ナタリー PowerPush - あらかじめ決められた恋人たちへ
池永正二が語る「DOCUMENT」劔樹人が語る「劔樹人」
「僕ってもしかしてけっこうイケてるんじゃないか」
──飛躍的にうまく弾けるようになったきっかけはなんだったんですか?
その頃はハードコアをやってる先輩にちょっと憧れてて、「この人みたいに弾けるようになりたいな」って思ってたんです。当時Dead Kennedysとかが好きだったんで、ピックでダーッて弾くみたいな感じがいいなって。でも別の先輩から「お前はそういう弾き方よりも、リズムが揺れるようなふわっとした、ファジーでブレがある感じが向いている」って言われて。最初はイヤだったんですよね、そう言われたのが。
──やりたかったことと全然違いますもんね。
そうだったんですけど、当時京都で活動してたちぇるしぃとか、ゆらゆら帝国とか、そういういっぱい弾きまくるベースを研究してた時期があって。ゆら帝の亀川千代さんは活動が進むにつれてだんだん音数が減っていくんですけど、初期はすごく弾きまくってましたよね。この人たちのベースは、音数は多くてもカッチリ縦に並んだビートじゃなくて、ふわふわっと乗っけてる感じのリズム感で、それが気持ちよくなってきたんですよ。さらにいっぱい弾くルーツをたどってザ・ゴールデン・カップスのルイズルイス加部さんとかもコピーして。そうやって練習を続けてるうちに、ある日その感覚が自分の中にスッと入ってきて、「あっ、これだ!」って。
──先輩は正しかったんですね。
だからイデストロイドでも、ほかのメンバーがダーッて音を鳴らしてる中で、あんまりオンビートじゃない、なんというか大蛇が這うようなウネウネしたベースラインを弾きまくろうと意識しまして。ほかの人とは違う、自分なりの持ち味に気付くことができて、楽器やって初めて自分の中で「僕ってもしかしてけっこうイケてるんじゃないか」って思えた瞬間でしたね。
人生を変える出会いはアイドルが作ってくれた
──自分の演奏スタイルをつかんだのも先輩の助言がきっかけですし、先ほど「周りの人たちに流され続けて」って言いましたけど、必ずいいタイミングでいい方に出会ってる感じがしますね。
確かに運がよかったんですかね(笑)。実は今でも続いているアイドル趣味に目覚めたのもそんな感じですから。ちょうどイデストロイドを辞めて、ハローワークで適当に探した、給料も安くてしんどいデザイン会社に勤めてた頃、たまたま僕の家に寄った友達が、あまりのツラさに暗い部屋の隅で1人で早川義夫さんの「サルビアの花」をさびしく聴いてる僕の姿を見たらしくて。「これはヤバい!」と思って、アイドルのPVをいっぱい詰めこんだCD-Rをポストに放り込んどいてくれたんですよ。「これ観て元気出せ!」って。それがあややとの出会いでした。これは相当でかいターニングポイントだったと思います。
──その友達も、そこまで劔さんの人生を変えるできごとだと思ってなかったでしょうね(笑)。
絶対思ってないですよね(笑)。でも、それからアイドルにのめり込んで、モーニング娘。とかのコンサートに行くようになって、アイドル好きの友達がどんどん増えていって。平日はずっと泊まり込みで仕事だったんですけど、週末はその友達とソフマップのAV女優の握手会に行ったり、一緒に一晩中「ハロー!モーニング。」の録画を観たりして、毎日楽しかったですね。
──私生活が充実してるから、仕事のツラさを感じなかった、と。
だけどその頃もう1つのターニングポイントが。大学の後輩のかわいい女の子から「あややのコンサート、今度連れてってくださいよ」って言われてたんですよ。女の子に誘われるなんて、それはもう自分にとってすごいできごとで。「マジで!?」って浮かれてたのに、当日「おなかが痛い」って言われてドタキャンされちゃって。もうガッカリして、余ったチケットを500円でダフ屋に売ったんです。で、席が連番だったからダフ屋からそのチケットを買った人が隣に座ったんですけど、それが40歳過ぎのすごく体が大きなおじさんで。そのおじさんが全力で楽しんでるところを見ていたら、急になんか「お前は本当にこのままでいいのか?」って言われてるような気がしてきて。
──現実を突きつけられたような感じですか?
そうそう。それまで毎日が楽しくて満足してたフシがあったんですけど、でもこのままだと自分はこのおじさんになるのかと。それでなんとかしなきゃと思って、アイドル好きの仲間たちと一緒にイベントを始めるんです。その後、またバンドをやるのもそれがきっかけだし。振り返るといろんな出会いがあったけど、それをつなげてくれたのはアイドルだったんですよね。
──ハロプロが人生を変えてくれたと。
ホントにそうだと思います。性格も変わったし。ぼんやりしてて悩みがちだったのがやたらおおらかになって、だいたいのことは悩まずに「まあいいか」って思えるようになりましたね。
──それが今の劔さんの感じにつながるんですね。
まあ、自分の生活が今みたいな感じになるとは思わなかったですけど、実際は大阪でアイドルファンをやっていたその頃から、やってることはそう変わってないんですよ。僕は今東京で、杉作J太郎さんがやってる男の墓場プロダクションのメンバーみたいな感じで活動してますけど、それもメンバーが違うだけで、もともと僕の友人たちが大阪でやってたこととリンクしてた感じがあって。例えば、男の墓場プロがエアセックス世界選手権をやってますけど、エアセックスって僕が大阪にいた頃、同時多発的に僕の友人たちもやってたりしてるんですよ、不思議なことに。まあ、とはいえ杉作さんともモーニング娘。を通じて大阪時代から交流があったんですが。
- ニューアルバム「DOCUMENT」/ 2013年9月11日発売 / KI-NO Sound Records / KI-NO 001
- [CD] 2600円 / KI-NO 001
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収録曲
- カナタ
- Res
- Conflict
- へヴン
- クロ
- テン
- days
- Fly
"Dubbing 06" あらかじめ決められた恋人たちへ Release TOUR 2013
- 2013年9月22日(日)
- 京都府 京都METRO
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ / LAGITAGIDA - 2013年11月1日(金)
- 大阪府 梅田Shangri-La
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ - 2013年11月2日(土)
- 愛知県 池下CLUB UPSET
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ - 2013年11月9日(土)
- 東京都 代官山UNIT
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ - 2013年11月16日(土)
- 福岡県 天神graf
<出演者>
あらかじめ決められた恋人たちへ / LAGITAGIDA / チーナ / 百蚊 / Hearsays - 2013年11月23日(土・祝)
- 岡山 YEBISU YA PRO(オールナイト)
<出演者>
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あらかじめ決められた恋人たちへ
(あらかじめきめられたこいびとたちへ)
1997年、池永正二(Track、鍵盤ハーモニカ)のソロユニットとして活動をスタートしたエレクトリックダブユニット。当時の池永の勤務先、大阪・難波ベアーズを中心としたライブハウスやカフェ、ギャラリーなどでライブ活動を開始し、2003年アルバム「釘」をリリースする。2005年のアルバム「ブレ」のリリースを経て、2008年に拠点を東京に移すと、クリテツ(テルミン、Per、鍵盤ハーモニカ)、元ズボンズのキム(Dr)、元ミドリの劔樹人(B)を迎えたバンド編成でのライブを積極的に展開。同年に3rdアルバム「カラ」を、2009年にはライブ音源をエディットしたフェイクドキュメンタリー的アルバム「ラッシュ」を発表する。そして2011年に全曲バンドレコーディングによる「CALLING」を発売。これと前後して“叙情派轟音ダブバンド”としてその名を広く知らしめ「FUJI ROCK FESTIVAL」「BAYCAMP」「RISING SUN ROCKFESTIVAL」「朝霧JAM」など、大型ロックフェスにも多数招へいされる。2012年、30分2曲のミニアルバム「今日」をリリースし、2013年9月には5枚目のオリジナルアルバム「DOCUMENT」を発表した。