2005年に活動を開始したThe Novembersはギターロック、オルタナティブロック、ポストパンク、シューゲイザー、インダストリアルロックなどさまざまなジャンルを取り入れ、独自の美学に基づいて作品を生み出してきた。その中で土屋昌巳、yukihiro(L'Arc-en-Ciel、ACID ANDROID、Petit Brabancon、geek sleep sheep)、ART-SCHOOL、Chara、Borisら数多くのアーティストと交流。その世界観とサウンドは米津玄師、川谷絵音(indigo la End、ゲスの極み乙女、ジェニーハイ、ichikoro、礼賛)といった次世代のミュージシャンに多大な影響を与えている。
そんなThe Novembersは今年で結成20周年を迎え、11月20日には東京・LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)にて初のホール会場ワンマン「Your November」の開催を控えている。これを記念し、音楽ナタリーでは小林祐介(Vo, G)、ケンゴマツモト(G)、高松浩史(B)、吉木諒祐(Dr)のメンバー全員参加インタビューを実施。結成から現在までを振り返り、「Your November」に向けた意気込みを語ってもらった。
取材・文 / 石井恵梨子撮影 / 鳥居洋介
公演情報
The Novembers 結成20周年記念公演「Your November」
2025年11月20日(木)東京都 LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)
OPEN 18:00 / START 19:00
こうしてThe Novembersは生まれた
──今回の特集はバンドの20年の歴史を紐解くインタビューになります。小林さんと高松さんの前身バンドが解散し、The Novembersになったのが2005年。
高松浩史(B) そうですね。高校卒業後に。
小林祐介(Vo, G) 卒業して、バンドとしてちゃんとオリジナル曲を作り直したいなってところで新たなバンド名を設けて。
──初代メンバーが抜けて、まず加入したのが吉木さん。その3カ月後にケンゴさんが入りますが、どんなつながりだったんですか?
吉木諒祐(Dr) 小林くんが大学の同級生で、ケンゴくんも年齢は違うけど大学の同期。ただもう友達だったっていう、ホントそれだけですね。あんまり学校になじめない部分がそれぞれあって、一緒にいることが多くて。
──いわゆるキャンパスライフを謳歌できないチーム?
小林 授業を受けてると、前のほうに真面目な人たち、真ん中に明るくキャンパスライフを謳歌してる人たち、後ろにはちょっとヤンチャな人たちがいて。で、後ろの端っこのほうにドロップアウト組がいたんですね。ケンゴくんと吉木くんは完全にドロップアウト組。アートや映画のことを話してて、「Sonic Youthがさあ」とか言ってる(笑)。で、僕がTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「LAST HEAVEN TOUR」(※解散ツアー)のTシャツを着て学校に行ったことがあって。
ケンゴマツモト(G) ああ! 覚えてる。
小林 当時は僕、美容師の先輩の実験台になってたから、髪の毛半分だけピンクに染めてて。だから「ラバーソウル履いて頭ピンクにしてるやつが『LAST HEAVEN』Tシャツって、あれはファッションでしょ」ってディスられてたってあとから聞いた。
一同 (笑)。
──4人で動き出した当時、どんなバンドになりたいかという話はしました?
高松 そういう話はしたことがなかったかもしれません。毎回「とりあえず曲ができたからやってみようよ」って感じでしたね。
小林 うん。ただ、僕と高松くんで始めたバンドはシャウトとか全然してなくて。吉木くんが入ってもそこは同じで、もっとネオアコっぽい曲が多かったんだよね。でもケンゴくんは持ち曲を覚えてくれないんですよ。(ダミ声で)「作ったほうが早いよ」って。
ケンゴ なんでチバ(ユウスケ)さん風に言うんだよ(笑)。
小林 そこから作る新曲は、どんどん音が大きくなり始めて。ケンゴくんがデカい音を出すから自分の声が聴こえなくて、それで自然とシャウトするようになっていったのは覚えてる。
──当時のことを知る初代マネージャーの証言によると、ハイラインレコーズ(東京・下北沢のインディーズ専門店。インディーレーベルのCD作品のみならず、アマチュアバンド持ち込みの自主制作カセットテープなどが多数販売されていた)で1stデモに出会い、ライブに行ったのが2005年11月。音源と違いライブの演奏が伴っていなく、次回に期待したのが最初の印象だったとか。
一同 はははははは!
小林 ひでえライブだったってことですよね(笑)。
──当時はとにかく、出来不出来、いいライブと悪いライブの波が激しかった。皆さん自覚はありました?
高松 自覚はあったんじゃない?
小林 いやー、高松くんと吉木くんはあったかもしれないけど、俺とケンゴくんは全然、そういうアンテナがバグってた。どんだけ我を忘れてウワーってなれるか、しか考えてなかった。
ケンゴ 精神論(笑)。
小林 そう。我を忘れた日は「今日、完璧だったぜ」って恍惚とした表情でステージを降りて。それで周りに酷評されたり。
吉木 そういうの、めちゃくちゃあった。毎回そうだった。
小林 価値観が合わなくて吉木くんとケンゴくんが新宿LOFTでケンカしてたもん。
ケンゴ したねえ。懐かしい。
小林 「どこに革命があるんだよ!」って言ってた、ケンゴくん。
一同 (笑)。
未熟さゆえに、ずっと自分と会話してるだけだった
──そこから数年、3作のデモCDのリリースを経て、The Novembersは2007年11月にUK.PROJECTからデビューします。今聴くとシンプルなギターロックで、モロにART-SCHOOLに憧れていた時期ですよね。
吉木 そうですよね。
小林 まったくわかってなかったですよ。そう言われても「似てる? どこが?」くらいに思ってた(笑)。
──比較されるレビューなんかもあったと思いますけど。
小林 そういうこと書かれても全部褒められてると思ってた。ライブハウスでPAさんから「いや、音が大きくてさあ」って困った顔で言われても……。
ケンゴ それも褒め言葉だと思ってた。「でしょ? 知ってる」って。
小林 「次はもっとイケます」(笑)。
ケンゴ 「こんなもんじゃないんです」(笑)。
──……話を、聞いてなかった?
小林 よく言うと、自分の美意識に誠実に、純度の高いままでいよう、みたいな感覚がすごく強くて。ただ、それと比例するように、人とのコミュニケーションとか、人の期待をないがしろにしてた。他人が何を欲してこの言葉を言ってくれてるのか、コミュニケーションの本質に関心を持ってなかった。未熟さゆえに。ずっと自分と会話してるだけだった気がする。そこはもう、反省を通り越して後悔してることが多いですよね。
ケンゴ ホンットその通りです!
──初期作品で、特に手応えを感じたものは?
吉木 「Misstopia」(2010年発表の2ndアルバム)じゃない?
小林 当時はPeople In The Boxとよくツアーしてた時期でもあって。僕、ピープルにはすごく衝撃を受けたんですよ。ポップなことをやってるんだけど、一筋縄ではいかない曲しかない。あの趣向を凝らした曲、だまし絵みたいな音楽を体験したら、もっといろんなことができるんじゃないかと思って。それで曲構成とか変拍子とかを掘り下げていったのが「Misstopia」なんですよ。今聴くと不思議なバランスで成り立ってるアルバムですけど、これができたときはちょっとね、何かを創れた、という実感がありましたね。
──そこからさらに独自の道に進むのは3rdアルバム「To(melt into)」(2011年)以降。洋楽っぽいサイケデリックロック、ポストパンクの要素が入ってきます。
小林 このあたりって「最近こういうの聴いてるんだよね」みたいな会話がけっこうあった気がする。Deerhunterとか。
吉木 アリエル・ピンク、Blonde Redheadとか。
小林 No AgeやThe Horrorsもね。自分たちの今の気分と、リアルタイムで流れてくる海外の音楽がフィットする。そういう経験ってそれまでなかなかなかったから。それで共鳴した部分が自然と出てきたのかもしれない。
──J-ROCKの仲間にはなりたくない、という意識もありました?
小林 志高くそう思ってるわけじゃなかったけど、今振り返ると浅はかなことに、いろんなバンドをバカにしてたんですよ(笑)。
──あははは。
小林 「ダサいな。こんなこと言っちゃうの?」みたいな。今思うと、そのバンドが一生懸命ステージで伝えようとしてたことって、今僕がようやく気付けたことだったりするわけですよ。「ダサい」のひと言で片付けてたことが実はすごく大事だったり。そこに関しては、僕らは歩みが遅すぎる。ホントに時間をゆっくり味わってきたバンドなんだと思います。
完膚なきまでに美しいものを作ろう
──2013年にUK.PROJECTから独立して、DIYで販売方法を模索していく時間も長かったですし。
小林 そう。旗を振って「独立します!」って言うのはカッコいい見え方だけど、実際はもっと曖昧だった。「独立って……何したらいいんだっけ?」「CDってどう作るの? プレスって何?」みたいな。
ケンゴ CDショップに流通させるやり方もわかんないから、ファンの人に直接送る手段しか思い浮かばなくて。それで「通販やります!」とか。
吉木 あったねえ。クラウドファンディングで手書きの手紙を書いたりね。
──最初からイケると確信があったわけじゃない。
小林 家出に近いような感覚と、希望を抱くような感覚、両方を持ちながら「独立はどうだろう?」って話したのは覚えてる。
吉木 当時はそれしかない、みたいな思考だった。特に小林くんが。俺、怒鳴り合いのケンカした記憶あるもん。
小林 ……そんなことあったっけ?
吉木 Triple time studio(The Novembersが長年レコーディングで使用している、エンジニア・岩田純也のスタジオ)で。
高松 あー、「zeitgeist」(2013年発表の4thアルバム)のレコーディングのときね。
吉木 独立する、しないで大ゲンカ。
──吉木さんは、独立しないほうがいいと考えていた?
吉木 そうですね。でもなんでかって言われると、明確な理由があったわけでもなくて。それもあって小林くんは怒ってたんだと思うけど。
小林 でも「zeitgeist」を聴くと、当時の鬱屈した感じ、行き場のない感じ、すごく出てるよね(笑)。
──鬱屈と同時に攻撃性もあって。この時期に増えていくのが今もライブのハイライトになるアグレッシブな曲たちです。「鉄の夢」「Xeno」「Blood Music.1985」あたり。
小林 完膚なきまでに美しいものを作ろうというのが当時のテーマでした。常識は全部取っ払って、美しければなんでもいい、不道徳でも美しければいいんだ、みたいなところまで行きたくて。ちょうどMy Bloody Valentineが東京国際フォーラムで行った来日公演を観たあとだったんですね。あとはBorisのライブとか。芸術と言ってもいい空間に身を投じて、命の危機を覚えるような体験をして、細胞が震えて「助けてくれ!」って言い出す感覚。音楽やライブってこんなことを起こせるのかと衝撃を受けて。もっとエクストリームに突き詰めたいと思って「Rhapsody in beauty」(2014年発表の5thアルバム)を作ったんです。音量のバランスとか破綻してるアルバムだけど、当時は確信を持って「これがいいんだ!」というものをセレクトできた気がする。





