2011年9月、シングル「平凡ガール」でデビューしたシンガーソングライター・安東由美子。昭和の歌謡曲を彷彿とさせる歌詞とメロディセンスにより注目を集め、翌年9月には1stアルバム「年齢制限」をリリースした。が、10月にうつ病とパニック障害という持病の悪化を理由に突然の引退を表明。そこから2年を経た2014年3月に活動を再開したものの、今年3月には再びライブ活動の無期限休止を発表する。そして6月に持病の完治を受け、みたび音楽シーンに戻ってくることとなった。
まさに波乱万丈と呼ぶにふさわしい音楽人生を彼女はどんな思いで歩んできたのか? 約5年ぶりとなる音楽ナタリーのインタビューでじっくりと紐解いていきたい。
取材・文 / もりひでゆき 撮影 / 佐藤類
うつ病とパニック障害が悪化し、2度と戻れないという心境に
──安東さんが音楽ナタリーに登場するのは実に5年ぶりです。
ご無沙汰しておりました。5歳、歳を取りました(笑)。
──前回は2012年9月リリースのアルバム「年齢制限」のインタビューだったわけですが(参照:安東由美子1stアルバム「年齢制限」インタビュー)、その翌月に突然、引退を発表されました。非常にビックリした記憶があるのですが。
2012年は3月から8月にかけて47都道府県フリーライブをやったり、楽曲制作をやったり、夢であった渋谷duo MUSIC EXCHANGEでワンマンをやったり、ラジオ番組をやったりとすごくいい活動をさせていただいていたんです。ただ、その中でだんだん自分の心のバランスが崩れていき、持病であったうつ病とパニック障害が悪化していったんです。引退しか道はなかったので決意しました。
──活動休止を選択しなかったということは、相当病気の状態が悪かったと。
そうですね。本当に2度と戻れない、戻りたいけどもう戻れないという心境だったので。同じ病気で入院されている方々もたくさんいらっしゃいますけど、私はそこまでではなかったんです。それでも、朝起きれない、外に出られない日もたくさんあって、自分としてはかなりつらかったんですよね。病院は随分変えて、病気に対して勉強もしました。
──順調に活動をしていただけに悔しさもあったでしょうね。
2012年3月に初ワンマンを渋谷7th FLOORでやり、その半年後にduoでワンマンをやっていたので、スタッフと「次は赤坂BLITZだね」って話していた矢先でしたからね。正直、悔しさはありました。ただ、私は知人の他界をきっかけに音楽を始めたので、命以上に、健康以上に大切なものはないということをしみじみ感じるところもあって。だからこそ引退を決意しました。病名を隠さずに公表したことも、それによって今まで応援してくれたファンの方々やお世話になった方々に納得していただきたいという思いからでしたね。少なからず偏見もありましたけど、味方をしてくださる方のほうが多かったのがうれしかったです。
──引退してからはどんな生活をされていたんでしょう?
引退してからもラジオだけは続けていたんですけど、それもほどなくして休止という形を取らせていただき、すべての活動を引退しました。だからそれ以降はほんとにずーっと家にいました。最初の1年間は症状がひどかったので、好きなアーティストの方にご招待していただいたライブにも足を運ぶことができずにいました。ただ、その後はだいぶ回復の兆しが見えてきて、体調がいいときはライブにも行くようになりましたし、「どうしても曲を作りたい!」って思ったときには仲のいいミュージシャンに来ていただいて楽器を弾いてもらいながら曲作りすることはありましたね。この時期に一番人間関係の奥深い部分に触れました。今でも世間からまだ完全には理解されていない病気ですけど、うつ病がもっと理解されることを望みます。
他界される前に佐久間正英さんとした約束
──その後、2014年7月に復帰を発表されました。その決断の裏にはどんな理由があったんですか?
完治はしていなかったんですけど、病気の状態がだいぶよくなってきていたことがまず1つの理由でした。あとは、佐久間正英さんの他界が自分の中ではすごく大きくて。
──安東さんの2ndシングル「ホームランは狙わない」は佐久間さんのプロデュースでしたもんね。
そうなんです。しかも、私が引退をしたあとも、「もし復帰することがあったらアルバムを一緒に作ろう」って約束をしてくださっていたんですよ。他界される前にそんな話をしていたので、そのことも復帰に向けて背中を押してくれたところはありました。そのほかにも、私をかわいがってくださっている大先輩の方々の存在も前を向くきっかけをくださったと思います。
──引退を一度経験したことで、その後の活動における気持ちに何か変化はありましたか?
今振り返ると、デビュー当初から私はすごい方々にサポートしていただいていたんですよ。だから「インディーズではあるけど限りなくメジャーに近いんだ」とか、どこか勘違いしている自分がいたような気がするんです。関わってくださる方の豪華さに、自分の実力が伴っていなかった気持ちもありましたし。なので活動再開後は、細く長く、地道にがんばっていこうっていう気持ちになりましたね。すごいプロデューサーさんに参加していただくことを誇るのではなく、自分がいいと思う曲を作り、それをちゃんと届けることをもっと本気でがんばりたいなって思うようになったんです。復帰後の作品から編曲も自分でやり、セルフプロデュースで作るようになったのもそういったことが理由でした。
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スポットライトに照らされている人がうらやましくて仕方なかった
- 安東由美子 アルバム 「私の事情(仮)」
- 2017年冬頃発売予定
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全作詞、作曲、プロデュース
安東由美子
- 収録曲
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- 涙の止めカタ
- 希望のハンカチ
- 匿名にゆれる大人たち
- 7つのストロベリー
- 不安定をなぜ拾わない?
ほか収録予定
エンジニアに旧知の仲である牧野英司を迎え、安東由美子が全編セルフプロデュース。演奏陣には昭和の歌謡曲を愛する安東ならではの、当時から活躍するミュージシャンが集結。またリリース後にはゲストを迎えたワンマンライブも予定されている。
- 安東由美子(アンドウユミコ)
- 3月15日生まれ、広島市育ちの女性シンガーソングライター。音楽業界のOLとして働いていたが、2010年秋より作詞作曲活動を開始し、同時に都内でのライブ活動をスタートさせる。2011年9月に根岸孝旨のプロデュースによるシングル「平凡ガール」でデビュー。2012年9月には東京・渋谷duo MUSIC EXCHANGEでのワンマンライブを完売させ、同月1stアルバム「年齢制限」をリリースした。しかし翌10月にうつ病とパニック障害の悪化により引退。2014年3月に活動を再開したが、2017年3月には再びライブ活動無期限休止を発表し、6月に持病の完治を受けて再び活動をスタートさせた。