キャプテンバイソン。左から西田涼、高野哲郎。

今、知っておきたい超若手芸人 Vol.3 [バックナンバー]

人力舎の新星コント師・キャプテンバイソン(前編)

決勝進出か1回戦敗退のどちらかだと思った「UNDER5 AWARD」

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芸歴5年目以下の“超若手芸人”に注目し、ネタ以外のパーソナルな部分を掘り下げるこのインタビュー企画。芸人を志したきっかけ、デビュー時のエピソード、憧れの先輩などの話を聞く。

第3回に登場するのは、「UNDER5 AWARD」の第1回大会で準優勝に輝いた人力舎の新星コント師・キャプテンバイソン。バラエティ番組大好き小学生だった2人が、スクールJCAでコンビを組むまでの歩み、そして「UNDER5」の舞台裏とは。

取材・/ 塚越嵩大

「爆笑レッドカーペット」を1.5倍速で消化していく野球少年

──お二人ともバラエティ番組が大好きな小学生だったとお聞きしました。その頃のテレビの思い出を教えてください。

西田涼 僕は「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系)がすごく好きで、抜き打ちテストの企画とかは欠かさず観ていました。印象に残ってるのは、ナインティナイン岡村さんが当時の読売ジャイアンツのオーナーのナベツネ(渡辺恒雄)さんになりきって、マスコミの突撃を受けるパロディコント。すごく楽しそうで、その頃からぼんやりと芸人への憧れはありました。

高野哲郎 初めて毎週ちゃんと観たお笑い番組は「ワンナイR&R」とか「ココリコミラクルタイプ」(共にフジテレビ系)でした。いわゆる「水10」の枠。栃木の山奥の学校で野球漬けの日々を送っていたんですが、寝る前に観る「水10」が至福の時間で。そこから“お笑い”というものを意識するようになって、練習中にやってる「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ系)も毎週録画してました。普通の速度だと消化しきれないので1.5倍速で観ていました。

──「爆笑レッドカーペット」で一番笑った芸人は覚えてますか?

高野 ハイキングウォーキングさんのゲップネタはゲラゲラ笑いました。それまでネタって声を出して笑うものだと思ってなかったんです。ニヤニヤしながら見る程度だった。ハイキングウォーキングさんでネタにもハマって、「M-1グランプリ」のサンドウィッチマンさんやオードリーさんでもすごく笑っていた記憶があります。

キャプテンバイソン。左から高野哲郎、西田涼。

キャプテンバイソン。左から高野哲郎、西田涼。

──その頃のお二人はクラスではどのような立ち位置でしたか?

西田 どのグループとも仲良くしていました。先生のモノマネをして遊んだり、和気あいあいと。

高野 俺も山奥の学校だったのでクラスメイトが10人くらいしかいなくて、シンプルに全員が仲良かったです。立ち位置とかもない。高校は男子校で、そこでも全員が仲良かったです。「全員が仲良い」というコミュニティのまま大人になりました(笑)。

──そこからお二人はスクールJCAに28期生として入学します。

西田 僕は大学で水産を学んだあと、いったん就職したんです。そのときに大学の同級生がJCAに入っていて、話を聞いてるとすごく楽しそうで自分もお笑いの道に進みたくなってきて。

──どのような点が楽しそうだと思ったんですか?

西田 単純に人前でネタができるとか、養成所で講評がもらえるというのが、イメージはつかないけど、すごく興味が湧いたんです。

高野 僕は高校時代は学園祭でネタばかりやっていました。「20世紀少年」のマスクを外したら、まだマスクがあるみたいな、今思えばベタな内容ですね。心のどこかで芸人になりたいとは思ってたんですけど、踏ん切りがつかなくて。「普通に生きるか……」と思って茨城の大学に入って、アカペラサークルで活動してました。アカペラサークルって、パフォーマンスのときに平場というかトークの時間があるんですけど、そういうときにどうしてもボケたくなってしまって……。合間用のコントも作っていて、それを東京のライブで披露したときに「あれ? ウケるぞ?」と(笑)。そこで少しずつ火がついて、養成所に行くことにしました。キャリーケースに荷物を詰め込んで、いろんな養成所のオープンキャンパスを1日で何カ所も回ったりしていました。

──スクールJCAを選んだ理由は?

高野 オープキャンパスでスタッフの人に「何その荷物?」ってキャリーケースを指差されたんです。何かしらボケなきゃいけないのかなと思って「海外に行った帰りなんです」と返したら、「いいねー」って言われて(笑)。雰囲気がよさそうだったのと、人力舎に好きなコント師がたくさんいたので、JCAに決めました。

1人の男の影響で同期がみんな尖った

──養成所では最初、別々のコンビやトリオだったんですよね。

西田 当時組んでいたトリオがどんどん調子悪くなっていって、ヤバいなと思ってたら、高野も。

高野 コンビで漫才をしていたんですけど、事務所にも所属できなさそうな雰囲気だったので解散しました。

西田 高野とはすでに仲良くなっていたし、彼と組むことに興味はあったので、飲んでいるときに冗談半分というか探りを入れる感じで「2人でやったらどんな感じかな?」って聞いてみたんです。そしたら「あんまりじゃない? 内輪ノリになりそう」って言われて……。

高野 2人ともネタを書いてなかったので。

西田 そのときは「まあまあ、そうだよな」と思って諦めたんですけど後日、高野のほうから誘ってもらいました。

高野 俺はすでに心が折れかけていて、別の養成所に行こうかなと思っていたんですけど、そんなときに周りから「西田とかいいんじゃない?」と言われて、じゃあ試しに組んでみようかなと思いました。いざ組んだら西田に「ネタ書いてきて」って言われて。書いたものを見せたら「ダメだ」って(笑)。これを3回くらい繰り返しました。

西田 「ダメだ」なんて言ったっけ(笑)。

高野 言・い・ま・し・た。……養成所の終盤のネタ合わせでもギリギリまで西田から「こんなんじゃダメだ!」って言われて、すごくイライラしてたんですけど、講師からめちゃめちゃお褒めの言葉をもらったんです。そこで続ける決心がつきました。今までとは手応えが違いました。

キャプテンバイソン。左から西田涼、高野哲郎。

キャプテンバイソン。左から西田涼、高野哲郎。

──ほかにJCA時代で思い出に残ってることは?

高野 僕らの養成所時代ってちょうどコロナ禍と重なってたんです。「本当に芸人になれるのか?」みたいな不安がずっとあった中、同期で仲のいいピン芸人・SLEEZE BLACK(現・CITY OF SLEEZE)がスクール在籍中に「有田ジェネレーション」(TBS系)に出て。かなり尖った芸風なんですけど、それが最初に評価された。彼に影響を受けて、同期はみんなちょっと尖りました(笑)。

──私はCITY OF SLEEZEさんが「有田ジェネレーション」に出る数カ月前に、「R-1ぐらんぷり」の予選で見て、一番印象に残ってたんです。椎名林檎の「幸福論」を歌うところから始まるコントがものすごく衝撃的で。

西田 あー、あのネタですね(笑)。

高野 彼はそれ以降「R-1」も出てないですから。

──尖りすぎて?

高野 そうです。

西田 ルール改定でネタ尺が短くなったときに「その尺でやる意味ないだろ」って、そこから(笑)。

「UNDER5は俺たちの大会だ」

──今年初開催された「UNDER5 AWARD 2023」で準優勝に輝いたことで、お二人の知名度は一気に上昇しました。

西田 最初にこの大会のことを聞いたときはエントリーするか迷いました。「キングオブコント」の前にあるので、これで消耗するのはどうなんだろうと。賞レースってどうしても疲弊しちゃうんです。ただ周りはみんな出てたので、「なんで出ないの」と言われるかなと思って、ギリギリでエントリーしました。

──最初はどこまでいけると予想してましたか?

西田 全体的なレベルがどのくらいなのか、まったくの未知数だったので、予想すらしてなかったかもしれません。ただ、大学お笑いがだいぶ成熟しているので、5年目以下でも強豪は多いだろうなとは思っていました。

高野 俺は正直……決勝いけるかなって(笑)。

──けっこう強気ですね。

高野 決勝いくか1回戦で落ちるかのどっちかだなという予感はありました。「THE SECOND」ができたときにマシンガンズさんが「俺たちの大会だ」って言ってたじゃないですか。俺もそう思いました。「UNDER5は俺たちの大会だ」って(笑)。ありがたいことに1年目のときから先輩のライブに呼ばれてたんですけど、5個くらい上の先輩にバトルで惨敗するみたいな経験をかなり多くしてきたんです。その世代とたくさん戦ってきたからには、同世代に負けたくないって気持ちがありましたし、あのときの経験がようやく生かせるんじゃないかと。

キャプテンバイソン

キャプテンバイソン

──実際に大会が始まるとキャプテンバイソンさんはかなりの快進撃で、特に準決勝のトリを務めたときのウケ方はすさまじかったです。

西田 正直、僕はあれがどのくらいのウケてるのか、よくわかってませんでした。終わったあとに周りから「絶対いった」と言われて「そうなの!?」って。

高野 俺は「人生で一番ウケた」と思いました。ただ、あれを覚えてしまってから、どれだけウケてもスベってるように感じてしまうんです。決勝もスベってるように感じました(笑)。「あれ?」って。あのときのウケを超えるのがこれからの課題です。

──大会後の反響はいかがでしたか?

西田 取材、テレビ、ラジオ、ライブ……すべてが格段に増えました。

高野 4年目の目標がテレビでネタをやることだったんですけど、それも「UNDER5 AWARD」のおかげで叶いましたし。あと、どこに行っても知っててもらえるようになりました。

西田 上の人に挨拶しても「UNDER5観たよ」とか言ってもらえるよね。

高野 今年の「キングオブコント」の準々決勝で、かが屋さんが「あっ、キャプテンバイソンだ!」って言ってくれて。そんなわけじゃないですか(笑)。こっちが「かが屋さんだ!」のはずなのに。「会えてよかった!」とまで言ってくれて、すごくうれしかったです。

西田 「ネタパレ」(フジテレビ系)の収録のときに、ジェラードンのかみちぃさんが僕らのところまで来てくれて、「キャプテンバイソンに会いたかったんだよ」と言ってくれて感激しました。テレビで見てた人たちにそんなことを言われるなんて。

“ビジュ”を褒められることについて

キャプテンバイソン。左から西田涼、高野哲郎。

キャプテンバイソン。左から西田涼、高野哲郎。

──「UNDER5 AWARD」がきっかけで、キャプテンバイソンの“ビジュ”を推す人も一気に増えたように思います。「THE SECOND」におけるマシンガンズ滝沢さん現象のようなことが若手界でも起こっていたという。これについてはどう思っていますか?

高野 とりあえず、「ビジュがいい」と言われていることに関して、彼(西田)は大変満足しています。

西田 まあまあ……そうですね(笑)。これまでは見た目に言及されることがあまりなかったのに、初対面の人にまで「やっぱイケメンだね」と言ってもらうことが増えたので。

高野 ノリノリですよ。

西田 「こんなに言われるってことはそれを武器にしたほうがいいんじゃないか」と思い始めてきて、アンチエイジングや美容をやるようになりました。ファッション誌の仕事をいただいたときにメイクさんから「肌がすごくきれいですね。これは絶対大事にしたほうがいいですよ」と言われたので、その場でどうすればいいのかめちゃめちゃ聞いて、今はこまめにケアしています。

──長髪にしたのもよかったのかもしれません。

西田 これも完璧に作戦がハマりましたね(笑)。前は坊主だったんですけど、美容師さんと「不潔にならない程度に」「昔の俳優さんみたいに」と相談しながら伸ばしています。

高野 俺の場合は、ヒゲは不潔な印象をもたれやすいので、そうならないように最低限気を付けるだけです(笑)。

キャプテンバイソン

西田涼(ニシダリョウ)
1993年6月9日生まれ、東京都出身。

高野哲郎(タカノテツロウ)
1994年6月12日生まれ、栃木県出身。

略歴
スクールJCA28期生の西田涼と高野哲郎が2020年1月に結成。「キングオブコント2022」では結成2年目ながら準々決勝まで進出。2023年に芸歴5年目以内の若手芸人を対象とした賞レース「UNDER5 AWARD 2023」で準優勝して話題となった。

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