「ミュージシャンとしてこういう感じで生きていけるんだ」
──Base Ball Bearの制作スタイルはどうですか?
堀之内 昔からそんなに変わってないですね。ちょっとデータのやりとりが増えたかな、というくらいで。
雄貴 僕らが10代のときに聴いていた頃の曲はどうやって作ってたんですか?
小出 「C」の前年(2005年)はデビュー準備期間みたいな感じだったんだよね。先輩バンドの前座をやらせてもらったりしてライブの経験を積みながら、ずっと制作をしていて。その中で、「ELECTRIC SUMMER」(2006年発表のメジャー1stシングル)ができたんですよ。2005年の春先にはあったんじゃないかな。
関根 そうだね。
小出 でも「この曲を出すのは来年(2006年)の夏がいい」という話になって。デビューは春の予定だったから、そのための曲を作らなくちゃいけなくなったんだよね。で、2005年の暮れくらいからプリプロを始めて。結局EP(「GIRL FRIEND」)でデビューするんだけど、「GIRL FRIEND」以外の3曲が先にできて、「この中からデビュー曲が決まるんだろうな」と思ってたら、「じゃあ表題曲作ろうか」って言われたんだよ。
堀之内 EPが完成するまで、ずっとスタジオにいたよね(笑)。
小出 堀之内さん以外のメンバーが俺の家に集まったりもしてた。それこそ1曲入魂というか、1パーツずつ作って。すごい牛歩だったよね?
関根 そうだね。若いときってそうなりがちだと思うんだけど、練りに練りまくるというか。「これでいいかもしれない」と思っても、1フレーズずつ何度も確認してました。
雄貴 フックみたいな部分から作ったんじゃないんですか?
小出 いや、「GIRL FRIEND」は頭から作ったんだよね。制作に関しては、「十七歳」(2007年発表のメジャー2ndアルバム)の頃には時間的にまったく余裕がなくなって。ライブ活動と制作が網目状になってくるというか。インディーズの頃からそういう経験がなかったから、体と頭が追いつかなくなったんだよね。で、プロデューサーとしてagehaspringsの玉井健二さんが入ってくれて、曲作りの手法を叩き込まれるんですよ。それまでは頭から順番にだったし、勘で作ってたんだけど、そこに少しずつ理屈がついてきて。
雄貴 そうなんですね。Base Ball Bearの楽曲は歌詞のリズム感や言葉の色合いが、ギターの掛け合い、ドラムやベースともすごくフィットしていて。ボーカルも楽器の1つとして機能しているのが衝撃だったし、めちゃくちゃ気持ちよかったんですよね。あと僕は、小出さんのブログも読んでたんですよ。
堀之内 キツイやつね(笑)。
雄貴 ブログを読んで、「ミュージシャンとしてこういう感じで生きていけるんだな」って……。
小出 こんな人間でも(笑)。
雄貴 いえいえ(笑)。すごく鋭利な人だなとも思っていたので、ラジオで話したこときも緊張したんです。
堀之内 確かにかなり鋭利だったよね。
関根 今はだいぶマイルドになった気がします。
堀之内 関根さんは今のほうが鋭利かも。
関根 私は子供返りしてるのかも。30歳くらいまでは「大人になろう」と一生懸命だったんだけど、30代になって「自分がなりたかったのはこれじゃない」と思って。
小出 自分のことで言えば、単純に社会や他人と関わることが嫌いすぎたんですよ。そのせいで不必要にエッジが立ってたところもあると思うんですよね。今は年を重ねて丸くなったというより、他人を放っておけるようになった。自分と関係ないものは関係ないと思えるようになって、わざわざ敵視したり攻撃する必要はないなと。
雄貴 なるほど。僕らがBase Ball Bearを聴き始めたのは10代中頃で、年齢的に将来のこととか社会的なことが押し寄せてくるのが見えてきた時期だったんですよ。Base Ball Bearはそのことを表現するというより、素敵な瞬間みたいなものを切り取って音楽にしている感じがあったし、小出さん自身もそれを体現している気がして。それも含めて、すごく勇気をもらえたんです。
小出 ……よくないね(笑)。ありがたいけど虚像、虚ろなビジョンを見させてしまった気がする。
デビューの頃って、記憶ないよね
──Galileo Galileiは地元である北海道を拠点にしているし、いい意味で青春期の雰囲気を持ったまま活動できているのでは?
雄貴 そうかもしれないですね。プロになったというか、仕事になったことで気持ちの切り替わりは各々あったと思うけど、それでも変わらず音楽をやっているので。僕の場合はどちらかというと、問題が起こるときは外的な要因が多かったんですよ。メジャーデビューしてレールの先が見えたことだったり、ライブの回数だったり、タイアップだったり。そういうことでメンバーとの関係値が変わったタイミングもありました。
小出 そうなの?
雄貴 はい。そのときに岩井くんが抜けてしまって。
小出 無理だなと?
堀之内 まず本人に聞きましょうよ(笑)。
岩井 (笑)。周囲からの期待とか俺たちを取り巻く状況とか、いろいろですね。記憶がないくらいめまぐるしかったので。
堀之内 それはめちゃくちゃわかる。
関根 デビューの頃って、記憶ないよね。
岩井 上京したんですけど、しばらくして北海道に帰って。みんなで一軒家を借りて、ガレージを改造してスタジオを作って、給料を全部機材にぶち込んで。自分たちを守るための城を作って、そこでいろんな実験をしながら、世の中に作品を出していこうとしたんです。それは本当に喜びの連続だったんですけど、同時に孤独な感覚もあった。自分たちの内側にエネルギーを向けていたし、音楽業界のトレンドとの乖離とか、「誰にも理解してもらえない」という感じがメンバーの中にあったんですよね。で、「自分のバンドをやりたい」とみんなに告白しました。
雄貴 荷物をまとめて出て行きました(笑)。
岩井 その後FOLKSというバンドを立ち上げて。その間もずっとGalileo Galileiを横目で見てたんですけどね(笑)。彼らはBBHFとして活動し始めて、それから何年か後にまた交差して……。なので、さっき小出さんが「新しいアルバムがいい」と言ってくれたのはすごくありがたかったんです。完全体になったGalileo Galileiのアルバムなので。