BOOM BOOM SATELLITESの中野雅之とTHE NOVEMBERSの小林祐介が新たなバンド・THE SPELLBOUNDを結成。今年1月配信の1stシングル「はじまり」を皮切りに、「なにもかも」「名前を呼んで」「A DANCER ON THE PAINTED DESERT」「FLOWER」と5カ月連続で新曲を発表してきた。さらに7月8日には東京・LIQUIDROOMでワンマンライブ「THE SECOND CHAPTER」が開催され、8月20日から22日にかけて新潟・苗場スキー場で行われる「FUJI ROCK FESTIVAL '21」への出演も決定するなど、結成間もない状況ながら大規模な展開に向けて動き始めている。
音楽ナタリーではバンド結成の経緯から楽曲制作の裏側、新たな歩みを始めた2人の創作にかける思いまで、たっぷりと話を聞いた。
取材・文 / 柴那典 撮影 / 後藤壮太郎
BOOM BOOM SATELLITESラストライブから2年後の決意
──THE SPELLBOUNDというバンドはどういうふうにして始まったんでしょうか?
中野雅之(Programming, B) きっかけは2019年の春頃、僕がSNSでボーカルを募集したところから始まっています。募集を開始するまでの経緯はいろいろありますが、BOOM BOOM SATELLITESの最後のライブをしてから2年経って(参照:BOOM BOOM SATELLITESラストライブで涙、天国の川島道行と最後のセッション)、「自分の音楽活動をしなければいけないんじゃないか」という焦りが出ていたんです。プロデューサーや楽曲提供といった裏方の仕事も学びは多かったし、充実していたんですけれど、「果たしてそれだけで終わっていいのか?」と悶々としていた。そこでボーカルを募集することで、強制的に何かを始めることを宣言し、僕自身がメンバーであるバンドを動かそうと思って。そうしたら小林くんの反応が誰よりも早かった。
小林祐介(Vo, G) SNSでボーカルの募集を見て、率直に自分がやりたいと思ったんです。考えるよりも感じたというほうが近くて、すぐに中野さんに連絡しました。
──それまで中野さんと小林さんの交流はどれくらいあったんですか?
中野 一度BOOM BOOM SATELLITESのツアーにTHE NOVEMBERSがゲストとして出てもらったこともありましたし、それ以前からイベントでお会いしたりして、交流はありました。小林くんはもともとBOOM BOOM SATELLITESの熱心なファンだったんですけれど、僕もTHE NOVEMBERSの音楽に共感できるところがたくさんあって。以前から小林くんにとても興味を持っていたんですね。
──中野さんとしては、小林さんの立候補を受けての印象はどうでしたか?
中野 楽しみな面と不安な面、両方ありました。小林くんから連絡を受けたときには、もちろんすごく興味はあったし、やってみたいという気持ちも大きかったです。でも、その一方で「本当にうまくいくのかな?」という気持ちもあった。もともとBOOM BOOM SATELLITESは大学の同級生と始めたものでしたけど、THE SPELLBOUNDは2人の大人が「改めてよろしくお願いします」と活動をスタートさせたバンドなので、クリエイティブを突き詰めていくとき、どこまで妥協するのか、どこまでがんばれるのかを調整するのは難しい。未知のことだし、やってみないとわからない部分は大きいとも思っていました。
感動できる音楽が作れるんだったら、ちゃんと届けないといけない
──そこから実際にTHE SPELLBOUNDが走り始めたタイミングって、振り返るといつ頃のことなんでしょうか?
小林 「なにもかも」のデモができたあたりで、モードが変わった感じがしますね。
中野 そうだね。この曲のデモができるまでかなり時間がかかったので。最初に小林くんから連絡をもらってからデモ完成まで、1年近くかかったんじゃないかな。
──それまでの1年間はどういう感じだったんですか?
中野 とりあえず週1回、小林くんにはうちのスタジオに来てもらって、一緒に時間を過ごす……ということを始めたんです。デモを作ってみたり、いろんな話題でお話してみたり、とにかく1週間に1度会うことを続けてきた。なんでそれが長く続いちゃったかというと、デモ音源の完成度がいまひとつだったんですね。「この2人だったらもっといい音楽が作れるんじゃないか」っていう疑問符が付いてしまうような、煮え切らないデモ制作が続いていて。
──小林さんとしては、中野さんと一緒に音楽を作り始めるようになって、どんな感触があったんでしょうか?
小林 ワクワクするような喜ばしい気持ちはもちろんあって。それと同時に、僕はBOOM BOOM SATELLITESの音楽や表現の次元がすごく高いところにあることを知っていたので、そこに対しての挑戦心というか、「気を引き締めなくちゃな」っていう思いもありました。そこから中野さんのスタジオに通い、世間話を含めいろんな話をして、音楽制作をしていくわけなんですけど、それまでとはまったく新しいコミュニケーションのとり方や制作のやり方、考え方が必要になったんです。それが自分の成長にもつながったし、やりがいもあった。すごく重要な1年になりました。
──もともと、新しいバンドを始めることは決めていたけれど、リリースやライブのスケジュールは立てていなかった、ということですよね。詳細な活動予定を決めないことが重要だったのでしょうか?
中野 結果的にはそうなります。
小林 決めようって話にならなかったですよね。
中野 ならなかったです。いい曲ができたときには誰かに聴かせたくなるだろうから、そのタイミングで本格的に動こうと考えていたので。いい曲が貯まってきたら、リリース形態やプランを初めて考え出す。それが2020年の秋ぐらいで、その時点ではバンドの名前も決定していなかったです。
──すべて曲が最初だったんですね。「なにもかも」のデモ音源の完成がブレイクスルーになったということですが、そのときにはどういう手応えがあったんでしょうか?
中野 あの曲のデモが最初にできたとき、本当に感動したんです。ヘッドフォンで聴きながら街を歩いていたら、長らく感じていなかった大きな感動があった。それをすぐに小林くんにLINEで伝えた記憶があります。あの曲をきっかけに、「これだけ感動できる音楽が作れるんだったら、聴いてもらうべき人にちゃんと届けないといけない」と思った。小林くんはどうでしたか?
小林 僕もまったく一緒です。「なにもかも」とその前に作っていた曲で決定的に違うのは、中野さんが新しい制作スタイルを提案してくれたことなんです。それまでは僕がスタジオに行って、トラックを流しながら歌ってみたり、何かしら歌ってそこからデモを作ってみたり、いろんな実験をしていたんですね。でも「なにもかも」のときには、中野さんが「ギター1本の簡単なデモでもいいから、小林くんの中から思いっきり出てくるような歌を作ってごらんよ」と言ってくれて。その歌を素材として渡して、中野さんに再構築してもらって「なにもかも」が生まれたんです。
──なるほど。
小林 それまでは受け身や臆病になったり、遠慮していたり、構えてしまったり……いろんな感情がすべて僕の表現に出ていたんだなって。そういうところから解き放たれて、ある種無邪気に作った歌は、声の魅力が違ったんですよね。その歌から中野さんは何かをキャッチしてくれて、あれよあれよという間に「なにもかも」という曲になっていった。さらに歌詞が付いた段階でまた1つ次元が変わったんですけど、そのプロセスもまったく同じで。小手先の手法に走るんじゃなく、本当に感動できるかどうかが大事だった。自分の中から沸き上がってくる思いをきちんと歌詞に落とし込めるタイミングになった途端、一筆書きみたいにバーッと歌詞を書けたんです。初めての体験だったんですけど、その歌詞を中野さんに渡してからは一気に完成まで進んだ。僕にとって初めてづくしの体験が「なにもかも」の中に詰まっていたんですね。完成版を聴くと、あのときの感動が毎回よみがえるんです。「これはすごいことになる」って思いました。
──「なにもかも」が最初に完成した曲だったんでしょうか?
中野 実は「なにもかも」よりも先に「はじまり」の制作が進んでいたんです。「はじまり」はもともと1980年代に流行したニューロマンティック調の歌謡曲みたいな、ディスコっぽい雰囲気の曲で、ある程度仕上がっていたんだけど、ガワだけできて魂が入っていない気がして。それでこのバンドに何が必要か考えていくうち、先に「なにもかも」が完成した。それをきっかけに「はじまり」の曲調も変わっていって、「なにもかも」に続く形でできあがりました。「なにもかも」の制作を経て到達点がわかったというか、自分たちが納得してリリースできる基準がつかめました。
まるで魔法がかかったような音楽を
──THE SPELLBOUNDというバンド名はどうやって付けたんですか?
小林 名前を決めるとき、僕から「BOOM BOOM SATELLITESの曲名から付けたい」という話をさせてもらったんです。そこから中野さんとお互いにアイデアを出していって、最終的にTHE SPELLBOUNDになりました。
中野 バンド名は小林くんの意向が強かったよね。
小林 「DRESS LIKE AN ANGEL」や「TO THE LOVELESS」とか、カッコいいバンド名になりそうな言葉がいっぱいあったんですよ。
──中野さんとしてはBOOM BOOM SATELLITESの曲名から付けるアイデアや、THE SPELLBOUNDという名前はどう思いました?
中野 「うん、いいんじゃないかな」って感じました。結局名前って、活動が続いたときに深い意味合いを帯びてくるものだから、ちゃんとした名前を誠実に付けておけば大丈夫だろうと。SPELLBOUNDは“魔法がかかっている”という意味で、このタイトルの曲を作った当時は「音楽で魔法がかかったような感覚になることってあるよな」と強く思っていたんですけど、THE SPELLBOUNDの曲もできあがっていくにつれて、自分たちに魔法がかかっているような気持ちになったので。
──そしてバンド名が決まったことで、THE SPELLBOUNDの活動プランが少しずつ定まっていった。
中野 そうですね。今のところはインディペンデントでデジタル配信をしているんですけど、このリリース形態はやりながら考えていく感じで決めたんですね。ライブに関してはまだ新人ということもあって、コロナ禍でスタートするのはリスクもあるけれど、「バンドとしての存在感を示すためにはやろう」ということになった。今年の春くらいからそういうモードになってきましたね。