表裏一体な知性と暴力。その2つを隔てるのは“迷い”(魚豊)
──ここからは単行本最終8巻の展開について、もう少し踏み込んで伺わせてください。物語の最終盤、老境に入った異端審問官のノヴァクと、文明や理性の可能性を信じるドゥラカという若い女性が激論を交わします。ノヴァクは、人は神によって“進むべき道”を与えられるべきだと言う。宗教による秩序が失われた世界で待っているのは技術の暴走、そして大虐殺だと。それに対してドゥラカは「でも、その死の責任は神じゃなくて人が引き受ける」「そうやって苦しみを味わった知性は、いずれ十分迷うことができる知性になる」と反論します。知性の暴力性をめぐる、現在進行形の重たい問いかけですね。
津田 あの2人のやり取りには、本当に圧倒されました。「チ。」がすごいのは、一方的な知性礼賛のマンガじゃない。クライマックスが近付くにつれ、その負の側面もどんどん露わになっていくドラマ性だと思うんですね。それもあって、物語がいったいどこに着地するのかずっと気になっていたんですが、読み手自身が“迷い”を引き受けろと突き付けられた気がして。そう簡単に答えは出せないという姿勢に、作り手の強烈なエネルギーを感じました。
魚豊 ああ、それはすごくうれしいです。知性と暴力って対照的に見えがちだけど、そうじゃない。先ほども話に出たように、実際は表裏一体の関係だったりするんですね。じゃあ何がこの2つを隔てるかと言うと、僕は迷いだと思う。どんなに高度な知識体系でも、自己を疑う心がなければ容易く暴力に転じうるでしょうし。逆にひどく暴力的なものにも、そこになんらかの迷いや懐疑が含まれているなら、救いの可能性はある。「チ。」というのは、最終的にはそういう地平に向かっていく話だった気がします。
津田 連載の作品をきれいに終わらせるのって難しそうですが、見事な幕引きでしたよね。なんだろう、編集者が「もう少しだけ続けてください」とどんなに頼み込んでも絶対に譲らない感じ? そういう覚悟もビシビシ伝わってきて。
魚豊 そうですね(笑)。まさにそう思いながら描いていました。
──劇的といえば、ノヴァクの最期も鮮烈でした。ドゥラカとの議論の直後、焼け落ちる教会で、彼は自分が死へと追いやったラファウ少年の幻影を見る。そして対話の中で「私は、この物語の悪役だったんだ」と気付きます。
津田 あの一連のシーンは、本当に震えるほどすごかった。物語の発端と結末が時空を超えてグルッとつながって円になる感覚なんですよね。ああいう展開って、描いていく過程で見えてくるものなんですか?
魚豊 いえ、そこは連載前から決めていました。ノヴァクって、どう考えても物語の背骨と言えるキャラクターなので。逆に言えば、彼に対する落とし前をどう付けるかというのが、最初に一番悩んだ部分です。それはまさに「チ。」という作品全体の結論とか着地点にも直結する話ですから。
津田 なるほど。そうだったんですね。
魚豊 選択肢は2つありました。1つはノヴァクが死の間際に開き直って、自ら悪を引き受ける。いわば“凡庸な悪”が“主体的な悪”へと変わる展開ですね。もう1つは、彼が最終的に自分のしたことの意味を認識して、世界観を改めるという展開。でも結局、どちらも選ばなかったと言えば選ばなかった。
津田 うん、確かに。そういう単純な話じゃない。
魚豊 結局、贅沢にも両方やりたかったというか(笑)。終盤、ノヴァクは「地動説を唱えるヤツはみんな殺す」みたいな感じでどんどん暴走していきます。いわば“主体的な悪”に染まっちゃうわけですが、最後の最後で非情になりきれない。娘を愛する1人の親として、温かい感情が溢れてくるんですね。そこが僕の限界、甘さなのかもしれませんが、いったん悪に堕ちた男も神は救ってくれるんじゃないかと。
津田 深いなあ。人間には、理性ではどうしようもない領域もあると。
魚豊 はい。単純にホイッグ史観(※)にしたくないというか、宗教を否定する作品にはしたくなかった。それは最初からありました。もちろん、胸くその悪いキャラクターに罰を与えてカタルシスを得るエンタテインメント作品もありますが、それじゃ解決しないというか……。悪に染まった魂を救済できるのは、やっぱり科学じゃない。やはり神や宗教の領域だという気がするし、人はいつだって思い直せるし、謝ることができる。それが動物にはない人間の本当のすごさだと僕は思うので。ノヴァクには最後に、そういうテーマを一身に引き受けてもらいたかった。
※歴史において“進歩させた者”と“進歩に抵抗した者”に分け、進歩に抵抗した者は有害であると物語的に記述する歴史観。
津田 でも人生の最晩年にそんなシビアな苦悩を味わうなんて、想像するだけで怖ろしい(笑)。自分が生涯かけてやってきたことが、瞬時に否定されてしまうわけですから。逆に言うなら、役者的にはこんなにも惹かれるキャラクターはなかなかいません。芝居の醍醐味ってやっぱり葛藤にある。そこからすべてのドラマが生まれますので。もし本当にあんなシーンを演じる機会に恵まれたら、それこそ役者冥利、声優冥利につきるんじゃないかな。
魚豊 いやいやいや、それは光栄すぎますよ(笑)。そういう極限状態の葛藤を表現する際、津田さんは基本どうアプローチをされるんですか?
津田 うーん……月並みだけど、やっぱり自分自身の持っているものを、そのキャラクターとどう共振させるかだと思うんですね。自分をゼロにして誰かになりきる作業は、よほどの天才でなければ不可能なので。例えばノヴァクなら、彼が直面した絶望に僕自身の経験を投影して、新しいパーソナリティを立ち上げていくイメージ。なんだろう、“ノヴァク健次郎”みたいな?
魚豊 なるほど、なるほど。
津田 もちろんノヴァクみたいに究極の経験をした人って、現実にはほとんど存在しません。でも信じていたものに手痛く裏切られるしんどさなら、多くの人が知っている。それをどう芝居に融合できるか。だから絶望を抱えた役柄を引き受けるのって、やっぱりプレッシャーはかかりますよね。その俳優がどういう人生を送ってきたのか、露わになるところがあるので。
魚豊 じゃあ、もし若い声優志望の人にアドバイスを求められたら、津田さん的にはやっぱり、人生経験が大事という答えになります?
津田 まあ、そうですね。経験はとても大切。ただ、この仕事をしていて強く感じるのは、今の若い方々って早く大人になりたがるんですよ。場数を踏んで、なるべく早く経験値を上げようとする。
魚豊 ああなるほど。それは興味深いですね。
津田 でもね、例えば高校生なら、その時代にしか体験できないことっていうのもすごくたくさんあって。その時間をちゃんと生きられない人は、どこまで行っても、本当の経験は積めないと僕は思う。
魚豊 今をちゃんと生きることが、結局は芝居にも反映されると。
津田 僕はそんな気がするんですよね。
魚豊 さっき「お芝居の醍醐味は葛藤を演じること」という話が出ましたが、そこは僕も似ていると感じます。自分が惹かれる物語の類型って、だいたい決まっていて。何かと言うと、葛藤と強迫観念を内包する話なんですよ。そこに人間臭さとか、合理性を超えたパッションが顕れる気がしていて。
津田 確かに。「チ。」もまさにそうですね。
魚豊 で、その2つの要素が何を生みだすかと言うと、緊張感のある場面だと思う。結局それが一番面白いし、エンタテインメントだと僕は信じているので。津田さんも、演じる際に緊張感って大切にされますか?
津田 めちゃめちゃしますね。緊張感のない作品とか役柄は基本、楽しくない。肩の力が抜けたコメディでも、良質なものは必ずどこかピリッと張り詰めた部分を持っていますし。それだけ真剣に打ち込んでるって証拠ですから。
魚豊 どうすればお芝居で緊張感って生みだせるんでしょう?
津田 そうですね……これはもう感覚的な話なんですけど、ある種の重しとか枷みたいなものがドンッと乗ったときに初めて、緊張感って生まれる気がするんですね。やっぱり負荷がない場に、緊張は生じないので。そのための重力をどう自分で作りだしていくか。言葉で説明するのは難しいですが、そこは常に意識しているかな。
理屈を超えたパッションが、自分にとって大事な何かを思い出させてくれた(津田)
魚豊 実は今日、津田さんとお会いしてぜひ聞いてみたいと思ったことが1つありまして。それは「AIに声優はできるか」って命題だったんです。
津田 おおお(笑)。それもまた。すごい質問ですね。
魚豊 というのも、表現者にとって一番大事なものって、僕はやっぱり魂だと思っていて。じゃあ今後テクノロジーがもっと進めば、AIに魂は宿るのかと。それを現場の第一線にいらっしゃる方に伺いたかったんですが、津田さんのお話を伺っていて、少なくとも現時点では不可能だなと思いました。重力という言葉1つとっても、それはあくまで、津田さんが言語化したイメージであって。
津田 うん、うん。まったくその通り。
魚豊 実際には数値化したり、プログラミングで記述できるものでは全然ない。それこそ個々人が膨大な経験やスキルを積み重ね、感覚で掴んでいくしかないものですよね。それは人間ならではの営為なのかなって、お話していて改めて感じました。だからこそ見ていて面白いし、何か感じるものがあるのかなと。
津田 芝居だけじゃなくて、音楽も美術もきっと根っこは同じなんでしょうね。核となる部分には、どんなに分析しても数値化できない何かがあって。それが人の心を震わせる。例えば名画座ではるか昔の映画を観たり、美術館に行って何百年も前の絵を目にしたりしたとき、どうして自分がこんなにも感動しているのかわからなくなる瞬間があるんです。目の前にあるこの作品は、今自分が生きている現実とは何の接点もない。でも時空を飛び越えて、言葉では説明できない衝動みたいなものが、確かに伝わってくるでしょう。
魚豊 それが芸術とか表現の本質なのかもしれませんね。
津田 でね、僕は「チ。」というマンガを読み終えて、まったく同じ魂を感じたんですよ。描かれているのは芸術ではなく、天文という自然科学の分野だけど、主人公たちはみんな止むに止まれぬ衝動に突き動かされて、地動説の正しさを証明しようとする。そして、死の危険をおかしても星の運行を観測する。その理屈を超えたパッションが、自分にとって大事な何かを思い出させてくれたし。全8巻でそれを描ききった魚豊先生にも、僕は、同じ魂を感じるんです。
魚豊 恐れ多いです。ありがとうございます。好奇心とか感受性って、本来はすべての人間に備わっている資質だと思うんですね。でも成長過程で画一的な教育に当たったりして、それを折られちゃうんじゃないかなって。
津田 本当にそう思います。知的な好奇心って、昨今の成果主義や能力主義の社会では異物だったりしますもんね。
魚豊 そうなんですよ! だから「チ。」では、学校とは関係ない、もっとダイナミックでストリートワイズな知のあり方を描いてみたかったんです。それとやっぱり純粋に星を見上げる心。それを感じたくて取り組んでいた気もする。ですから、今日の津田さんのお言葉はとてもうれしいです。
津田 このマンガが若い世代から熱烈に支持されていること自体、僕にとっては大きな希望ですからね。本当に、幅広い方に読んでもらいたいです!
プロフィール
魚豊(ウオト)
東京都出身。2018年11月、マンガアプリ・マガジンポケットにて「ひゃくえむ。」で連載デビュー。2020年に週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)で「チ。―地球の運動について―」の連載を開始する。「チ。」は「マンガ大賞2021」の第2位、「次にくるマンガ大賞2021」のコミックス部門第10位、「このマンガがすごい! 2022 オトコ編」の第2位、「第26回手塚治虫文化賞」の大賞など、数々のマンガ賞を受賞。シリーズ累計発行部数は250万部を突破している。また2022年6月、同作のアニメ化も発表された。
津田健次郎(ツダケンジロウ)
6月11日生まれ、大阪府出身。主なアニメの出演作は「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」(海馬瀬人役)、「ゴールデンカムイ」(尾形百之助役)、「呪術廻戦」(七海建人役)、「極主夫道」(龍役)など。また洋画吹替やナレーターなどの声優業、舞台や映像の俳優業、映像監督や作品プロデュースと幅広く活動している。
津田健次郎 KENJIRO TSUDA (@tsuda_ken) | Twitter