シンガーソングライターの山﨑彩音が、7月25日にメジャーデビューアルバム「METROPOLIS」をリリースした。15歳のときに東京や神奈川のライブハウスで歌い始め、17歳だった2016年には当時史上最年少で「FUJI ROCK FESTIVAL」に出演し、キャリアを重ねてきた彼女。以前はギターの弾き語りで活動をしていたが、昨年はバンド編成でのライブを数回行ない、今回のアルバムもバンドと共にレコーディングしている。
なぜ彼女はここにきてバンドサウンドを求めたのか。そして歌詞につづった言葉にはどんな思いが込められているのか。音楽ナタリーでは山﨑彩音にインタビューを実施し、表現に向かう思いを掘り下げて聞いてみた。
取材・文 / 内本順一 撮影 / 曽我美芽
なんとなく次はバンドかなあ
──ミニアルバム「キキ」のリリースから1年ちょっとが経ちました。
けっこう昔のことに思えます。今の自分にあの感じはもう跡形もなくなってますからね。
──この1年、いろんなトライ&エラーを繰り返してましたもんね。
そうなんですよ。ここまで来るのにいろいろありましたね。と言っても、もうあんまり思い出せないんですけど(笑)。まず、バンドとやることが未知だったので、それが一番大きいですね。
──初めてバンド編成でライブをしたのはいつでしたっけ?
去年の11月だったかな。ずっと弾き語りでやってきて、それからドラムと私だけのライブを何度か試して、そのあとバンドで何度かやって。最後、年末にライブをやってからは制作に集中してました。
──初めて多くの人が関わる制作をすることになって、彩音さんの頭と心はかなり忙しかったのでは?
いやもう、いろんな変化がありましたからね。やったことのないことをいろいろやったし。何もわからない状態でのスタートだったので、戸惑いながら。アルバムの収録曲も10曲と、今までで一番多い曲数だったのでけっこう大変でした。
──少しさかのぼって聞きますが、まず2017年4月にミニアルバム「キキ」をリリースしたときの手応えはどうでしたか?
いや、全然物足りなかったですね。でも、自分でもけっこうボケーっとやってたところがあったので(笑)。今ほど「やるぞ!」みたいな感じもなく。そこまで積極的に行く感じではなかったと言うか。
──「キキ」は彩音さんらしさがネイキッドな形で表れたミニアルバムだったと思いますけど、今回のフルアルバムのように新しいことに挑戦しながら時間をかけて作り上げたものではなかったですもんね。
そうですね。できた曲をそのままレコーディングするという感覚だったので、作品を作り上げるというような気持ちには、まだあのときはそんなになっていなかった。
──弾き語りでの作品作りは、とりあえず「キキ」である程度の満足感を得られたところがあったんですか?
いや、全然。でも、なんとなく次を考えると、バンドかなあって思ったので。
──「キキ」のあとにレコーディングされたけれども発売に至らなかった幻の作品があるそうですね。
あ、そうそう。実はそれがあって今に至るんです。それを作っていたのがまさに去年の今頃で。「キキ」が終わってからいきなりバンドに移行するんじゃなくて、ドラマーと2人だけで作ってみたんですよ。それまではリズムボックスで作っていたところを、生ドラムとやるっていうのを突き詰めようということでレコーディングしたんですけど。
──その作品の手応えはどうだったんですか?
うーん。とにかく一生懸命ドラムに合わせることを考えてやっていただけだったので。自分なりに「この曲のイメージはこう」っていうのは持っていたんですけど、まだ「キキ」の延長線上にあるものでしたね。今聴くと、「遅っ!」って思いますもん。「METROPOLIS」に入ることになった曲もいくつかそこに入っていたんですけど、テンポが全然違う。しばらく聴いてなかったけど、最近ひさしぶりに聴いてびっくりしました(笑)。それでまあ、発売が見送られて、もっとサウンド的にもがっつりやったほうがいいんじゃないかってことになって。で、それからバンドが始動して、今に至るという感じですね。
──バンドでやってみようという気持ちには、わりと素直になれたんですか?
そこはけっこう、すんなり。「やってくれる」という人もいたので。
自分に矢印が向いている曲がちょっと窮屈に
──「キキ」が完成した際のインタビューで、もともとシンガーソングライターという概念は自分の中になかったけれども、どうやったらバンドが組めるのかわからなかったので「1人でも出れますか?」とライブハウスの門を叩いたのが始まりだったと言ってましたよね(参照:「Coming Next Artists」第17回 山﨑彩音|インタビュアー:ピエール中野)。
そうなんですよ。高校生になってバンドをやりたいと思ったんですけど、どうやって組んでいいかわからないし、協調性もあんまりないほうだから、1人で始めたんです。で、去年、バンドでって話になって、じゃあとりあえずやってみようと。
──バンドでライブをやってみてどうでした?
楽しかったんですよ。自分にとっての気持ちいい曲のテンポはけっこう遅めなんですけど、バンドになるといやが上にも速くなる。それによって聴きやすくなったところもあったみたいで。ライブをやってて、それを感じましたね。だからお客さんの反応もよかったんです。
──弾き語りでやるのとは違う種類の楽しさや喜びがあった。
うん。やっぱり誰かいると心強いってところはありますね。それと、バンドのメンバーは自分と近い年齢なんですけど、初めてライブをしたとき、みんなけっこう緊張していてリハーサルでちっちゃくなってたんです。そういうときに私は逆に力を発揮できるところがあるみたいで。「私がしっかりしなきゃ」みたいな。ヤバい状況のときのほうが力が出る。そういうのがわかったのも面白かったですね。
──意外と姉御肌なところもある。
そうみたいです(笑)。
──そのバンドのメンバーを簡単に紹介してくれますか?
まず、ギターがハイエナカーという名前で活動している村瀬みなとくん。彼は私の4つか5つ年上ですけど、もともと彼がやっていたヘンリーヘンリーズというバンドを好きでよく聴いていて。同じイベントでライブをしたこともあったんです。それでみなとくんと、ハイエナカーのサポートをしているメンバーにライブを手伝ってもらって。あと、ドラムの岩方ロクローくん。彼は私と同い年で、ニトロデイとかエルモア・スコッティーズというバンドで叩いてます。みんながやっている音楽をカッコいいなと思っていたので、一緒にやってもらうことになって。
──サウンド的にも、自分の歌に合いそうだなと?
いや、正直、そういうのはわからなかったですね。とりあえずやってみようってことで。それでやってみたら、なんかよかったんですよ。ただ、最初は自分の意見をなかなかうまく言葉で伝えられなくて、そういうのは大変だったかな。
──そもそもどうしてバンドでやってみようという気持ちが芽生えたんですか?
今まで曲にしても歌詞にしても自分に矢印が向いているものが多かったんですけど、そういうのが窮屈になってきて、ちょっと違うことを歌いたいなって思うようになって。自分に矢印が向いた歌だけだと疲れるし、もうちょっとこうハッピーに行きたい、みたいな。気持ちがそういうふうになっていたので。
──純粋にもっと楽しみたかった。
そうですね。
──弾き語りでライブを続けることに煮詰まっていたところもあったんですか?
煮詰まっていたというわけではなかったと思うんですけど、気持ちの変化がけっこう大きかったので、もう少し速いテンポの曲をやったり、バンドでやったり、歌詞も少し変えてみたりということを試してみるのもいいのかなって。
──例えば今回のアルバムにはポップな曲もあるじゃないですか。そういうポップな曲も歌ってみたいからバンドでやろうと思ったのか、バンドでやるようになったらポップな曲が自然に生まれてきたのか、順番的にはどっちですかね。
今回のアルバム後半に入っているほとんどの曲は、もともとライブで弾き語りでやってた曲なんですよ。でも前半の何曲かはバンドでやるようになってから作ったもので、そっちはわりと意識的にポップにしているところはありますね。いつかこういう曲をやりたいと意識下で思っていたものをやれたと言うか。
──世界観がグッと広がりましたよね。
だと思います。やりたいことをやれるようになったと言うか、やれるタイミングが来たと言うか。大変でしたけど、やれる自分になれたというのは大きいですね。
──例えば2年前だったら……。
絶対無理でした。いろんな意味で。1年前でも無理でした。
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Mac Proで生まれた新しい曲たち