キーワード8カバー曲
──高垣さんはシングルの3曲目に必ずカバー曲を収録し、かつ「melodia」というカバーミニアルバムのシリーズも制作されています。
シングルの3曲目をカバー曲にするというのはチーフマネージャーさんの提案で。「君がいる場所」でデビューするときに「高垣だから歌えるクラシック曲のカバーとか、表題ともカップリングとも違うジャンルの曲を最後に入れよう」と言ってくださったんです。当時は単純に「やったー!」と思っていたんですけど、それって、かつて母に「いつか武器になる」と言われたことを生かせる場所を与えてもらったということなんですよね。
──高垣さんのお母さんと同様に、チーフマネージャーさんも先見の明がありますね。
本当に、私は恵まれていると思います。カバー枠があったからこそ、私もクラシックやミュージカルといった自分のルーツから離れずにいられましたし、それがオーチャードホールのコンサートや「ZANNA」をはじめとする舞台にもつながって、そこからまた新しいご縁が生まれていく。特に「melodia 4」(2018年9月発売の4thカバーミニアルバム)では「ひめゆり」で共演した松原剛志さんとデュエットさせてもらいましたし、先ほどお話ししたように「きみはいい人、チャーリー・ブラウン」で日本語の歌詞の聞こえ方をたくさん学ばせてもらったから「日本語の曲をカバーをしよう」と思えたり。
──ああ、「melodia 4」のテーマは“クラシックと日本語”だとおっしゃっていましたが、背景にはそのエピソードも(参照:高垣彩陽「melodia 4」インタビュー)。
そうなんです。それでミュージカルアニメ映画「アナスタシア」の挿入歌「Journey to the Past」を、お世話になっている演出家の小林香さんに翻訳していただいて、オリジナル日本語バージョンで歌わせてもらったんです。そうやっていろんなことがつながっているし、その中でカバー曲というのも、私にとってなくてはならない表現の1つになりました。
キーワード9コンサート
──ベストアルバムの完全生産限定盤には、高垣さんご自身がセレクトされた過去のライブ映像を収録したBlu-rayが付いています。
CDの収録曲を決めるときに、スタッフさんから「カバー曲はどうします?」と言われまして。確かに入れられたらうれしいけど、やっぱりオリジナル曲を優先したほうがいいのかなと、けっこう悩んだんです。そしたら「Blu-rayのほうにコンサートの思い出深いシーンや、CDには入れられなかったカバー曲を収録するのはどうですか?」というアイデアをいただいて、「そんなことができるなら、ぜひ!」と。
──裏ベストじゃないですけど、いい選曲ですね。高垣さんにとってコンサートとはどういうものですか?
コンサートは、常に恐ろしいものではあったんです。今だから言えるんですけど、私は2011年の1stコンサートの前に、精神的なものが原因で声がうまく出せなくなったんです。要は自分にプレッシャーをかけすぎてしまったんですけど、病院に行ったあと、たまたまスフィアの撮影があって。そのとき(豊崎)愛生ちゃんと待ち時間が重なり、私が「失敗するのが怖い」「もしお客さんの期待に応えられなかったら……」と頭を抱えていたら、愛生ちゃんが「どんな彩陽ちゃんでもきっと受け止めてくれるから、もっとお客さんのことを信じて甘えていいんじゃない?」と。
──豊崎さん、完璧な助言をなさったのでは。
私も「そうか!」と思って目からうろこでしたね。だから愛生ちゃんには感謝しているし、私とは違う感性を持っている彼女だからこそのアドバイスでした。それ以降「お客さんは審査員じゃない」と思うようになって……これはいまだに私がスフィアのライブ前につぶやいている言葉なんですけど(笑)。もちろん、ステージに立つことの怖さが完全になくなったとは言い切れないんですが、その怖さを乗り越えた先に大きな幸せが待っているのを知っているので。コンサートは一期一会の連続ですし、みんなで集まって空間を同じくするというのは特別なことで……今、それがどんなに特別なことだったかを噛み締めています。
──おっしゃる通りですね。
私が今回のBlu-rayにどうしても入れたかったのが、2016年の3rdコンサートツアーで歌った「Brand New Smile」(2012年2月発売の4thシングル「Meteor Light」カップリング曲)で。この曲では全公演で私が客席から登場して歌ったんですけど、前々からそういうサプライズ演出がしてみたくて。実際やってみたら、間近で視線を交わしたり一緒に歌ったりする中で皆さんの喜びや驚きがダイレクトに伝わってくる、本当に特別な体験になったんです。そのめちゃくちゃ楽しかったシーンをベストにも残しておきたかったんですよね。
キーワード10ダジャレ
──高垣さんは声優界屈指のダジャレの名手としても知られています。
やばい、今日のインタビュー用のダジャレは考えてなかった……。
──ダジャレが音楽活動に与えた影響などはありますか?
影響と言っていいのかわからないんですけど、数年前から私は「ダジャレの曲が作りたい」と言い続けているんです。でも、リリースのたびに「それは、今回じゃないね」とはぐらかされ(笑)。もともと私は子供の頃、KANさんの「サンクト・ペテルブルグ −ダジャレ男の悲しきひとり旅−」という曲が大好きで。キャッチーなメロディに乗せて「途方に暮れてしマウンテンバイク」とか「見せたいものや話したいことが たくさんたくさんアンデス山脈」と歌われていて、いい曲だし面白いんです。そんなダジャレの曲を私もいつか作れるようにこの先の10年もがんばりたいし、それが実現したらまたナタリーさんにお世話にナッタリーして!
──わあ!
そのときはよろしくお願いします(笑)。