Tiki-Taka Technicsにとっての初のCD作品は、紆余曲折を経て完成したことから迷路を意味する「MAZE」と名付けられた。収録曲は配信シングル「シズナミ・ライオット」の新録バージョン、在日ファンクホーンズや柏倉隆史(toe、the HIATUS)らを迎えてレコーディングした「(飛行するための魔法はただ)ひとつだけ」「最愛の人」など10曲。豪華な演奏陣の参加により、とつかうまれの脳内に広がるポップロックワールドが余すことなく音源化されている。特集後半では、このアルバムが作られるに至ったこれまでの流れを、とつかへのソロインタビューで掘り下げる。
※12月29、30日に東京・WWW Xで開催が予定されていた「Tiki-Taka Jamboree! 2022」は、出演者とスタッフに複数の新型コロナウイルス感染者が確認されたため延期が決定しました。
とつかうまれ(Tiki-Taka Technics)インタビュー
すごくちゃんと作ったんです
──1stフルアルバム「MAZE」、聴かせていただきました。個人的には「どういう人生を送ってきたらこの音にたどり着くんだろう?」とめちゃくちゃ興味が湧きまして。
ちなみに、どういう音だと思われた感じですか?
──「90年代のバンドかな?」と思いました。「あの時代に青春時代を送っていなかった人が、なんで今この音を出せるんだろう?」と。
そうですよね。そのあたりを好きで聴いてきて、一応音楽はちゃんとやっていて……。
──ちゃんと(笑)。
ライブや活動の見せ方と、やる音楽は切り分けているので。このアルバムはすごくちゃんと作ったんです。
──なるほど。ではまず、生い立ちからざっと追わせてください。
静岡県の焼津市という港町で生まれまして。僕、幼少期は人と比べて頭がよかったんですよ。幼稚園の頃から漢字はほとんど読めたし、小学1年生の段階で6年生も読めない漢字まで全部読めて。だからあんまり同世代との会話が成り立たないんですね。勉強はまったくしなくてもできちゃうし、みんなが野球やサッカーをやっている中で1人だけ空手をやっていたり。でも運動ができるタイプでもなかったから、何も馴染める部分がないっていう。どういう分け方をしてもはみ出してしまう。
──どのカテゴリにも属せないという。
友達はいるけど誰ともわかり合えないみたいな感じで、ずっと疎外感があって。「自分は周りとは違うんだな」という孤独感の中で、小学5年生くらいのときに人と違う音楽を聴きだすんです。ちょうどその時期にBOØWYが解散20周年ということでベストアルバム2作(「THIS BOØWY DRASTIC」「THIS BOØWY DRAMATIC」)を同時リリースしたんですね。それを、別にBOØWYファンでもなんでもないうちの親が車の中で流してたら、そこで聴いた「ホンキー・トンキー・クレイジー」がすごく耳に残って。歌詞も今の感覚ではないし、最初はなんかダサいなと思ったんですけど、もう抜けなくなっちゃいました。で、疎外感は覚えつつも小学校での僕は中心人物的な立ち位置だったので、僕がBOØWYを好きって言うとみんな聴きだすんですよ。そこでちょっと、古い音楽を持ち寄って「カッコいいの持ってきたじゃん」みたいに言い合うムーブメントが起こったりして。例えばその小学校だけでスピッツがブームになったりとか。そういう文化のわりと中心にいましたね。
──普通なら大学生とかがやりそうなことを、小学生の時点ですでにやっていたわけですね。
ちょっとマセてはいたと思います。そんな感じで中学に上がると、もう完全に尖りきっちゃって。中学の勉強って、小学校までと違って1回聞けば理解できる水準ではなくなってくるんですけど、それまではまったく授業を聞かずにできていたもんだから、授業の受け方がわからないわけですよ。それで授業中ずっとノートに落書きしてるような人間になっちゃって。睡眠障害にもなって、学校にも行けなくなって「このままじゃ高校にも行けないよ」って感じでさらにどんどん尖っていって……そうしたらやっぱり「俺、ギターやらなきゃだな」って思うじゃないですか。
──いや、それはわかりませんけど(笑)。
その頃はすごくつらかったんですけど、BUMP OF CHICKENを聴くことがある種の励みのようにもなっていて。それで「ここに乗っかっていきたい」という気持ちからギターを始めるんです。音楽への目覚めは小学校のときのBOØWYなんですけど、ギターを始めたきっかけは、BUMP OF CHICKENなんですよ。
──布袋寅泰さんへの憧れからギターを手にしたわけじゃなかったんですね。
そうなんです、意外にも。で、高校には一応入ったんですが、1週間で行かなくなって中退しまして。それで実家の自営業を手伝ったりバイトしたりして、お金をいっぱい持つようになるわけです。そこからはもう独壇場ですよね。電気グルーヴ、小沢健二、スチャダラパーとかをひたすら聴き漁って、もちろんBOØWYも並行して聴いていますし、布袋のツアーはもう関東圏全部行くみたいな。電気グルーヴを観に名古屋まで行ったり、ももいろクローバーZも好きだったんで何度か観に行ったりとか、とにかく異常な本数のライブに行ってましたね。
エンタテインメントに関われたらなんでもいいや
──高校は中退したということですが、その後大学に進学しているんですよね?
はい。高卒認定を取って芸術系の大学に行きました。将来的に目指すべきものが見えていない中で、何かしら人前に出ることをやりたい気持ちは持ってたんで、憧れていた爆笑問題やウッチャンナンチャンが芸大出身ということもあって、そっちへ進もうかと。ギターは好きで弾いてましたけど、本当に下手だったし音楽で食っていこうなんて当時はまったく思っていなくて。お笑いも好きだったから、まあ何かしらエンタテインメントに関われたらなんでもいいやという気持ちで、それに近い場所に身を置いてみようという考えからの進学ですね。
──なるほど。そこで前回のKERAさんとの対談で話していたように、お笑い志望のお友達とコミックバンドを始めて、それがTiki-Taka Technicsになっていくわけですね。
そうです。最初は大臣’zという、思いっきり人生(ZIN-SAY!)に引っ張られてる感のあるバンド名だったんですけど(笑)。
──最初はどういう音楽性だったんですか?
最初は……いやでも、曲自体はわりと今のままですね。「Girls Night Out」っていう、Tiki-Taka Technicsとして最初に音源化した曲はその頃に作ったもので。ストーリー調の楽曲になってるんですけど、不幸な女の子がいて、いろいろがんばって大学まで行き、サビで「バニラ、バニラ、高収入」ってリフレインが入るという(参照:Tiki-Taka Trax by Tiki-Taka Technics | TuneCore Japan)。
──最高じゃないですか。
ありがとうございます。オーディションとかでは「マジで最悪。そういうの本当にやめて」って本気で怒られたりしがちな曲なんですけど(笑)。
──それこそちょっとナゴムっぽいムードがあるというか。
そうですね。まあ歌詞に関しては「斜に構えてる場合じゃないな」と思って今はもっとストレートな思いを書く感じになってますけど、最初は「人生っぽいことをやりながら、グループ魂とか電気グルーヴみたいなこともやれたらいいな」というイメージでした。さらに、そこにBOØWYだったりJUDY AND MARYだったりの要素も混ぜ合わせた感じ……解像度の低い混ざり方で出せたらなと思っていて。しかも自分ではけっこう、思った通りにできている感触もあるんですよ。
──ちょっと話が前後しますが、曲作りはいつ頃から始めているんですか?
大学に入ってからですね。大学2年生か3年生くらいのときにちょっとDTMをかじり始めてたんですけど、そのタイミングでアイドルのマネージャーをやっている友達から「僕がプロデュースするアイドルグループで、とつかくんにサウンドプロデューサーになってほしい」って言われて。それまでまったくやったことはなかったんですが、それがきっかけで作曲を始めたんです。さっき話した「Girls Night Out」は、もともとそのアイドル用に作った曲で。
──いきなり仕事として始まってるんですね。そこで手応えをつかんで?
そうですね。「あ、やれちゃった」と思って。なんて言うんですかね、「とりあえず曲っぽいフォーマットでそれっぽくでっち上げました」みたいなことじゃなくて、「ちゃんと自分のツボに刺さるものが、荒削りだけどできたな」っていう感覚がすごくありました。しかも、信頼している友達が「すごくいい」と言ってくれたのもあって、独りよがりではないんだなとも思えたし。すごく自信になりましたね。
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本当にただ好きだからこれをやっている