永瀬廉が主演し、杉咲花と北村匠海が脇を固めた映画「法廷遊戯」が11月10日に全国で公開される。本作は同じロースクールで法曹の道を志しながら、やがて起こる殺人事件に弁護士、被告人、死者として関わる3人の仮面の裏に隠された真実が暴かれる、予測不能のノンストップ・トライアングル・ミステリー。
映画ナタリーでは現役弁護士として活躍する原作者の五十嵐律人と、原作の文庫で解説を書いた東大発知識集団・QuizKnock(クイズノック)のメンバーである河村拓哉の対談が実現した。後半には五十嵐が出した法律にまつわるクイズで河村が卓越した推理力を見せる一幕も。
近日には永瀬、杉咲、北村の鼎談も掲載。
取材・文 / 渡辺水央撮影 / 間庭裕基
映画「法廷遊戯」予告編公開中
2人に響いた映画「法廷遊戯」の魅力
法廷ミステリーの新鋭・五十嵐にとって初の映像化作品となった映画「法廷遊戯」。まず2人には、豪華キャストが結集した映画の感想を率直に聞いた。原作をよく知る河村が注目したポイントとは。
五十嵐律人 事前に編集者から、自分の作品が映像化されたときの小説家の反応は、だいたい“うれしい”か“恥ずかしい”の2種類と言われていたんです。僕としてはもちろんうれしさもあって、ありがたいお話だなと思ってお受けしましたが、後者の思いも強かったですね。自分がかっこいいと思って書いたセリフをかっこいい方が言われていると、本当にかっこいいだけに自分が書いたのが恥ずかしくなってきてしまって(笑)。ただ、映画自体はものすごく面白かったです。二転三転、四転五転、最後までどんでん返しがあって、リーガルものはとっつきにくいと思っている方にも楽しんで観てもらえる作品だなと思いました。
河村拓哉 原作の面白さを生かしながら、映画には映画ならではのよさがあったなと思いました。僕は芸能に疎いということもあって、役者さんたちの情報やイメージはほとんど何も持たないまま観させていただきましたが、皆さんぴったりでしたね。
五十嵐 セイギ役の永瀬廉さんに関しては「真夜中乙女戦争」(2022年)も拝見していて、陰がある青年の演じ方がうまいなと思っていたんです。今回のセイギというキャラクターも過去に重いものを背負っていますが、雰囲気もあって、演技でも見事に表現されていてさすがだなと思いました。
河村 セイギは映画の前半は学生で、後半では弁護士になりますが、前半と後半で顔付きと言いますか、表情と言いますか、雰囲気が若干変わっていたような気がしたんです。そんなに年月は経っていないはずなのに、印象が違うのがすごかった。学生のシーンで、美鈴といるときに子供の声が聞こえてきて、セイギがちょっとほほえむ表情もよかったですね。
五十嵐 その美鈴は原作では終始一貫して冷静でクレバーなイメージですが、杉咲花さんがすごく魅力的に演じてくださいました。原作でも映画でも唯一感情的になるのが、接見のシーン。アクリル板越しにセイギがあることを言って、美鈴が動揺する場面ですが、あそこは映像においても見応えがあって、感情を爆発させる演技がすごいの一言でした。
河村 接見シーンのお芝居は、本当に驚きました。北村匠海さんの馨もすごくよかったですよね。小説では超人的な天才のイメージでしたが、映画ではけっこう人間味が加わっていて。天才という設定で、人間味を出していく作業ってかなり難しいと思うんです。逆にツンとしていたほうが、頭がよさそうに見えるじゃないですか。それが人間味もありながら説得力のある天才になっていて素晴らしかったです。
五十嵐 小説を書くときは基本的に地の文や会話でキャラクターを描出することができますが、映像だと雰囲気や立ち振る舞い、それこそ表情で表現しなくちゃいけないわけですよね。それって実はすごく難しいことだと思うんです。でもその中で北村さんは天才に振り切るわけではなく、人間味をプラスしながらも頭がいい魅力的なキャラクターとしてナチュラルに存在していて、さすがだな、と。
河村 3人を取り囲む大人の皆さんもかっこよかったですよね。柄本明さんの奈倉教授は、小説で読んだときはもっと堅い印象だったんです。それが映画では砕けた感じになっていて、ちょっと昼行燈っぽさもありながら、それだけに本当に頭がいいんだろうなというのが伝わってきました。
五十嵐 柄本明さん、それから生瀬勝久さん、筒井道隆さん、大森南朋さんと、そうそうたる方々に集まっていただいて、すごいキャスティングですよね。撮影の立ち合いで現場に伺ったときに大森さんが法廷で証人尋問を受けるシーンを見たんですが、同じシーンを何回も撮る中で毎回毎回激しく演じられていて、着ていたシャツが破けるくらいで。大森さんに演じていただいた沼田って、原作ではつかみどころがないキャラクター。どう表現されるのか楽しみにしていたんですが、すごく鮮烈で印象的でした。
河村 沼田は原作よりも出番が絞られていますが、演技力でグイグイと持っていきながらインパクトを残されていましたね。法廷という堅い場所に、はみ出した印象の人がいる違和感というのがすごく出ていました。ああいう空気の中ではっちゃけるってすごく難しいと思うんです。
五十嵐 実際の法廷ってシーンとしていて、ちょっとした声でも響くんです。撮影でも静かな空気でしたが、その中でみんながビクッとなるくらいの演技で(笑)、本当にすごかったです。
「法律」って堅苦しい?伝えたいのは身近な面白さ
かつてない法廷ミステリーとして話題を呼んだ小説「法廷遊戯」。同作は五十嵐がロースクール生時代の経験などをもとに書き上げたデビュー作で、第62回メフィスト賞を満場一致で受賞するなど、各所で高い評価を受けている。その文庫版の解説を手がけたのは、ほかならぬ河村。物語に込められていたものとは? 改めて2人に、原作について語ってもらった。
五十嵐 もともと解説の前に、書評で取り上げてくださっていて、僕としてはすごくうれしいことを書いていただいていたんです。それが印象に残っていて、文庫版の解説をどなたにお願いするかという話になったとき、ぜひ河村さんに、と。解説は書評とまた違う視点で作品に言及してくださっていて、僕自身、法律の入り口になってほしいという思いでこの小説を書いたので、そのあたりにも触れていただけてありがたかったです。
河村 解説のお話は、もちろんうれしかったのでお引き受けしましたが、作品としては本文で完成しているので、どうしよう、と。しかも小説は最後が裁判の主文で終わっているのがとてもいい。解説とは言え、その後ろに僕の文章を載せるのはどうなのかな?という思いも正直あったんです。
五十嵐 その話は、編集者ともしていました。主文で終わっている話ではあるけれど、それこそ裁判と同じように、そのあとの説明も聞きたい人もいるんじゃないかと思ったんです。この物語は過去の因果が現在でどう変わっていくのかという話でもありますが、主要人物3人だけでなく、その周りの人たちもまた影響を受けているところにも触れていただいて。そこは意識して書いていたわけでなくて、解説を読んで気付いたところもあります……いや、改めて本当にありがとうございました(笑)。
河村 いえいえ、そんなそんな(笑)。映画でもそうでしたが、ミステリーとしての面白さと法律の面白さが並び立っていて、学びながら楽しめる小説だなと思ったんです。すごく緻密でキャラクターも1人ひとり魅力的で、本当に面白く読ませていただきました。
五十嵐 「法廷遊戯」では、まずはやっぱり法律の面白さを伝えたかったんです。法律や裁判って、堅苦しい、関わりたくないというマイナスイメージが先行していると思いますが、実はすごく面白くて身近なもの。それを伝えることが、自分が小説を書くモチベーションでもあるんですよね。どういう形で物語に落とし込んでいったら面白いかなと考えたときに、僕自身もともとロースクール生だった経験やそこから自分がたどった道のりをそのまま小説に生かせたらと思って、第1部ではロースクール、第2部では刑事裁判を題材にしました。
河村 言ってしまうと、法廷って有罪か無罪、有罪だったら懲役何年なのかを決めるものじゃないですか。ある意味では、誰がやったのかはまた別の話になってくる。一方で、僕の中ではミステリーというのは誰が犯人なのかを突き止めて楽しむもので、法廷とミステリーって相いれないものという見方があったんです。リーガルミステリーに対する理解が追いついていなかったんですが、「法廷遊戯」は見事に組み合わさっていて、そのうえですごく入りやすい小説だなと思いました。3人の設定や関係性もいいですよね。
五十嵐 ありがとうございます。殺人事件をめぐってセイギは弁護人、美鈴は被告人、馨は被害者となりますが、そこは事件が起きたときにどういう展開がドラマチックかなと逆算して考えました。犯罪って刑罰が科されるかもしれないことを理解したうえで起こすものなので、よっぽどの動機がなければ事件は起こさない。その動機の部分のバックグラウンドは人と人とのつながりになってくるので、同じロースクール生同士でなおかつ過去にも秘密の関わりがあったという背景にしました。ただ、セイギが弁護人で事件の第一発見者でもあるという設定に関しては、変えるべきかかなり悩みました。知り合いの弁護士や裁判官に聞いたんですが、「それはダメでしょ!?」って(笑)。ただ、弁護士法に反するわけではなくて、倫理的にどうなのっていう話だったので、それをクリアできればいいのかな、と。いろいろ調べて考えたうえで、これならいけると思って設定を作っていきました。
実はかなりヤバいゲーム…無辜ゲーム誕生秘話
原作、映画を通じて物語の肝となっているのが、ロースクールの生徒たちの間で繰り広げられている裁判ゲーム「無辜(むこ)ゲーム」。なんらかの被害を受けた者が告訴者となって、犯人を指定。証言や証拠をもとに、審判者が有罪だと判断すれば犯人が、立証不十分で無罪と判断すれば告訴者が罰を受けることになる。無辜とはそもそも、<罪のないこと。または、その人>の意。このゲームの発想、そしてゲームと同義の<遊戯>が冠されたタイトルはどのようにして生まれたのか。
五十嵐 もちろん実際にロースクールであんなゲームをしていたわけではないんです(笑)。いきなり専門的な刑事裁判の話を書くととっつきにくいので、前半はキャッチーな話にしたいなと思ったときにロースクールで裁判ゲームが行われていて、それが悪い方向に向かって殺人事件につながるという展開を思い付きました。模擬裁判は授業としてありますが、台本に沿って自分の考えを交えながら進めていくもので、あくまで裁判の手続きを学ぶためなんです。でも、そこにゲーム的な発想と罰ゲームを加えたら、みんなのめり込むような面白いものになるんじゃないかと思って、無辜ゲームを考えました。ただ、無辜ゲームはいわゆる裁判の形式とは少し違っていて、被害者自らが告訴者となって検察官の役割もする。当事者である被害者が告訴者となって立証も行ったほうが、より熱も入って面白いんじゃないかということでそうしました。
河村 無辜ゲームって、ゲームと言いながら実はすごいことをしていますよね。犯人を生み出して、罰ゲームまであって、犯罪になり得ることをゲームが許容している。かなりヤバいゲームだなと思いました(笑)。あと、無辜ゲームの会場が小説では模擬裁判の教室だったのが、映画では洞窟になっていましたよね。ビジュアルのインパクトが強くて、びっくりしました。
五十嵐 最初に洞窟にするというお話を伺ったときは、僕も正直驚きました(笑)。後半に出てくる刑事裁判の法廷とビジュアル的な対比を作りたいということで、なるほどと感心しながらもどうなるのかなと思っていたら、すごくキャッチーになっていて。ちょっと儀式的な雰囲気で、不穏な感じも出ていましたよね。
河村 ビジュアルで訴える映画ならではの見せ方で、あそこは僕も特に面白いなと思いました。無辜という言葉は小説や映画でも印象的に使われていますが、その無辜と無罪というのはまた別物なんだとちゃんと語られているのが、この物語のすごいところですよね。
五十嵐 無辜って言葉は法律を学ぶ人はみんな教わる言葉で、わりと初期に接するものなんです。響きもいいので、そのままゲームの名前にも使いたいなと思いました。当初、小説自体のタイトルも「無辜の神様」だったんです。そこから「法廷遊戯」になりましたが、遊戯というのも法廷との並びや響きがよくて決めた言葉で、何を指しているかというのは自分の中でも確たる答えがあるわけではないんです。
河村 「法廷遊戯」って、バシッとタイトルとしてわかりやすくていいですよね。こういう単語の並びって見たことないので、インパクトも強くて。法廷で遊戯はしないですからね。
五十嵐 しちゃいけないですからね(笑)。ただ、先ほど河村さんもおっしゃっていましたが、裁判は必ずしも真実を明らかにする場ではなくて、あくまで決められたルール内においての活動ではあるんです。そういう意味では遊戯とはまた違うけれど、ゲーム的なところはなきにしもあらずなんですよね。無辜ゲームの遊戯性もそうですが、最後まで読んでいくと全体としてある人物が仕掛けたことの遊戯性もわかってきて、いろいろなところに遊戯性、ゲーム性がある。それも踏まえて、「法廷遊戯」というタイトルにしました。
河村 もし僕が無辜ゲームに参加するとしたら、追及される犯人の立場がいいですね。犯人以外って、しっかり法律の知識がないといけないじゃないですか。でもゲームを握っているのは犯人で、その中での動きようもあるので、参加するとしたらそこかなって思いますね。
五十嵐 僕は……傍聴席で見ていたいですね。結局、それが一番楽しいと思います(笑)。
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万引きが成立するのはどの時点?河村拓哉が法律クイズに挑戦