鈴木実貴子ズ インタビュー「就職しなきゃ? 30後半で夢を追いかけるのはイタい? 結婚すべき? ……もう全部嫌だ」

鈴木実貴子ズが1月29日にメジャー1stアルバム「あばら」をリリースした。

鈴木実貴子ズは、2012年に結成された鈴木実貴子(Vo, G)、ズ(Dr)の2人からなるバンド。心を揺さぶるような歌声、エモーショナルなドラムが織りなす楽曲の数々は、多くのリスナーの胸に響く辛辣さとポップさにあふれている。

昨年10月にフォーク、ニューミュージック界を代表する日本クラウン内のレーベル・PANAMから配信シングル「違和感と窮屈」でメジャーデビューを果たし、このたび同曲を含むアルバムを発表した鈴木実貴子ズ。この特集では、2012年の結成からこれまでの活動を振り返りながら、バンド活動を続ける理由、音楽に対する思い、作曲プロセスなどについて2人に話を聞いた。またアルバムタイトルの由来、楽曲からにじむ内面的な葛藤、年齢に対する不安とメジャーデビューの喜びについても言及してもらった。

取材・文 / 嘉島唯撮影 / 田中和宏

結成13年、メジャーデビューってマジか

──「鈴木実貴子ズ」は、どうやって結成されたんですか?

ズ(Dr) メンタルを病んで数年間大学を休学していたときに、たまたま対バンでライブをしたのが実貴子さんとの出会いだったと思います。当時、実貴子さんはソロで活動していて、自分の鬱々とした感情を代弁してくれるかのような歌声に痺れてしまった。それで自分の企画に出てもらったり、「今度スタジオに一緒に入りませんか?」と誘ってみたり。

鈴木実貴子(Vo, G) うちは集団行動が苦手すぎてバンドが組めなくて……ソロを軸に、いろんな人たちと一緒に音楽をやるような活動をしていたんです。ズに関しては、どちらからともなく声をかけたような気がします。

 最初はもう1人ギタリストがいたんですけれど、抜けまして(笑)。我々2人になったときに「鈴木実貴子ズ」というバンド名になりました。そのときから僕の名前は「ズ」です。

──それが2014年。

 はい。それ以来、全国各地でライブしては、いろいろなバンドと対バンさせてもらっていました。知名度に関係なく「ヤバい音楽」に出会えることが楽しかった。

鈴木実貴子ズ

鈴木実貴子ズ

──とはいえ、ライブを心から楽しめるようになったのは2022年に「FUJI ROCK FESTIVAL」や「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に出演したことがきっかけだったそうですね。長い間、くすぶっていた感覚はありますか?

 そもそも、ギターボーカルとドラムのツーピースだからバンドとしては音が足りてないんですよ(笑)。

鈴木 うちは音楽理論もコードもよく知らないし、自分のストレスを音楽で吐き出しているだけ。ライブハウスにいると恥ずかしいというか……知識もないし、歌詞は間違えるし、そんな自分がステージに立っていいのか不安になる。極論、自分たちの音楽に対して「需要がまったくない」と思ってましたからね。

 対バンで一緒にやる方々は、みんなちゃんとしてますしね。でもステージは平等で、こちらが全身全霊でやればお客さんは盛り上がってくれて……だんだん楽しめるようになってきました。実貴子さんには言わず、昔は4、5年ぐらい毎年フェスにエントリーしてたんです。2019年頃から主催者のほうから声をかけていただけるようになりました。

鈴木 大きなフェスに出させてもらうことで「自分たちは音楽をやり続けていい」と思えたのは、活動をするうえで大きな出来事でした。ステージに立ってしまえば楽しい。ライブには相反する複数の感情があります。

鈴木実貴子(Vo, G)

鈴木実貴子(Vo, G)

ズ(Dr)

ズ(Dr)

ライブハウスの運営をしながらの10年。離婚、退職からの……

──「需要がない」と思いながらも、どうして10年以上もバンド活動を続けてこられたのでしょう?

 楽しさを優先していたので、期待することもなかったから……? フェスも「どうせ落ちるけど、一応出しておこう」ぐらいの気持ちだったので、心が折れることはありませんでした。

鈴木 うちは、のめりこめることが音楽しかなかったので続けるしか道がありませんでした。強いて言うなら、お金に困っていなかったのは大きいと思います。

 僕たちは名古屋で「鑪ら場(たたらば)」というライブハウスを運営しているんです。ここはチケット代を安くして、参加ノルマの低い場を作ることで、名古屋のバンドシーンが盛り上がればいいと思って作った場所で。結果として鑪ら場があることによって、ある程度心に余裕が持てていたような気がします。

鈴木 10年続いてるしね。うちはバイトも続かないタイプの人間ではあるものの、一応飲食店で働いたことはある。なので、自分がキッチンで、ズが企画運営をするようにタスクを分担していました。

鈴木実貴子ズ

──鑪ら場を運営することによって、音楽活動に何か影響はありましたか?

鈴木 最初は楽しかった。日常的にいろいろな音楽に触れられて、自然にインプットできる環境を作れたのはプラスになった……かな。「自分はこれに感動するんだ」と発見したり、逆に「こういう音楽をダサいと思うんだ」と気が付いたり。

 もともと僕たちは、面白いことをやりたいというマインドを優先していたので「売れる / 売れない」という発想がありませんでした。でも、いろんなバンドを見ているうちに「もっと多くの人に届けたい」っていう気持ちも湧いてきたのも、よかったと思います。

──でも実貴子さんは鑪ら場で働くのを辞められていますよね。なぜでしょう?

 ここ数年、実貴子さんの音楽観が先鋭化してきたんだよね。

鈴木 そうそう。素直な気持ちでライブを観られなくなってきたことが大きいです。ふてくされながらライブハウスを運営しているのっておかしいですよね。出てくれる人に申し訳ないですし。

 僕は逆で、いろんな音楽を聴いていたいし、いろんなライブを観たい。もともと鑪ら場のブッキングは自分が担当していたので、実貴子さんを送り出した形になります。今は僕が店長です。

──お二人は夫婦という間柄でもありましたが、2024年に離婚をされたそうで。

 半年ぐらい別居していて、離婚しました。一緒に生活するのが難しくなっていったというか……。

鈴木 ズとは10年ぐらい一緒に住んでたんですけど、うちは誰かと暮らすのに向いてなかった。生活の中で音楽の色が濃くなっていくにつれて精神が不安定になっていくのに、ズは常に平常心。だんだんと「なんでそんなに器用に生きられるの?」といらつくことも増えてしまいました。生活も仕事もずっと一緒で、バンドも2人でやっていて、24時間常に一緒。これは人間関係的にキツいですよね。ズとは普通の夫婦の一生分ぐらい時間も経験もともにしたので、やりきった感はありました。“契約満期”に達したんだと思う。店も辞めて別居もして離婚もしたけど、バンドは続けられるし、メジャーデビューもできた。責任感が芽生えたから辞めるに辞めれなくなってるのかも。それも人生。

──険悪な関係にはならなかった。

 むしろ今ぐらいのほうがちょうどいいです。

鈴木 思っている以上に、我々2人はこのバンドでやる音楽が好きなんだと思います。ズは全然素直じゃないから「自分はほかの仕事もできる」と言うんですけど(笑)。

鈴木実貴子(Vo, G)

──基本的には作詞作曲を鈴木さんが担当されていますが、普段はどうやって曲作りをしてるんですか?

鈴木 すぐにパッとできるものもあれば、部屋にこもって根詰めてボロボロ泣きながら作ることもある。後者のほうが多いです。自分自身のどす黒い感情に向き合うために、部屋の明かりを極力消して、無駄な情報を入れないようにして、震えるし、泣きわめく。曲を作っているときは、飼ってる猫も気まずそうにしてます。

 曲ができたら「ねえ、できたから聴いて」と話しかけられて、その場で打ち合わせです。テレビ観てる途中で声をかけられたり、唐突に始まることが多いと思います。

鈴木 ズの前で歌って採用になることもあれば、「共感できないかも」「ほかの曲に似てる」と却下されることもあります。盲目的に共感されても気持ちが悪いので、ボツになってもあまり落ち込まないですね。ズは作品としてフラットに音楽を聴いてくれるので信頼してます。あと、ボツになってもソロでやればいいので、問題ないです。

鈴木実貴子ズ

──ズさんは、どんなフィードバックをしてるんですか?

鈴木 例えば今回のアルバムには入っていない曲ですけど、「正々堂々、死亡」のサビは「最終目標、正々堂々死亡」に着地したんです。最初は「最終形態、体勢匍匐(ほふく)前進」だったのかな。

 曲自体はすごくいいけど、歌詞が不思議すぎて「トレーニングの曲?」と聞いちゃいました。「前に進む気持ちを表しているなら、もう少し削ぎ落とした方が伝わる気がする……」と戻したりして。

鈴木 曲を作ったのが「シン・ゴジラ」を観たあとだったんですよ。そういうのって自分だと気が付かないので、いつも助かってます。