ナタリー PowerPush - DOPING PANDA
ドーパン第2章の幕開け飾る問題作「YELLOW FUNK」の真意とは?
イチからやり直すかバンドを解散するか
──でもスネアの音とかビートの感覚がどうこうみたいな話は、洋楽と邦楽の違いというより、例えばドラマーの個人的な資質の話のような気もするんですが。
そこは民族的な資質の話ですね。僕らはトレーニングしないとできない。でも彼ら、特に黒人は生まれた瞬間にできるんですよ。例えばなんで外人はみんな高い声出せるのかって思ったことないですか?
──言われてみれば。
それも全部そうなんです。練習したからじゃないんですよ。彼らは生まれつきできるんです。
──じゃあ今回のレコーディングで、例えばFurukawaさんがHayatoさんのドラムに求めたものは、すごく高いレベルのプレイだったんじゃないですか?
そうです。だから大変でしたよ。本当にスティックの持ち方から見直して。「なんか違うんじゃないかって、俺ずっと前から思ってたんだけど」みたいな話をしたんです。
──そこからなんですね。
そんなこと言ったらHayatoは当然ムッとしますよね。「俺ドラム10年以上やってきてんのに、ギタリストのおまえに言われたくない」って、口には出さないけどそういう空気になる。で、YouTubeを観ながら「こういう叩き方が俺は正しいと思う。それは民族的な差かもしれないけど、俺はやっぱりここにビートがないような気がする」みたいな話をするんですよ。もちろんタロティ(B)にもするし。で、スティック振りながら気づいたら夜11時になってたりして。そんな繰り返しでしたよ。
──バンドが一丸となって意識を変えていった。
だからメンバーは相当巻き込んだし戸惑いもあったと思うけど、巻き込まないとしたら解散ってことになるから、もうそうするしかなかったんですよね。
ガラガラの会場でもう終わりだなって思った
──バンドにとっては解散まで考えるほどの、大きなシフトチェンジだったわけですね。
もう単純にこのままじゃもたないと思ったんですよね。2009年の「decadance」っていうアルバムとそのあとのツアーのときに。ツアー終盤にZepp Tokyoでやったんですけど、そんなとこでやれるだけの根拠もないし、音源にだって納得してないのにツアーの規模だけステップアップしてた。だからインディーズ時代も含めて今まででもっとも過酷というか、精神的に辛いツアーだったんです。具体的には集客も良くなかったし、やってる意味もわかんなくなるようなツアーだったし。
──キツかったのは集客だけじゃなく?
集客に引っ張られたのか、「decadance」ってアルバムに引っ張られたのか、それともそういうバイオリズムの中で3人がそういう時期を通らなきゃいけなかったのか、そこはわからないんですけど。でもスタッフとの距離は変に遠くなったし、誰が誰のせいにするわけでもないけど、みんなが誰かのせいにしないと収まりつかない感じになって……なんかすごくしんどかったですね。そこを経ての2010年で最初に決めたのは、もう今年は音源をリリースしないっていうこと。あとは国内ツアーも回んないってことでした。
──でも「じゃあどうするんだ?」っていう話になりますよね。
そこで、生まれ変わるっつったら大げさだけど、全部洗いざらいやり直して本物を目指さなきゃって。トリッキーだったりフックがあったりっていう部分に頼ってこれまで目をつぶってきたところが僕らにはやっぱりあったんで。
──2009年の「decadance」ツアーでそうした弱点を思い知らされたわけですね。
だってこんなんで続くわけないって思いましたもん。ライブやってて。お客さんが、自分が楽しむより前に、このガラガラの会場で演奏するバンドをサポートしようとしてるんですよ。お客さんのそんな空気を受け取めて、やっぱ僕らは何者でもないなと思った。ステージの上に立って、彼らに何かを提供する立場に全然いないじゃんって思ったんです。もう終わりだなって思ったんですよね。
──ドーパンのファンは優しいですからね。
優しいですよね。甘えるつもりはないんですけど、あのときはちょっと、相当甘えたっていう自覚があります。だからそんなことはもう二度とやっちゃいけないと思った。
自分が鳥肌立つようなものを自分の手で作りたいだけ
──その後2010年にはヨーロッパツアーを行っていますよね。
あれをやって、打ちのめされて帰ってきたおかげでバンドの目標を共有できたと思いますね。
──過酷な国内ツアーとそれに続くヨーロッパツアーでチームの意志が固まったと。
はい。だからまずは自分たちが本物になるしかないと思ったんです。彼らがやってるものを習得して、そこに自分たちの血を入れなきゃならないって。
──でも「本物になろう」と決意したからといって、簡単にそうなれるわけではないですよね。
そこなんです(笑)。
──このアルバム完成に至る苦労は相当のものだったと思うんですが。
だからね、このアルバムを聴いた人は「こいつら急に変わった」って言うと思うんだけど、俺ら3人とマネージャーはすごく知ってますよ。2010年はもう大の大人が泣くか泣かないかってことをやってきたんで。スポ根みたいな話です。だから柄にもなく「向かい合おうよ」「逃げるのやめようよ」みたいな熱いセリフも吐いたしね。でもそういう世界です。それがまだ続いてるんです。
──じゃあこのアルバムも途中経過なわけですね。
うん。本当のゴールは僕が自分で興奮するもの、自分が鳥肌立つようなものを自分の手で作りたいってことだけですから。
──今までのインタビューでFurukawaさんは、自分が本当にやりたいことをやってもお客さんはついてこられないから、そこをわかりやすく見せてあげることも必要なんだっていうことを何度か言ってたと思うんですけど。その意識は変わりました?
変わりましたね。これは僕の願望なんだけど、僕はお客さんや世間からの要求に応えなくても、ものすごいことをやれればそれだけでエンタテインメントになると思ってるんです。まったく気持ちよくなくても、まったく共感できなくても「ものすごい」ってだけで成立するエンタテインメントが存在するんじゃないかと思ってるんですよね。
CD収録曲
- the anthem
- I said
- You can change the world
- because of the love
- song for my harmonics
- catastrophe
- de la papa
- love song
- the miracle
DOPING PANDA(どーぴんぐぱんだ)
Yutaka Furukawa(Vo, G)、Taro Houjou(B, Cho)、Hayato(Dr, Cho)から成る3ピースバンド。1997年の結成当初は主にパンク / メロコアシーン界隈で活動していたが、ダンスミュージックの要素を大胆に取り入れ、エレクトロとロックのハイブリッドな融合を担う存在に。インディーズでのブレイクを受けて、2005年にミニアルバム「High Fidelity」でメジャーデビュー。時代の空気を反映させたサウンドとエンタテインメント性抜群のライブパフォーマンスで、幅広いリスナーからの支持を獲得する。その後も全国各地でツアーやフェス出演を精力的に展開しつつ、2008年6月には「beautiful survivor」が資生堂ANESSAのCM曲に起用。2008年にはイギリスで初の海外公演に挑戦するなどワールドワイドな活動にも注目が集まっている。