米津玄師|4年間の旅の先 たどり着いた失くし物の在処

「地球儀」がもたらした思考的転換

──アルバムのタイトルが「LOST CORNER」に決まったのは、曲がすべてできあがったあとでしたか?

アルバムの曲を作っている最中に決めました。できることなら曲が最後まで仕上がってから総括するようにタイトルを付けたかったんですけど、そうもいかなくて。パッと思いついた「LOST CORNER」というタイトルを付けた。ただ、このタイトルを付けてからより方向性が見えやすくなったかもしれないなとは、今振り返ってみて思いますね。

──では表題曲である「LOST CORNER」はどう作っていったんでしょう?

最後に作業したのは「おはよう」という曲なんですけど、あれは去年のライブでSEとして使っていたものを少しいじるくらいだったので、実質的には「LOST CORNER」が最後に作った曲でした。アルバムを総括するような1曲を作らなければならないというのはずっと思っていて。それがどういう曲になるかも自分の中で想像したりはしていたんですけど、いざ取りかかってみるとけっこう難しくて。もっとオーガニックな、ゆったりしたテンポで、いわゆるミディアムバラードみたいな形にするべきなのかなと思って作っていっても、あんまりしっくりこない。やっていくうちに、こういう、自分でもビックリするくらいカラッとした曲になった。でも「これだったんだな」という納得感がすごくありましたね。

──確かにカラッとした感触、ある種のドライブミュージック的な心地よさもある曲だと思うんですけれど、これがしっくりきたというのは具体的にはどういう感覚だったんですか?

そのときの心情として、しっとりしたくなかったんですよね。というのも、自分にとってやっぱり「地球儀」はものすごく大きかったので。「月を見ていた」もそうなんですけれど、あの曲を作って「ここで終わりなんじゃないか」みたいなことすら思った。ジブリ映画の主題歌を作らせてもらうなんて、人生の中でこれ以上の誉れはないくらいのことで。もちろんそれを目指して音楽を作り始めたわけでもないし、実際そんなことが自分の身に起こるなんて到底思っていなかったんですけれど、自分の人生全部を塗り替えるくらいの大きな出来事だったんですよね。「自分はここにたどり着くために音楽をやっていたのかもしれない」とすら思った。なので、曲を作り終わって公開されるまで半年くらいありましたけど、その間に「これ、ヤバいな」みたいな感覚がすごくあったんです。「これが公開されたら、俺の音楽家人生は終わりなんじゃないか」って。だから、去年は精神的にすごくしんどかったんですよね。アルバムを去年に出す予定だったという話も、今思い返してみると、そういう自分の精神状況がなければ実現していたと思うんです。当時はあんまり意識していなかったけど、音楽を作るということ自体に臆病になっていたというか。自分にとって大きな誉れであると同時に、すごい重荷でもあって。

──「地球儀」を作って、それを宮﨑駿監督に直接受け取ってもらって、曲を聴いた宮﨑監督が目の前で涙を流すという体験って、それこそ人生の走馬灯に出てくるような場面だったんじゃないかと思います。

そうですね。一番最初に出てくるかもしれない。

──そのあとすぐに「アルバム曲を作ってください」と言われても、まあ、難しいですよね。

このアルバムの中にも去年作った曲が何曲か入っているんですが、それを聴いていると「悩んでるな、こいつ」と当時の感覚を思い出して、ちょっと笑っちゃうんですけどね。そういうことがあって、音楽を作ることがほとほと嫌になるというか、「もうダメだ」みたいな感じになっていたんですけれど、楽曲を公開してある程度経つと「もう戻れないよな」という感覚になってきた。当たり前のことですけど、ものの考え方って歳をとるにつれて変わっていくわけじゃないですか。それは成長ととらえることもできるし、ある意味喪失ととらえることもできる。成長すればするほどできなくなることも同時に増えるわけで。それは精神的な部分もそうだし、物理的な部分もそう。だから、1つあきらめたというか。「何かを得よう、何かを得よう」と躍起になるのではなくて、失っていくことを肯定していこう、と。そういう思考的転換みたいなものがあったんですよね。

──失っていくことを肯定する、ということを考えるようになった。

そうしたらやっぱりすごく楽になったというか、肩の荷が下りた。10代、20代の頃は何かを獲得していく時間だったと思うんです。自分は今こういう人間で、社会的に生きていくためにはこういう側面が必要で、それを自分に取り入れる。取り入れたものを音楽として発信して、そのリアクションによってまた新たに自分がいろいろなものを獲得していく。そうやって“獲得するために生きる”時間を過ごしていたのが、去年の段階で“何かを失うために生きていく”と思うようになった。成長と喪失が裏と表であるなら、裏を返せば、喪失するため、失うために生きているとすら言える。それを意識しながら生きていこうと思ったときに「じゃあ、もうなんでもいいじゃん」という感じになって。「知ったこっちゃねえや」と思いながら曲を1つひとつ作っていく。その感覚がこの「LOST CORNER」という曲にものすごく表れていると思います。カラっと、もういいじゃん、ゆっくり行こうぜっていう。「海が見えるカーブの向こうへ」という言い方をしているけど、そのカーブを曲がって、道は曲がりながらもどんどん続いていきますよって、それをひとりでに実感できるくらいのスピードで進んでいくことが大事なんだって。そういうふうに思えば、いろんなことがどうでもよくなるっていう、そのカラッとした温度感がこの曲には表れているんじゃないかと思います。

ノーフォークでの体験

──この曲には「ノーフォークの空」という歌詞がありますが、米津さん、実際にイギリスのノーフォークに行かれたんですよね。それも去年だったんですか?

それはまさに「地球儀」を出して、映画が公開されてしばらく経った頃ですね。その体験もこの曲に影響を及ぼしていると思います。「何気に買って失くしたギター」というのも、本当にただの実話で。ロストバゲージしたんですよ。ノーフォークでふらっとギターを買って、飛行機でパリに行くときになくなった。でも、なくなったことに対する悲しさとか怒りとかよりも、なくなったという事実がしっくりきすぎて。

──だってノーフォークに行ったわけですからね。

米津玄師

「うわ、なくなったよ!」みたいな感じになって。そこで思いを馳せるものがあったんですよね。なくなったことは全然悲観的なことじゃない。どこかで誰かがそのギターを弾いてるかもしれないし。そう自然に思えたんですよ。そうやって、いろんないい体験ができた旅行でした。

──そう考えると「がらくた」と「LOST CORNER」という曲は裏表の関係を持っているように思います。「LOST CORNER」は楽観的に喪失を受け入れる曲であり、「がらくた」は、ある種の優しさとして壊れたことを肯定する曲である。そういう感覚がアルバムの1つの軸になっている感じがします。

「がらくた」という曲に関して言えば、「二人はがらくた」って歌ってますけど、危険な表現だなとも思っていて。やっぱり自虐じゃないですか。自分が自虐をよくやる人間だからわかってるつもりではあるんですけど、人に向かって自虐の表現をするときは、気を付けないと大変なことになる。自分を傷付けてコミュニケーションを取ろうとするのは、自分の中ではいいだろうと思っていたとしても、同じような属性や状態にいるような、自分と共有した何かを持っている人間まで同時に傷付けてしまうことになる。そういう危険性があって。この歌詞を書くときも、無闇やたらに人を傷付けないような表現にするためにはどうしたらいいだろうかということを考えました。自虐って、3パターンくらいある気がするんですよ。

──その3パターンというのは?

1つ目は、周りに自分よりすごい人たちがいて、それにただただ萎縮するという。「あなたに比べて私なんてもう全然大したことないですよ、ゲヘヘ」みたいな、自分をより低く見せるという自虐。もう1つは、目線を合わせるというか、逆の立場で、対面にいる人間が萎縮していたり怖がったりしている場合に「大丈夫大丈夫、俺も大したことないから」みたいな自虐。この2つがけっこう危ないというか、相手を不快な目にあわせる危険性が大きい気がするんですよね。特に自分は2つ目が多いんですけれど、「大丈夫、大丈夫」とへりくだって目線を合わせていくうちに、言わなくてもいいようなことを言ったり、優しさのマインドとして言っているつもりでも、自虐を相手に投げかける感じになってしまう。

──自虐によって何かの価値を下げてしまう。

そうそう。だからこの2つが危険なんだけど、最後にあと1つ、“容認”というのがある気がするんです。「結局、自分ってこんなもんだよな、わはは」っていう感じというか。これはニュアンスの問題だとは思うんですけど、自分自身で受け入れたうえで、ある種のユーモアを交えて発する自虐というのがある。もちろん自虐ではあるから、完膚なきまでに無害なのかと言われたらそうではないと思うんですけど。でも、そのカラッとした、あくまで自分はこうだっていう、自分自身を容認するという形の自虐が、一番自分にとって心地いいというか。そうあるべきなんじゃないかなと思ったりもしたんですよ。なので「がらくた」の「二人はがらくた」とか、「LOST CORNER」でも自分たちを「ただのジャンク品」って呼ぶような表現があるけれども、それはさっき言った前者2つではなくて、3つ目の容認という意味での自虐にしたかったというのがあります。そこにあるのは、恐れでもなければ、ある種の優しさとか気遣いでもなく、ただカラッとした明るさ。そういうものが曲に宿っていてほしいという気持ちがあったんです。

「消えろ」と「消えない」

──続いて、1曲目の「RED OUT」についても聞かせてください。アグレッシブで焦燥感があって、非常にイラついている曲ですが、これはどんなところから作っていたんですか?

これはベースリフから作り始めた曲で。たぶん、「さよーならまたいつか!」の反動の曲なんですよね。覚えているのは、「さよーならまたいつか!」を「朝、朝」と向き合ってやっていったあとに「もう、夜の曲を作ろう」と考えて生まれた曲だったと思います。あとこの曲は Bメロで「今すぐ消えろ 消えろ」と何度も繰り返すんですけれど、最後の曲の「LOST CORNER」では「なあきっと消えないぜ」と歌っています。アルバム全体を「消えろ」と「消えない」で挟もうという思いがどこかのタイミングで浮かんだんです。なので、まずその「消えろ」という言葉から連想していく形でこの曲を作った感じではありました。

──「LOST CORNER」を作る前にそのアイデアがあったということでしょうか?

そうですね。最後の曲でどこにたどり着くのかまではまったく想定せずに、「消えない」という“何かを宿した”曲を作るというふんわりしたイメージだけあって。

──「RED OUT」は曲中で「消えろ」と叫ぶとなると、こういう荒々しい曲になったのは必然的な流れだった。

自分は、ある種神経症的というか……よからぬ想像とか強迫観念みたいなものが頭の中をよぎっては消えることが人より多い人間だと思うんです。そういうときに「消えろ、消えろ」と思う。そのときの感覚とか、ディスオーダー的な何か、そういうものを形にしたかった。わかりやすく中二病感があると言いますか、子供の頃の自分のことを思い返しながら作っていきました。子供の頃は生命力に満ちあふれているから、逆に死を追い求めていく。大人になればなるほどそれは反転していきますけど、子供のうちはどうしてもそっちに寄っていってしまう。なので、そのときの遮二無二感を今自分が作るとどうなるんだろうなと、そんなことを思いながら作ったのを覚えていますね。

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同じ方向を向いた2人


2024年8月27日更新