気持ちよく宇宙に行けた
──3曲目「ドラゴンはのぼる」も矢野さんのオリジナルですね。昨年リリースされたアルバム「君に会いたいんだ、とても」の収録曲ですが、これも上原さんのセレクトですか?
矢野 これは私。ひろみちゃんと2人なら、絶対もっとよくなると思って。
──この曲では、地上を飛び立つロケットが龍に見立てられています。宇宙飛行士・野口聡一さんによる詞に、矢野さんが歌を付けている。パイロットが体験するG(重力加速度)のすさまじさがピアノで表現されていて。
上原 まさにその感覚を2台のピアノでどう表すかが、この曲のテーマでした。ただ元バージョンがすでに、ロケットの打ち上がる光景を完璧に描いていたじゃないですか。なので私はそのブースト役というか。矢野さんのピアノの裏で、どんな要素を足せるかを模索しました。
──約6分の演奏で、重力のあり方がどんどん変わっていくのもすごく面白いです。「エンジンが止まった瞬間、世界は無重力」という箇所で、激しかったピアノがふっと浮遊感あふれるタッチに変わったり。
上原 あの部分は、実はほとんどインプロビゼーションなんです。映画によくある、空間がぐにゃぐにゃ曲がるイメージ。なんとなく頭にあったその映像が、その場で音になった感覚ですね。「ドラゴンはのぼる」は決め事も少なめで、リハもけっこうスムーズだったよね。
矢野 うん。私としてはもう、気持ちよく宇宙に行けたなと。2人でやってよかったとつくづく思いました。でも「ドラゴンはのぼる」が終わると間髪をいれず次の「ポラリス」が待ってますから。成層圏を飛び出したあと、さらにまた大変な世界が待っているなと(笑)。
歌うのに覚悟のいる曲
──4曲目「ポラリス」は、上原さんのオリジナル曲。どこか叙事詩のようなスケール感のあるバラードで、昨年始動した新プロジェクト、Hiromi's Sonicwonderの1stアルバムに収録されています。これはどちらのセレクトですか?
上原 これは私です。昨年、新しいバンドで世界ツアーを始めまして。「ポラリス」を演奏するたび、なぜか頭の中で矢野さんの声が聴こえたんですね。それで「この曲を矢野さんに歌ってもらいたいんだ」と気付いたので、彼女がニューヨークのライブを観に来てくれたときに作詞をお願いしました。「今日のセットの何曲目でやるから、しっかり聴いといてくださいね!」って、ちょっとムチャぶりで(笑)。
──原曲ではアダム・オファリルさんが、ふくよかな音色のトランペットを拭いています。今回の導入部でも歌メロがその旋律を踏襲していて。言葉と曲全体の雰囲気がすごく馴染んでいるなと感じました。
矢野 いいメロディですよね。ただ、詞を書くのはすごく時間がかかりました。やはり完成されたサウンドの世界観を曲げちゃいけないし。何より「ポラリス=北極星」という明確なテーマがありますからね。そこに合う言葉を、ほとんど自分の力を振り絞るようにして書いた。
──私は「So many lives; you saved those stranded ones」という一節が特に記憶に残りました。昔から北の空で旅人を見守ってきた孤高の星。その映像がこのフレーズから一気に広がって。
矢野 うん。歌詞にも出てきますが、北極星って実は一等星じゃないのね。例えば今の季節なら夕方の金星、夜半には木星が輝いて見えるでしょう。それよりずっと暗い。有名なわりに見つけにくい地味な存在だったりします。だけど星空の中で動くことなく、いつも同じ位置にいてくれる。それでたくさんの旅人や船乗りたちを救ってきたわけですね。歌詞のベースになったのはそういう大きな意味での道しるべかな。私たちを未来に導いてくれる希望の光、みたいなイメージ。
上原 それってまさに、私が「ポラリス」を書いたときに描いていた風景なんですよ。初めて聴いたときには、頭に漠然とあった絵を言葉にしてもらった感覚でした。しかも3曲目「ドラゴンはのぼる」と続けて演奏することで、何だか自分が宇宙に降り立った気分になる。このくだりは演奏していて毎回グッときます。
──3曲目と4曲目は、インタールードなしで約20分。大いなる宇宙から人間の根源的孤独まで、さまざまなビジョンがドラマチックに展開されていきます。アルバムでも1つのクライマックスですね。
矢野 ちょっと余談ですが、「ドラゴン」が終わったあと、ひろみちゃんがそのまま「ポラリス」のイントロに移行するでしょう。その間に私は楽譜を取り替えるのね。いつもは雑にバサバサッとやっちゃうんですけど(笑)、このときは、そっと静かにページをめくりました。ある種の儀式というか、そこで心を整えて臨む必要があったんだと思います。この曲も非常に緻密なアレンジで、2人一緒に大きな波に乗っていけるように書かれている。でも同時に、歌うのに覚悟のいる曲でもありました。
もっともっとよくなっていく
──ビル・ウィザースのカバー曲「Just the Two of Us」を挟んで、上原さんが作詞作曲を手がけたのが6曲目の「ペンデュラム」。昨年末のソロピアノ公演「BALLADS」で披露されたどこかメランコリックなバラードで、アルバムには未収録です。
上原 この曲はすごく自然に生まれたんです。最初はピアノで、ちょっとしたリズムパターンを考えていたのかな。その揺れる感じが振り子っぽいなと思いつつ、主旋律を付けていった。そうしたらほぼ同時に日本語の歌詞も浮かんできました。それをそのまま矢野さんに歌っていただいたという、ごくシンプルな流れです。
矢野 アンビバレントな心象風景が、よく出てる曲だよね。私はとっても好き。
上原 あ、うれしいなあ。
矢野 これまでも自作に歌詞を付けた曲はあったじゃない? アルバム第1作「Get Together」だと「月と太陽」がそうだし。第2作「ラーメンな女たち」には「こいのうた」があった。でも「ペンデュラム」には、その2曲とはまるで違った色合いを感じるのね。だから私もアプローチを完全に変えてますし、正直まだまだ掘り下げが足りない。この曲は今後、もっともっとよくなっていくと思うな。
──前2作同様、カバーシリーズも快調ですね。2曲目「げんこつアイランド」は、童謡「げんこつ山のたぬきさん」とハービー・ハンコックの名曲「Cantaloupe Island」のマッシュアップで。
上原 これは1作目の「あんたがたアフロ」、2作目の「おちゃらかプリンツ」と同一シリーズですね(笑)。前回はまず最初にウェイン・ショーターの「Footprints」をやりたくて。それにつながるかっこいいリフのある童謡を探したんですが、今回は逆パターン。「げんこつ山」から先に作っていきました。我ながら最高のタイトルを思いついたなって。自画自賛しています(笑)。
──7曲目「ラッパとあの娘」では、笠置シヅ子とスティーヴィー・ワンダーの世界を自在に行き来します。
上原 2人でNHK朝ドラの「ブギウギ」についておしゃべりしてたとき、ふっとアイデアが浮かびました。リハで一番苦労したのは、これかもしれない。12分近くもあって、とにかく長いですから。
1杯5000円のラーメン誕生
──さて、いよいよ8曲目「ラーメン食べたい」。言わずと知れた矢野さんの代表曲ですね。これまでの3作は、すべてこの曲がラストを飾っています。しかも3つのバージョンを聴き比べると、それぞれまったくテイストが違っていて。そこにワクワクさせられます。
上原 この曲は本当に、毎回チャレンジですね。どんなアプローチをすれば、まったく新鮮な「ラーメン」をお客さんに味わっていただけるか。すごく悩んで作っています。
矢野 そうね。
──1作目の「ラーメン」は、個人的にはどこかマイルス・デイヴィスの名曲「So What」を思わせる、モダンで軽やかなタッチが印象的でした。2作目は一転、ほとんどフリージャズに近い高速フレーズと変拍子の嵐だった。今回のアレンジはどういうアプローチでしたか?
上原 コンセプトとはまた違うんですけど、イントロのピアノの音色とリズム。あのちょっと硬質なタッチから、全体のイメージが固まっていきました。「うん、この音なら勝負に勝てそうだぞ」っていう感じ(笑)。途中で何度か、私がひたすら同じ音を連打するところがあるんですけど。
──はい。あらゆる装飾音を削ぎ落とした感じで、すごいインパクトでした。あの連打があるから「男は辛いけど女も辛いのよ」という黄金のサビフレーズが際立っているように感じます。
上原 あそこは自分の中に、ミニマルでソリッドな現代音楽のイメージがあって。歌なしで2人のピアノだけ聴いたら、それこそバルトークとかスティーヴ・ライヒにも聴こえるような。そんな硬質な響きが欲しかったんです。2人のインプロも含めて、そこはうまくいったと思う。すごく気に入ってるポイントです。
矢野 私は、物理的な運動量ということでは、2杯目の「ラーメン」が非常に大変で。
上原 確かにそうだった。
矢野 2枚目のレコードではものすごくがんばって、2人でそのアレンジをやりきった。達成感という面では、いまだに非常に思い入れが強いんですね。で、今回はそういう試練もいろいろ超えてきた2人の、本当の意味で熟成した「ラーメン」になっていると思う。シンプルだけど、それぞれが音楽的に積み上げてきたものが凝縮されていて。まあ、実際のお店なら1杯5000円くらいはいただいてもいいかなって(笑)。
上原 あはははは! 1杯で5000円って!
矢野 でも私、それくらいの価値は十分あると思いますね。
パラダイスに片足を突っ込めた
──最後にもう1つ。とてもありきたりな質問ですが、改めて「Step Into Paradise -LIVE IN TOKYO-」というアルバムを振り返って、今どんな思いを抱かれますか?
矢野 私はこのレコーディングライブをやるたび、必ず「これが最後です」と話してきました。もちろん半分は誇張だけれど、半分は本気。何度もお話ししているように、練習も本番も、それくらい大変なんですね。今回もやっぱり「これが最後かな」と思っている。実際いつかは体が追いつかなく時期も来るでしょうしね。でもそれと同時に、今回のライブには「これが最後だとしても満足」というニュアンスも入ってきて。
──ああ、なるほど。
矢野 それくらい今回は、ひろみちゃんとピアノで深い対話ができたと思ってますね。
上原 私は矢野さんと逆で。どうすれば2人のステージを実現できるか、頭の中でいつも口説き文句を考えてきました。例えば今回は「矢野さん、どんな映画も3部作だから!」とか押しまくって(笑)。
矢野 私がノーと言えないように、いろいろ堀を埋めてくるのよ。で、いつの間にかその気にされられちゃうというね。
上原 結局このインタビューの最初の話に戻っちゃいますが、それを本当に形にできたことが何よりうれしい。内容的にもまったく惰性じゃない、今の自分たちのベストと心底思えるものができて。満足しています。
矢野 えーと、この「Step Into Paradise」っていうタイトルは私が付けたんだっけ?
上原 うん。そうだったはず。
矢野 練習中に、ふと浮かんだ言葉がこれだったんですね。私にとってはなかなかパラダイスとは言いがたい、むしろ必死な状態ではございますが(笑)。観ている方、聴いている方はきっと楽園みたいに楽しいんじゃないかなって。3回目にして素直にそう思えたんですね。
上原 え、矢野さん、これってお客さん目線のパラダイスだったの!? 私ずっと、ステージ上の2人のことを言ってるんだと思ってました。
矢野 違うよー。私まだまだ、その境地には達してませんから(笑)。あ、でも、ちょっとだけ2人でパラダイスに片足を突っ込めた感触はあったかな。うん。話してるうちに、だんだんそんな気がしてきました。
公演情報
矢野顕子×上原ひろみ TOUR 2025 ~Step Into Paradise~
- 2025年5月6日(火・振休)大阪府 フェスティバルホール
- 2025年5月8日(木)愛知県 愛知県芸術劇場 大ホール
- 2025年5月11日(日)東京都 NHKホール
プロフィール
矢野顕子(ヤノアキコ)
1955年東京生まれのシンガーソングライター。幼少からピアノを弾き始め、高校時代にはジャズクラブで演奏する。1972年頃からセッション奏者として活躍し、1976年にアルバム「JAPANESE GIRL」でソロデビュー。1979年から1980年にかけては初期Yellow Magic Orchestraのライブメンバーも務めた。またrei harakamiとのユニット・yanokamiで新たな一面を見せるなど、そのチャーミングで独創的なスタイルは、のちに続く世代のアーティストたちにも絶大な影響力を誇っている。2021年にソロデビュー45周年を迎え、これを記念したアルバム「音楽はおくりもの」を発表。2023年3月には宇宙飛行士の野口聡一とコラボし、野口が国際宇宙ステーション滞在中に歌詞を書き、矢野がその歌詞に曲を付けたピアノ弾き語りアルバム「君に会いたいんだ、とても」を共同名義でリリースした。2024年12月に上原ひろみとのライブアルバム第3弾「Step Into Paradise -LIVE IN TOKYO-」がリリースされた。
矢野顕子 Akiko Yano (@yano_akiko) | X
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上原ひろみ(ウエハラヒロミ)
1979年生まれ、静岡出身のピアニスト。6歳よりピアノを始め、国内外のチャリティコンサートなどに多数出演。1999年にアメリカ・ボストンのバークリー音楽院に入学する。在学中にジャズの名門テラーク・レーベルと契約し、2003年にアルバム「Another Mind」で世界デビュー。2011年にスタンリー・クラークのアルバム「THE STANLEY CLARKE BAND FEAT. HIROMI」で第53回グラミー賞「Best Contemporary Jazz Album」を受賞した。2020年からはコロナ禍の影響で苦境に立たされるライブ業界救済のためブルーノート東京にてシリーズ企画「SAVE LIVE MUSIC」を展開。同企画で初披露したプログラムの1つ、上原ひろみザ・ピアノ・クインテットとしてのアルバム「シルヴァー・ライニング・スイート」を2021年9月にリリースした。2023年2月公開のアニメ映画「BLUE GIANT」では音楽監督を務め、「第47 回日本アカデミー賞」において「最優秀音楽賞」を受賞。このほか2007年には「第57回芸術選奨文部科学大臣新人賞大衆芸能部門」、2008年と2017年には「日本レコード大賞優秀アルバム賞」、2023年には「令和5年度文化庁長官表彰」を受賞している。
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