寝ても死んでも今日が永遠に続くとしたら……? タイムループSF×ロマンティックコメディのジャンルに新たなマスターピースが誕生した。映画批評サイトRotten Tomatoesで95%フレッシュの高評価を獲得する「パーム・スプリングス」が、4月9日より全国公開される。
映画ナタリーではコラムニストの山崎まどか、“ネオ無職”を自称する言葉クリエイターの酒村ゆっけ、にレビューを依頼。それぞれ異なる視点から、映画の魅力を紐解いてもらった。後半には製作も担当した主演アンディ・サムバーグのインタビューも掲載。撮影では、同じ場面をひたすら繰り返すループ作品ならではの苦労があったとか。さらに「何度でも味わいたい人生最高の1日」も教えてくれた。
レビュー / 山崎まどか、酒村ゆっけ、 インタビュー取材・文 / 奥富敏晴
輝く青空とプールの底に絶望を隠した世界
文 / 山崎まどか
タイムループの中で出会う男女を描いた「パーム・スプリングス」はSF(少し・不思議)コメディ映画の傑作だが、ロマンティック・コメディの系譜から読み解いてみても面白い。主人公のナイルズとサラのキャラクター造形とその関係性からは、1930年代のハリウッドから続くロマンティック・コメディの伝統が垣間見える。
例えば「カリカリした女とリラックスした男」という主人公の組み合わせの系譜。チャーミングで仕事熱心、幸せになるのにふさわしいはずなのに、何故か余裕がなくて楽しむチャンスを逃しているヒロインという造形はキャリア・ガールが珍しかった時代からめんめんと受け継がれて、90年代のメグ・ライアン、00年代に入ってからのサンドラ・ブロックにキャサリン・ハイグルと途切れることがなかった。彼女たちの前に現れるのが、イージー・ゴーイングでちょっとシニカルな男たち。コメディアンのビリー・クリスタルやアダム・サンドラーといった顔ぶれだ。アンディ・サムバーグの明るいパーソナリティは、この手のヒロインの相手役にぴったり当てはまる。
しかしクリスティン・ミリオティ演じるサラは、今までのヒロインとは違いもう少し本質的なところで追いつめられていて、荒んでいる。タイムループにはまる前から人生を詰んでいて、行き場がない。そこが今風でもある。だけど彼女の人生は、サムバーグ演じるナイルズとの出会いによって、ありえない方向に変わっていく。それはロマコメの基本である。
ロマコメで思いがけない出会いによって変わっていくのはヒロインの方だけではない。このジャンルの主人公には「現状維持の男と予測不可能な女」という組み合わせもあるのだ。初期の代表作でいえば「赤ちゃん教育」(1938年)のケーリー・グラントとキャサリン・ヘプバーン。多少不快なことがあっても右から左に受け流し、とにかく自分のことだけを考える。タイムループに安住するナイルズもそんな男だ。うっかりタイムループに他人を巻き込んだことで、彼は見て見ぬふりをしていた問題に直面する。そしてその問題は、彼一人では解決できないのだ。
主人公の二人が出会わなければ、そして手を取り合わなければ、輝く青空とプールの底に絶望を隠したこの世界は変わらない。その場合の「二人」を「男と女」というよりも「君と私」というレベルで捉えた風通しの良さも「パーム・スプリングス」には感じる。「私」は「僕」でも置き換え可能だ。「君と私が手を取り合わなかったら明日は来ない」話だと考えれば恋愛が起爆剤のロマンティックな物語であり、もう少しゆるく「君と私が手を取り合わなかったら来ない明日がある」とすれば、友愛、チームタッグ、共生といったキーワードで読むこともできる。どちらにしろ「君と私が手を取れば素晴らしい明日がやって来る」と謳うこの映画はSFで、ロマコメで、そして希望の物語なのだ。
永遠に終わらない学生生活を願ったあの頃
文 / 酒村ゆっけ、
大学4年生、卒業論文を1月に書き終えてからは、人生最後のモラトリアムを楽しめよ!と言わんばかりに遊び尽くした。卒業旅行先のプーケットでのバカンス、次の日のことなんて考えずに酒を浴びた日々、映画鑑賞や読書に浸る贅沢な時間。4月よ、どうか来ないでくれ、社会人になりたくない、働きたくない。…と毎晩心の中で叫びながら、打首獄門同好会の「はたらきたくない」を毎日聴いていた。明日が来なければいいのに、ずっと終わらないでほしいと何度も願った。
映画「パーム・スプリングス」を観て、あの頃の自分を思い出した。永遠に終わらない今日を、何十回、何百回と繰り返す陽気な主人公。しかも、自然に囲まれたバカンスの地で。
人生で一番ハマったアニメ「ひぐらしのなく頃に」を筆頭に、これまで多くのループものを観てきた。「STEINS;GATE」「Re:ゼロから始める異世界生活」、勿論アニメばかりではない。映画「ハッピー・デス・デイ」や「ミッション:8ミニッツ」も好きな作品である。これまでループものと呼ばれる作品を沢山観てきて思ったことは、「繰り返す=絶望」が色濃く反映されているということだ。このように一人で世界を何度も繰り返し、絶望していくイメージを一転させてくれたのが「パーム・スプリングス」だった。この作品は、ずっと同じ“今日”を繰り返してもそれでいいと思わせてくれる。
主人公ナイルズはバカンス先でふかふかの布団から恋人の囁きで目覚め、太陽の光をキラキラと照り返すプールに飛びこんではビールを昼から飲む。結婚式では、最高のスピーチで注目を浴びて酒を飲み、ダンスを踊ってナンパに成功する。どう考えても、最高じゃないか。この世界にいる限り、少しのトラブルはあるものの、明日の仕事のことや未来への不安を一切抱かずにすむ。
誰かが死んでしまいもう会えなくなることもなければ、健康や体重、二日酔いなんて気にせずに酒を飲むことができる。だって、一度寝てしまえば世界がリセットされるのだから。私の体質上、酒をたらふく飲んでも元気だが、一度眠りにつくと激しい二日酔いが襲ってくる。そういった点でも、寝た瞬間に世界がリセットされるということは、この苦しみからも解放されるので丁度いい。
そうこうしているうちに、物語の前半でサラという今日を繰り返す仲間が主人公のもとに増えるのだ。彼女は、最初当然のように戸惑い、元の世界に戻ろうとするが、途中で折れて主人公と最高の“今日”をエンジョイする。
彼らの日々を見ているとまるで子供のようだなと微笑ましくなる。もしかすると、人は永遠に持っている子供心を、社会に出ることで封印してしまっているだけなのかもしれない。
もし、一人ぼっちで毎日を繰り返していたら孤独に耐え難い瞬間がいつか訪れるだろう。その日の楽しかった飲み会も出会いも全てがリセットされてしまい、自分の中には確かに存在する絆がなかったことになっているなんて虚しくなる。
主人公が「寂しいと思うのは、ビールを飲み干して2本目を開ける時と同じ感情だ。束の間の感情なんだ」と語るシーンがあった。でも、この世界を繰り返しているのは一人だけじゃない。やはり、日々の記憶を共有できる相方の存在があれば苦ではないのだろうか。楽しさ勝る日々、羨ましいの一言に尽きる。
このまま二人は永遠に終わらないバカンスをどう過ごしていくのだろうか。スクリーンで彼らの日常を覗いてきてほしいところだ。
いつも決まって想像する。この物語の主人公が自分だったらどうするか。新卒として会社に入り、すぐに退職してネオ無職という限りなく無職に近い自由の時間を手に入れた時のことを思い出した。観たかった映画を一日中観続けたし、夜更かしして一人晩酌を満喫した。でも、一定期間が過ぎ去ると、好きなことしかしない生活は最高なはずなのに何故か物足りなくなってくる、漠然としているが新しいことを始めたくなるのだ。きっと、この作品の世界で毎日を繰り返していても、同じことを思うだろう。新作の映画や大好きなバンドの新曲をこの先楽しむことができないのは、物足りない。まさに、今こうして映画の感想を誰かに共有して、広げていくことが生き甲斐でもある私は、途中で脱出すべくあらゆる方法を模索し始めるかもしれない。その時は、博識な物理学者や科学者を、同じ世界に引きずり込んで方法を探してもらう、他力本願技を使おうと思う。
映画をもっと楽しむための「もう1本」を山崎まどかと酒村ゆっけ、が独自の視点でセレクト! 「パーム・スプリングス」の前に観るもよし、鑑賞後に観るもよし。同じ日に観たら、きっと最高の1日になること間違いなし!
「ハッピー・デス・デイ」(アメリカ・2017年)
「ハッピー・デス・デイ 2U」(アメリカ・2019年)
タイムループにはまって毎回殺されるヒロインがそこを脱しようと努力する正篇もいいが、そもそも何故そんなタイムループが起きたのか原因を探る続編はより面白い。ブラムハウス・プロダクションズらしいホラー・コメディからSFへの展開がこのシリーズの魅力だ。
「50回目のファースト・キス」(アメリカ・2004年)
昨日のことは何も覚えていない記憶障害を背負ったヒロインに毎日会いに行き、愛を伝えファーストキスを重ねるラブとロマンスで溢れる「50回目のファースト・キス」。主人公にとっては、繰り返される愛しい日々であり、ヒロインにとっては出会いすら初めての日々。「パーム・スプリングス」を観て真っ先にこの作品が頭をよぎった。確実に幸せなひと時は存在しているのに、記憶は共有されない。また新しい1日を愛、故に繰り返し続ける。自分だけの思いが募っていく一方的な結末だと最初から分かっていながらも、愛を伝え続けたいと思える相手がいるって羨ましいな…と思わされる。「自分だったらそれができるのか?」とエンドロール中真剣に考えていたら、画面越しにボサボサの髪とスッピンで缶ビール握りしめている独身女の姿が反射しすぐに現実に引き戻されました。