矢野顕子と上原ひろみによるライブレコーディングアルバム第3弾「Step Into Paradise -LIVE IN TOKYO-」がリリースされた。
2011年リリースの第1弾「Get Together -LIVE IN TOKYO-」、2017年リリースの第2弾「ラーメンな女たち -LIVE IN TOKYO-」に続く本作は、今年9月に東京・東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアルで行われた白熱のピアノセッションの音源を、現場の臨場感をそのままに収録したもの。セッション曲は1曲を除きすべて上原が編曲を手がけており、2人のオリジナル曲をはじめ、童謡「げんこつ山のたぬきさん」とハービー・ハンコック「Cantaloupe Island」、服部良一「ラッパと娘」とスティーヴィー・ワンダー「That Girl」といったユニークなマッシュアップや、過去2回に続き「ラーメンたべたい」の新アレンジバージョンも披露されている。
音楽ナタリーではライブアルバムのリリースに合わせて2人にインタビュー。初共演時の思い出や、ライブレコーディングアルバムを出すことになったきっかけを振り返りつつ、「過去3回で最高だったんじゃない?」という感想も飛び出した今作の制作秘話を語ってもらった。
取材・文 / 大谷隆之撮影 / 斎藤大嗣
もしかして私たち、最高だったんじゃない?
──「矢野顕子×上原ひろみ」名義のアルバムは3作目ですね。今回も圧巻のパフォーマンスでした。ボーカルと2台のピアノがせめぎ合い、ときに楽しげに戯れあって、まるで1つの音の塊になって脈打っているようだなと。
上原ひろみ ありがとうございます。
──本作「Step Into Paradise -LIVE IN TOKYO-」には、今年9月に東京オペラシティで2日にわたって開催されたレコーディングライブから8つのテイクが収められています。私は今回参加できなかったのですが、現場に居合わせられなかったのが残念で、口惜しくて。音源を聴いて泣きそうになりました。
矢野顕子 それは大変な損失でしたね(笑)。
──改めて、ライブ当日の手応えはいかがでしたか?
上原 このプロジェクトでは毎回思うことですが、公開録音の緊張感ってやっぱりすごいなと。2人でずっと練習してきた曲が、お客さんの前で初めて命を授かるっていうのかな。演奏している私たちもドキドキしながら見守ってる感覚があるんですね。矢野さんと再びその瞬間に立ち会えたのが、まずうれしかった。
矢野 私は今回も、自分の役割を果たすので必死でしたね。ひろみちゃんとのライブはいつもそう。とにかく間違わず、最後までやりきらなきゃいけないでしょう。そもそも譜面通りに弾くのは苦手なほうですし(笑)。しかも彼女の書くアレンジは、非常に緻密ですから。これは本当に大変な仕事なんです。でも終わってみるとやっぱりね。こういう音楽の作り方はこの2人でしかできないなって、心から感じます。とりわけ今回は、今まででも一番いい“何か”が生まれたなと。
上原 終演後、珍しくそんな会話をしましたよね。
矢野 そうだっけ? 私、疲れ果ててなかった?
上原 確かに初日は「お互い早く帰ってもう寝ましょ」みたいな空気だったけど(笑)。2日目が終わったあとは「もしかして私たち、過去3回で最高だったんじゃない?」って盛り上がったのを覚えてます。
──最初の共演アルバム「Get Together -LIVE IN TOKYO-」から13年。どういう部分が熟成したと感じますか?
上原 うーん、言葉にするのは難しいんですけど……誰かと音楽をやるとき、やっぱりお互いを輝かせられる関係がベストだと私は思うんですね。相手が全力を発揮できるよう、自分の持てる力をすべて出す。もちろん矢野さんに対しても、その気持ちは1作目から変わりません。今回は、それがより自然にできた気がする。アプローチは変えてないんですけど、より深いコミュニケーションができたというか。
矢野 そうね。大変さは同じでも、前よりちょっぴり余裕があったというかね。より会話のキャッチボールを味わえた気がしますね。そういう手応えは、確かにありました。
──振り返ると、お二人が出会って20年になります。初対面はNHKの音楽番組「夢・音楽館」。ピアノ2台を挟み、童謡の「おぼろ月夜」をセッションされました。
上原 私はまだデビューして1年ちょっとだったのかな。テレビ局に行ったこともほとんどない時期で。しかも矢野さんはずっと憧れの人でしたから、かなりガチガチに緊張してました。
矢野 懐かしいね。
上原 でもお会いしてすぐ、矢野さんが「あなたのこと、アンソニーから聞いてるよ」って言ってくださったんですね。あのときは本当にアンソニーに感謝しました(笑)。
──アンソニー・ジャクソンさん。ニューヨーク在住で、上原さん、矢野さんの双方とバンドを組んできた伝説的なベーシストですね。収録についてはどんな印象が残っていますか?
上原 すごく楽しかったです。ただセッション自体は正直、あっという間でした。テレビなので尺も限られてますし、完全にフリーな演奏ができる状況でもなかった。で、その2年後かな。昭和女子大学人見記念講堂で、初めて矢野さんと1時間以上たっぷりライブができて。そのときの興奮は忘れられないですね。変な例えですけど「こんなスリリングな乗り物、初めて!」みたいなワクワク感で。
矢野 あははは、乗り物ね(笑)。私は最初から必死で、そんな余裕はなかったなあ。
上原 そう?
矢野 でもまあ、予感はあったかな。要は音楽家2人が、ピアノで会話するわけですからね。中には何を聞いてもつまらない答えしか返ってこない人もいれば、対話自体を拒んじゃう人もいる。でもひろみちゃんとはそうじゃなかった。どんなことも即興でおしゃべりできる楽しさが最初からありました。「昨日は何食べた?」とか「じゃあ次はうなぎにしよっか」みたいなことまでね。
上原 はははは。確かにそうかも。
矢野 矢野顕子と上原ひろみというのは、要はそういう音楽家同士なんですね。だから付き合いが長くなり、お互いを知れば知るほど、話題も広範囲に及ぶし、内容も深くなる。そうやって積み重ねた時間が、そのまま今回の「Step Into Paradise」につながっているんじゃないかしら。
諸行無常というより“当たり前ソング”
──では収録曲について具体的に教えてください。まずはオープニング曲の「変わるし」。これは2008年のアルバム「akiko」に収められた、矢野さんのオリジナルですね。
上原 これは私が選びました。最初に聴いたときから大好きで、いつか2人でも演奏したかったんです。同じブルース形式でも、原曲はかなりビートにタメがきいていて。
──アメリカンロックの名匠、T・ボーン・バーネットさんがプロデュースを手がけていますね。
上原 はい。矢野さんの軽やかなボーカルが乗りつつ、曲自体にズシッとした質感がありますよね。それを今回は、かなり自分のフィールドに引き寄せてみた。ジャズのイディオム(慣用表現)も多用して、スウィングの強い演奏になってるんじゃないかなと。
──最初はゆったりとしたテンポで、2台のピアノがお互いを探り合っています。それが「あたりまえだけど あきらめられないのよ」というサビ前のフレーズをきっかけにして、トントントンと一気に駆け出していく。あの緩急の付け具合に痺れました。
上原 ありがとうございます。ただ、「変わるし」については、そこまで細かいコンセプトはなかったんです。自分にとっては普段着に近いというか、特にジャズとかラグタイムっぽく再構築した意識もない。この2人を想定してアレンジを書いたら、自然にこの形に落ち着いてました。
矢野 私もこれは「うん、最初からこういう曲だった!」という感じだったな。曲そのものは、非常にシンプルなブルースですからね。やり方次第でいかようにも広げられる。ひろみちゃんのアレンジは、軽やかなリズムがすごく面白い。最初はてんでバラバラだったピアノの音が、間奏あたりからガツンと重なって。どんどんグルーヴが増していくでしょう。あの構成も素晴らしいなと。
──矢野さんのリリックも素敵ですね。人生のどうしようもない諸行無常さが、どこまでも明るくユーモラスに歌われているようで。
矢野 でも世の中って、そもそも移ろっていくものでしょう。どんなに大切な人やものも、いつか必ずいなくなる。若い頃はもう少し抗う気持ちもあったけれど、歳を重ねてくるとだんだんね。なんでも笑って見送るのが一番だなと素直に思えてくる。実際、私自身もずっとそうしてきてますし。だから私にとっては諸行無常というより、“当たり前ソング”ですね。
──ちなみに今回も、アドリブ演奏メインの「げんこつアイランド」以外、全アレンジを上原さんが手がけています。このユニットの編曲で特に重視していることはなんでしょう?
上原 やっぱりピアノが2台あることの意義を、ちゃんと表現することかな。ピアノってリズム、メロディ、ハーモニーを同時に奏でられるじゃないですか。それ1台で完結できる小さなオーケストラみたいな楽器なんですよね。言い換えれば、1台でできることを2台でやる意味はない。88鍵の鍵盤が2つあって初めて出せる音の厚みや、ダイナミクス。そのため音の重ね方は常に意識しています。あともう1つは、ボーカルのパートには極力アレンジを書き込まないこと。
矢野 そうね。その部分のピアノは、2人ともアドリブが主体だよね。
上原 矢野さんの歌って、ライブのたびにすごく変わるので。当然その曲線に合わせて、ピアノのリズムや旋律も大きくうねっていく。最低限のリハーモナイゼーション(コードの再構築)指定とかはしても、そこで譜面を書き込みすぎると、せっかくの自由さが縛られてしまう。
矢野 咄嗟に出てきたフレーズに、それぞれのピアノがどう反応するか。それが醍醐味だもんね。
上原 しっかりアレンジを書くのはイントロ、間奏、エンディング。ほかにも細かい決めフレーズやブレイクのポイントはいろいろ設けていますが、曲全体がどう転がっていくかは基本的に予測不能なんですよ。
矢野 ちょっと脚本の当て書きにも似てるかもね。即興パートと決め台詞が細かく組み合わさったスクリプト。まずひろみちゃんが、矢野顕子という演者を思い浮かべつつそれを書き上げ、送ってくれる。私はイントロや間奏の決め台詞パートをひたすら練習し、なんとか弾きこなせるようになったら、2人で稽古場に入って本格的なリハーサルが始まると。
上原 まさにそんな感じです。
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