安東由美子|うつ病とパニック障害を乗り越え、2度と戻れないと思っていた音楽の世界に

スポットライトに照らされている人がうらやましくて仕方なかった

──復帰後、2016年5月には4年ぶりの作品となるミニアルバム「スポットライト」がリリースされました。収録されているすべての曲は安東さんご自身が作詞・作曲・編曲・プロデュースを手がけていますね。

安東由美子

はい。私は譜面がほぼ書けないので、つたないピアノでデモを作って、構成や細かいフレーズなんかは口で説明しながらミュージシャンの方々に演奏してもらいました。牧野さんにも協力していただいて、自分のイメージを具現化していただいている感じです。牧野さんはレコーディングエンジニアさんなんですけど、影のプロデューサー的な役目もお願いしている感じでした。病気に関しても本当に理解が深くて、いつも心配していただいていたので、私の中で復帰作は牧野さんとご一緒することは決めていました。日本のJ-POP界で名エンジニアと呼ばれる牧野英司さんなのに、こんなに心を開いていつもいられるのが不思議なくらい、信頼を寄せています。プライベートでも相談したり、たわいもない話をしたり、牧野さんからはいろんな優しさをいただいています。

──セルフプロデュースにしたことで、ご自身の表現でも変わったところはありました?

「提供曲は受けない」という考えはデビューから今まで変わりはないんですが、制作の仕方は変わりました。今作ってる曲なんかもそうなんですけど、歌詞がだいぶ変わったと思います。全部詞先です。恋愛曲が少なくなり、今の時代を切り取って、そこで生きる人の気持ちを歌ったようなものが多くなった気がするんですよ。それはセルフプロデュースだからと言うよりは、病気で一度活動をやめたことが影響しているのかもしれないですね。

──「スポットライト」収録曲で言うと「自由の国」なんかがそういう傾向の歌詞ですよね。

そうですね。基本、私は実体験しか書けないので、「朝起きたら憂鬱な感情」とか「夜眠るときはまた不眠症」とか、自分に起こったことを素直に書いてます。で、それはきっとほかの誰かも体験したことがあることだとも思うので、そういったことを包み隠さず書くことで、聴いてくださる方の力になれるんじゃないかなって。自分の病気を公表したことにもそういう思いがありました。

──生きてれば楽しいことだけじゃないですからね。

そうそう。私は根暗なので(笑)、毎日を100%楽しく生きてる人なんていないと思っているんですよ。なので、ネガティブな感情さえも世の中の人たちにちゃんと伝えていきたいなって思いますね。それは全然隠すことじゃないんだよって。今までのライブでは男性のお客さんが6割くらいだったんですけど、今は女性が9割くらいになっていて。そこも歌詞の変化を感じ取ってくれているからなのかなとも思いますね。

──ミニアルバムの「スポットライト」というタイトルには、再び表舞台に舞い戻り、まばゆい光を浴びていきたいという思いが込められているように感じましたが。

そうなんですよねえ。最終的にはなんだかんだ言って“スポットライト”を浴びたいと思って(笑)。正直、自分が病気で休んでいるときはある意味、暗闇の中にいるような状況だったんで、たまにほかの方のライブを観させていただくともう、うらやましくてしょうがなかったんですよ。「スポットライトに照らされて、いいな」とか「ライブができるなんてうらやましい!」みたいな気持ちが募るばかりで。でもそのときは何もできない自分がいた。だから、またいつか活動できるときが来たら「スポットライト」っていうタイトルの作品にしたいなと思っていたんです。同時に自分への甘さも実感して、思い付いたタイトルです。

奇跡的なスピードで病気が完治

──その願いは現実になったわけですけど、今年の3月には再び無期限のライブ活動休止の発表をされましたよね。それもうつ病、パニック障害の悪化が理由でした(参照:安東由美子が病気と向き合うため期間を決めず休養)。

安東由美子

ライブ活動休止を発表するちょっと前からけっこうきつい感じだったんですよ。絶好調なときがあったかと思えば、精神的にものすごく不安定なときもあるっていう状況で。結果、ライブを1、2回中止にしてしまったこともあったので、このままではたくさんの方に迷惑をおかけするということでもう一度、今度は無期限で活動を休止しようと。

──そこからはまた家にこもる生活を?

そう。規則正しい生活をして、できるだけ楽な気持ちで生活するようにしてました。そうしたら思いのほか体調がどんどんよくなっていったんですよ。で、病院の先生に「完治しました。もう投薬もしなくて大丈夫です」っておっしゃっていただけて。でも本当に大変な病気で、10kg太ったときはどこにも出たくなくなりました。その10kgは3カ月で戻しました。

──3カ月ほどで活動再開の発表をされていたのはそういう理由からだったんですね。

自分としては活動再開できるまで3年くらいかかるかもしれないと思っていたんですけど、奇跡的なスピードで完治することができて。家族にも公表してすごく気持ちが楽になりました。

──ここからはもう大丈夫ってことですよね。

そうですね。2014年に活動再開したときは症状がよくなったっていうだけでしたけど、今回は完治ですから! もう大丈夫です。

──6月2日には再復帰後初のライブがKICHIJOJI SHUFFLEでありました。いかがでした?

思ったよりも緊張はしませんでしたね。泣きもしませんでした。もちろんファンの方が温かく迎えてくださったのもありがたかったですね。すべての方々に感謝の気持ちを改めて感じました。

安東由美子 アルバム 「私の事情(仮)」
2017年冬頃発売予定
安東由美子「高嶺の花(仮)」

全作詞、作曲、プロデュース
安東由美子

収録曲
  • 涙の止めカタ
  • 希望のハンカチ
  • 匿名にゆれる大人たち
  • 7つのストロベリー
  • 不安定をなぜ拾わない?

ほか収録予定

エンジニアに旧知の仲である牧野英司を迎え、安東由美子が全編セルフプロデュース。演奏陣には昭和の歌謡曲を愛する安東ならではの、当時から活躍するミュージシャンが集結。またリリース後にはゲストを迎えたワンマンライブも予定されている。

安東由美子(アンドウユミコ)
安東由美子
3月15日生まれ、広島市育ちの女性シンガーソングライター。音楽業界のOLとして働いていたが、2010年秋より作詞作曲活動を開始し、同時に都内でのライブ活動をスタートさせる。2011年9月に根岸孝旨のプロデュースによるシングル「平凡ガール」でデビュー。2012年9月には東京・渋谷duo MUSIC EXCHANGEでのワンマンライブを完売させ、同月1stアルバム「年齢制限」をリリースした。しかし翌10月にうつ病とパニック障害の悪化により引退。2014年3月に活動を再開したが、2017年3月には再びライブ活動無期限休止を発表し、6月に持病の完治を受けて再び活動をスタートさせた。