米津玄師|ポップソングの面白さを追い求めたどり着いた、究極のラブソング

恋をすると自分が欠けたような感じがする

──「Pale Blue」はドラマ「リコカツ」の話があって書き始めた曲ですか?

「STRAY SHEEP」を作る前から今一度、ラブソングをポップソングとして強度のある形で作りたかったんです。というのも、音楽はほかの芸術の様式に比べて、広い意味でのナルシシズムみたいなものを助長する効果があるんじゃないかと思っていて。そもそも音楽はそういうものだし、ポップソングとして一番強度があるものはラブソングだとも思っていて。だからポップスを作る人間として、今一度そこに立ち返ってみたらどうなるんだろうということをけっこう前から考えていました。アルバムの制作が終わったタイミングで「リコカツ」のお話をいただいて、これはいいタイミングだと思ったんです。

──米津さんが「リコカツ」主題歌を手がけることになったことを発表したニュースには「久しぶりにラブソングを作りました」というコメントがありましたよね。ということは、「STRAY SHEEP」には、米津さんが考える真っ向からのラブソングは入っていなかったと。

あのコメントを出したときは、自分としては10年くらいラブソングを作っていない意識でした。忘れているだけかもしれないですけど、少なくとも現時点では「ラブソングってなんだろう」みたいなことを考えながら音楽を作った記憶がなくて。ひょっとしたら、真っ向から向き合ってラブソングを作ったことはなかったと言ってもいいかもしれない。だから、今の自分がそういうものをやるとしたらどうなるんだろうと考えましたね。

──そこからどういうふうに広げていったんでしょうか?

「リコカツ」は「離婚から始まる恋」というコンセプトのドラマで、その短い言葉の中に離婚という別れと、そこから始まる新しい恋という両義性がある。そこが面白いなと思ったので、これから始まる恋の歌にも、別れの歌にも聴こえるものにしたいなあというのがまずありました。軸は決まりながらも「恋愛ってなんなんだろう?」と考える時間がものすごく長かった。実はこの「Pale Blue」の制作が今までの音楽人生の中で一番大変だったんです。

──どう大変だったんですか?

米津玄師

今の「Pale Blue」にたどり着くまでに、ボツが3回ぐらいあったんです。誰かにボツにされたわけでなく、自分の中でのことなんですけれど。これを作る前にもう少しテイストの違うものが何個かあったんですけど、どれも真っ向から向き合ったラブソングじゃなくて、ぐちゃぐちゃやりながら今の「Pale Blue」を作っていったんですよね。さっきも言ったように、音楽にはナルシシズムやセンチメンタリズムを助長する効果があるし、それと恋愛はとても結びつきが深い。だったら恋愛にちゃんと振り切ったものを作らないと、自分の中で整合性がとれないなと。ある種下品なくらい感傷的なものを作るべきだと思って、今の「Pale Blue」の形になりましたね。

──ナルシシズムを肯定するという腹の括り方があったんですね。

そうですね。ある種の浅ましさや自分勝手さにちゃんと真っ向から向き合わないと、ラブソングは成立しないと思ったんです。“恋をする”って、基本的にずっと独りよがりで、どうやれば相手に近付けるか、自分がどうやったら相手の視界に入り込むことができるか、どうやったら相手に触れることができるか……そういうことを考えていることですよね。相手のことをわかろうとするのではなく、自分のことしか考えない時間であって、相手のために何かしたいとか、相手を幸せにしたいというのは、本質的には恋ではないような気がする。

──与えるのではなく求めてしまうのが恋である。

そうですね。基本的に、恋をするというのは自分勝手な時間だと思うんです。だからこそ、本当に感傷的な、浅ましいものであって、非常に孤独を感じるものでもあると思うんです。そもそも人間は1人で生まれてきて、1人で死ぬものではあるんだけど、ひとたび恋という状態に陥ると、そもそも自分だけで成立していたものが、なぜか欠けたような感じがする。それで言うと、恋愛の本質は失恋なんじゃないかとも思うんです。そもそも1人で生きてきたけれども、相手が目の前に現れたことによって、自分の半身を失ったような状態になり、孤独を感じざるを得ない状態になる。だからこそ相手にいろんなことを要求するし、取り乱しもする。その状態こそが気持ちよかったりする。だからまあ、恥ずかしいことですよね。

──今おっしゃったような、恋をするのが自己中心的で浅ましいということを踏まえて、そこを突き詰めたものを作ろうと思ったんですね。

浅ましいからって、それを嫌悪するわけではなくて。それはいいんです。でも自分は本質的には浅ましいものを作ろうとしているんだから、それを変に言い訳して上品にやろうとしない。そういう腹の括り方が必要だったんです。

壊れたものを戻して、ほどけたものを結んで

──「Pale Blue」は、始まり方がすごいですよね。ファルセットでいきなり歌が始まる。なかなか思い切ったやり方だと思うんですけれど、それも腹を括ったということでしょうか。

そうですね。最初からフルスロットルでガン!って行かないと、さっき話したような浅ましいものを作るという目的にたどり着けなかったので。とにかく情動的に始まって、そこから紆余曲折あって、双極性の浮き沈みがあったうえで、最後まで向かっていく。そんな感じですかね。

──この曲、構成もかなり凝っていると思うんです。最後のサビ後で8分の6拍子になる。そこまで「恋をしていた」と歌われていたのが、ここで「恋をしている」になる。最初におっしゃっていた両義性が音楽的にも巧みに表現されていると思うんですが、曲構成はどのようにして決めていったんでしょうか?

米津玄師

パートごとに作っていたので、最初はもっとバラバラな感じだったんです。Aメロはこれから始まる恋のパートで、Bメロは別れた後の最悪のパートを提示して、サビでその関係が元に戻るんですけど、全部のパートをバラバラに作り上げて、割れた陶器をつなぎ合わす金継ぎのように、どう違和感なくつなぐかということを延々とやっていたんです。ライアン・ゴズリング主演の「ブルーバレンタイン」という映画があるんですが、その映画は子供がいる夫婦がこれから離婚するしかないという最悪の状態から始まるんです。そこから場面が変わって出会う前の2人が映し出される。その後も最悪の状態と出会う前の状態が交互に提示されて、最終的に2人が結ばれる瞬間と別れて離れていく瞬間が同時に映ってエンディングになる。ああいうことを音楽でやれないかと思ったんです。でも、映像と音楽は全然違うんですよね。映像だったら2人の体型や容姿の違い、フィルムの質感でわかりやすく情景が提示できるんですけど、音楽の場合はそうもいかない。例えば過去のシーンは音質を悪くしてテープから聴こえるようなものにするとか、そういうこともいろいろやってみたんですけど、どうしてもポップスとして成立しなくて、あまりにもアバンギャルドなものになってしまった。延々と考えて最終的にこういう形になったんですけど、それこそパズルを組み立てるような作り方をして。

──シングルのパッケージは通常盤のほかに「パズル盤」と「リボン盤」の3形態ですが、パズル盤の由来はこの曲の成り立ちだったんですね。これまでもパッケージの仕様には曲のモチーフにつながる意味があったので、パズルとリボンというのはどういうことなんだろうかと思っていたんです。

今言ったものもそうだし、パズルに込めた意味はいろいろありますね。バラバラな状態から始まって、元の形にしていくものがパズル。それは壊れているものを修復するということで、離婚から始まる恋みたいだなと思ったんです。リボンもほどけているものを結んだり、それをまたほどいたりできるので、パズルとの共通点があるなと。だからこの2つのモチーフがパッケージとして相応しいんじゃないかと思いました。

──ジャケットのイラストについてはどうでしょう?

恋をしてるときって、まともじゃないというか、半分ラリっているような陶酔状態だと思うんです。そういうサイケデリックなめまいが起きているような状態を、瞳孔が開いている人の絵と、ジャケットの極彩色の色合いで表しました。