世界が回っていると本当に思っていたし、自分の胸の内に秘めた思いがそれのみで無限の可能性を秘めていると思っていたんです。自分の精神の中のイメージを人に伝えることが自分にとってのソングライティングだった。でも今はそうじゃなくて。もちろん自分があるからこそ世界を認識することができるわけだけど、結局自分は地球という星の上に立っていて、例えば急に核爆弾が落ちてきて自分が消し飛んだり、ある人が車の運転を誤って轢かれて死んでしまったり、何が起きてもおかしくないわけですよね。だから最近は、あくまで世界がある中で自分が存在するという感覚のほうが強くなってきていて。今は自分の身の回りのことだったり、今見ていること、話している相手のことを、より美しく描き出していきたいという気持ちがあるんです。その美しさと日常の感覚を両立させていくというか。これまでの作品でもよくテーマにしてきたように、ずっとファンタジー的なものが好きだったんですけど、いよいよその世界から飛び出した感覚があります。

──確かにそれはすごく感じました。ファンタジーに振れていきそうな大河的なテーマだけれど、あくまで他者や社会への視点が内在している。

ファンタジーやSFというのは、それ自体をイメージする人がそのイメージという行為をやめたら、存在することもなくなるじゃないですか。例えばとてもつらいシーンがあったとしても、途中で観るのをやめることができる。けれど、自分の人生は、それが明らかにハッピーエンドに向かってないとわかった時点でも、原則的にやめることできないわけで。

──生きるのをやめるという選択肢でしかそれを止められないとしても、そこへは当然短絡的に帰着するべきでない、と。

そう。トイレに行かなきゃいけないのも、体を洗わないといけないのも、病院に行って健康診断を受けないといけないことも、嫌だとしても続けなければいけない。実生活があって、お金のことはいつも考えてなきゃいけない。人はやっぱりそれらを続けていく。そこにとても興味があるんです。そういうことを美しさと別の次元で考えて貶めるんじゃなくて、もっと素直に捉えるべきなんじゃないかなと思っていて……そういう意味での「現実性」を考えています。

──無限に足踏みをしたり、ニヒリズムに陥ったりということが「表現」に回収されがちな中にあって、そういうことをちゃんと表していくというのは、とても貴重だと感じます。

歩んでいる自分を鼓舞するためというのもあるかもしれないけど、やっぱり歩んでいる人自体が僕は好きなんです。自分の目の前に今いる人たちも自分たちとの関係を続けてくれていて。そういう人たちへの愛情を表現したかったというのもありますね。