コミックナタリー PowerPush - サラ イネス「誰も寝てはならぬ」
祝・完結! ベールに包まれた全貌を明かす キャリア初の17000字ロングインタビュー
ラリーは手弁当感がいい。選手も普通のおっちゃんで
──そうした関西テイストに加えて、サラさんの場合乗っかってくるのが、ロック、ファッション、そしてなによりラリーのエッセンスですよね。どういう経緯で関西のええとこの娘さんがWRC(世界ラリー選手権)にハマったのか、謎なんですけど。
ええとこじゃないけど、それはうちの父親が昔、道楽でちょっと全日本ラリー選手権とかに出てたことがあって。
──ええーっ。お父様、何者なんですか。
大学教授です。工学系っていうか、理工系のね。プライベーターだしそんなすごいもんじゃないですけど、まあでも当時、関西ラリーとか朝日ラリーとかに1度か2度は入賞したりはあるみたいです。それでゼッケン付きのクルマとか、モータースポーツの雑誌がうちにあったんですね。兄もクルマ好きだったんで、つられて読んでるうちに70年代のF1が好きになって、そっからハマっていったわけです。
──だけどF1好きというのはまだしも、どうしてWRCに。ずっとマイナーじゃないですか。
それはやっぱり私が、プログレからジャズ・ロックに流れていく体質ですから(笑)。特にF1ってフジテレビで中継されるようになってからお祭り騒ぎになっちゃって、いっそうラリーが好きになりましたね。ラリーは、実際に現場の方と話すと特に思うんだけど、手弁当感がいいっていう。選手だって、北欧の普通のおっちゃんですよ。
──最終巻で明かされてますが、「誰も寝てはならぬ」の主人公ふたりも、モデルとなったのはラリー選手。ゴロちゃんがマルク・アレンで……。
この人はね、割と格好良かったんですよ。家にいたお手伝いさんに手をつけて子供を産ませるような人だから、すごいモテモテさんだったんです。
──口元がゴロちゃんですよね。
そうそう、カッパ口のね。
──そしてハルキちゃんのモデルとなったのが、ヘンリ・トイボネン。
彼もかっこいいって言われてたんだけど、それは若い子が他にいなかったからなんですよ、みんなオッサンばっかりで(笑)。
──ラリーファンには説明するまでもないんですが、トイボネンとマルク・アレンは、1985年の最終戦でともにランチア・デルタS4に乗ってワンツーフィニッシュという、チームメイトかつ親友なわけです。サラさん自身は運転は?
昔乗ってましたけど、私はあんまり運転がうまくないので、バイクのほうがまだ運転は好きです。一応免許は400の取って、ベスパの125ET3とか乗ってましたね。ちなみに中村ハンのカワサキ・マッハIIIも家にありますよ、乗れませんけど(笑)。
イネスはシャネルで専属モデルをやってた人から
──さて、ここまでバックグラウンドを伺ってきたところで、ようやくペンネームの由来をお訊きしようかと。
はい。フィル・ライノットという人、シン・リジィというバンドのボーカルですけど、彼が1度だけ結婚したことがあって、その娘がサラっていうんです。そっから取りました。女の人取っ替えひっかえでドラッグも死ぬほどやるような人だったのに、子供産まれたときだけ一瞬ちょっとまともになったというね(笑)。曲もあるんですよ、「Black Rose」っていう名盤の中に、「SARAH」っていう。
──スペルをSARAHじゃなくてSAARAと変えてらっしゃるのは。
それはフィンランド語の女性の名前で。たぶんサーラって読むんでしょうけど。ちょっとフィンランド語を習ってたことがあったんです。ラリーの取材なんかでちょっとフィンランド語をしゃべってあげると、めちゃくちゃ喜ばれるんですよ。ちっとも身にはなりませんでしたけどね。
──イネスのほうは。
イネスは、バブルの頃のシャネルで専属モデルをやってた人(イネス・ド・ラ・フレサンジュ)から。イネス……好きでしたね。そこからいただきました。
──「大阪豆ゴハン」のときは「サラ・イイネス」でしたね。
それは照れ隠しというか。イネスはあまりに綺麗なモデルさんでしたから、そのまま付けるとか畏れ多いし恥ずかしくて、ちょっとニセモンぽくしたろかと、イをひとつ多く。
──ペンネームひとつ取ってみても、たいへんな教養が窺えるというか。
いやいやいや、思いつき。ぜんぶ思いつき、私(笑)。あとでどうこう言われるようなものは一切ない。ぜんぶただの思いつきです。
ただ並べただけだと、タテに読んじゃう人がいるかと
──「大阪豆ゴハン」の頃からペンネームとともに気になっていたのが、カラーの色彩感覚がちょっとこう、抜群というか常軌を逸しているというか(笑)。
たぶんその頃はね、イタリアン・ヴォーグとか参考に見て、がんばってあんな華麗な世界を描きたいな、と一生懸命やってた頃だと思うんですよ(笑)。
──それで何らかの美術系の教育を受けられた方なのかなあ、とは勝手に想像していたのですが。
もしあるとしたら、大学には申し訳ない話だけど、1年間浪人してたことが大きかったですね。そこでデッサンと色彩構成と立体構成をきちっと教えられたんで。
──いわゆる美大予備校ですか?
そうそうそう。でもよく絵が下手なマンガ家っていうと挙げられてるくらいなんで、偉そうなことは言えないです。
──下手なんてとんでもない。誰にも似ていない独特の絵柄で、ほんとに魅力的だと思います。独特といえば昔から気になっていたことがひとつあって、「大阪豆ゴハン」の開始時から、1ページを2コマ×3段の6コマに割られるフォーマットが固まったと思うんですが、2段目だけ、3コマ目と4コマ目がつながってるじゃないですか。独特なコマ割りで、あれはどのように発明なさったのかお聞きしたかったんです。
発明なんて大げさな。6コマただ並べただけだと、タテに読んじゃう人がいるかなと思って。
──ああー!
それで真ん中は線にしただけで。それは誰かに言われたんかな、うん。タテに読まれる可能性があるって。
──もうずっとあのコマ割りで毎週毎週読んでると、盤石の安定感がありますよね、読みやすいし。
私はコマ割りを考えるのがめんどくさいの。だから毎回同じ(笑)。あとは中学以降ほとんどマンガを読んでいない、ひさうちみちおさん以外ほとんど読まずに来たんで、あんまり気の利いたこと考えなかったからそうなったのかも。
あらすじ
イラストレーターのハルキちゃんと、デザイン事務所社長のゴロちゃん。エエ年こいた大阪男が、東京は赤坂のオフィス「寺」を舞台に、愉快な仲間たちと繰り広げるボケ&ツッコミの応酬!? どこまでも続くゆる~い空気に、アナタも身を任せてみませんか?
サラ イネス(さら いねす)
オートスポーツ(三栄書房)の読者ページに投稿していたイラストが編集者の目に留まり、イラストレーターとして活動を開始。1989年、サラ・イイネス名義でモーニングパーティ増刊(講談社)にて連載開始した「水玉生活」でデビュー。続いてモーニング(講談社)で「大阪豆ゴハン」を1992年から1998年まで連載した。スクリーントーンを使わない手描きにこだわった独特の作画と、ありふれた日常を描く感性に定評がある。その後モーニングにて「誰も寝てはならぬ」を8年連載し、2011年12月に完結した。現在は次回作に向けて準備中。