角野隼斗インタビュー|偉大なる作曲家・ショパンへの思い、矢野顕子らコメントも (2/3)

“ポーランド風”でありつつ日本らしい旋律と拍子を

──先ほど「ポロネーズという音楽形式を自分なりに消化してみたかった」とのお話が出ました。具体的にはどういう意味なんでしょう?

ポロネーズはフランス語で「ポーランド風」という意味。ゆったりとした三拍子が特徴的で、本来はショパンの祖国の民族舞踊なんですね。ご存知のようにショパンは、生涯を亡命者として過ごした作曲家でもあります。20歳でポーランドを出て以来、パリで華々しい成功を収めつつも、二度と祖国の土を踏めなかった。

──確かショパンの出国後、ポーランドはロシアの侵攻を受けて支配下に入ってしまったんですね。

はい。だからこそ彼は、子供の頃に親しんだ土着のダンスミュージックを自分の音楽に採り入れました。ポロネーズ、マズルカといった形式がまさにそうです。それはショパンにとって失われた祖国への愛情であり、自らのアイデンティティに関わる行為だったんだと思います。それだけじゃありません。いわゆる西洋音楽に民族音楽という異物を混ぜ合わせることで、ジャンルそのものを大いに活性化させた。20世紀に入って現代音楽の作曲家たちが模索し出す手法を、ずっと前から先取りしてたんです。「空想」という自作曲で表現したかったのは、実はその部分で。

角野隼斗

──と言いますと?

日本人である僕がポロネーズという形式だけ借りて作曲しても、やっぱりショパンの精神性には近付けません。だったらフォーマットそのものは崩さず、そこに日本的なビート感覚を融合できないかなと。それもいわゆる“エンヤトット、エンヤトット”みたいな、わかりやすい引用ではなく。

──ライブで「空想」を聴くと、流れるような抑揚のニュアンスはクラシック音楽そのものなのに、そこはかとなく和のテイストを感じます。ずっと不思議だなと思っていました。

日本のお祭りを見てみると、3拍子の音楽ってほとんどないんですね。盆踊りも音頭系も、基本的には2拍子か4拍子。それを違和感なくポロネーズという3拍子の中に入れ込む方法を、いろいろ考えました。

──どんな手法を用いたんですか?

専門用語ではヘミオラといって、「3・3」で続く拍子を部分的に「2・2・2」に置き換えています。トータルの音符数は同じ「6」で、一瞬違うリズムが差し込まれるイメージですかね。もともとポロネーズというのは起伏のニュアンスが豊かな音楽で。リズムが前面に出てくるパートもあれば、メロディのほうがより支配的なパートもある。そういった展開の1つとして、ところどころ2拍子を混ぜてみました。あと中間部に日本的なペンタトニックスケール(5音音階)の旋律も入れています。ネタバラシすると「東京音頭」のサビの旋律を、ポロネーズの3拍子にフィットするよう手を加えて。

──クラシックの楽曲に「東京音頭」を! ほかにも現代音楽的な不協和音やジャズっぽいパッセージが入っていたり、多彩な表情を見せる曲ですね。そういえば角野さんはライブ中のMCで「今回は舞曲が裏テーマ」とおっしゃっていました。ショパンの作品に通底している“ダンス性”をライブで引き出すという発想もまた、アルバムのコンセプトと重なる気がします。

角野隼斗
角野隼斗

それでいうと「空想」の前に演奏したアルベルト・ヒナステラも似てるかもしれません。この人は1916年にアルゼンチンで生まれた作曲家で。ショパンがポーランドの民族音楽を援用したように、彼の作品には南米の大衆音楽のエッセンスがいろいろ入ってるんです。今回取り上げた「ピアノ・ソナタ 第1番」もまさにそうで。例えば第2楽章の終盤には、ギターの開放弦を思わせる独特の和声が出てくる。この「ラ・シ・ソ・レ・ミ」の響きは、西欧のクラシック音楽とははっきり雰囲気が異なります。あとはリズムの緩急もすさまじい。1つひとつの音を長く伸ばして不穏な緊張感が続くパートがあると思えば、鍵盤をエネルギッシュに叩きまくるパートもあって。ピアノが打楽器としてもフル活用されてるなと。

──土着性、即興性、躍動感。それらを兼ね備えているから、“ショパンを廻る軌道”をテーマにしたツアーに違和感なくハマったんでしょうね。ヒナステラのこの曲、これまでもコンサートで披露されてたんですか?

いえ、お客さんの前で演奏したのは初です。ずっと好きな曲で、いつか自分でも弾いてみたかったので。毎回ヘトヘトにはなりましたけど、プログラムに入れられてうれしかった。いくら新作に合わせたツアーといっても、レコーディングを正確に再現するだけじゃつまらないですよね。どうすればアルバムのテーマを保ったままで、ライブにしかない興奮や面白みを共有できるか。そこは毎回、それこそ高難度のパズルに挑むみたいに頭を悩ませてますので。その意味で今回のセットリストは、なかなか面白くなってくれた気がしてます。でもまあ、全16回公演で一番肝を冷やしたのも、実はこのパートでした。

弦が切れるハプニング、そのとき角野隼斗は

──え、何があったんですか?

ツアー最終日でヒナステラを弾いているとき、弦がバチンッと切れちゃったんです。1楽章の最後、一番高い「ラ」だったかな。あれはさすがにヒヤッとしました。

──でもそこから2楽章・3楽章・4楽章、さらには長尺の「空想」までノンストップで演奏されてましたよね。まったく気が付きませんでしたが、どうやって対処を?

一瞬、弦が切れた箇所を避けながら弾くことも考えたんですが、うまくいかなかった。なので、そのことはあえて気にせず、いつも通り強引に押し切った感じでしたね。ただ、オクターブで2つの「ラ」を同時に出すときには、いつも以上に下の音を強調するとか。必死に弾く中で本能的な修正はやっていたと思います。聴衆の方々には申し訳なかったですけど、お気付きにならなかったとうかがって、少しホッとしました(笑)。

──それにしてもファイナル公演の空気感は素敵でした。年季の入ったクラシック好きらしき年配の方々から、YouTubeチャンネルのファンと思しき若い世代まで。幅広いリスナーが一堂に集い、角野さんのピアノ演奏に熱い視線を注いでいる。集中力と風通しのよさが両方あって、うれしくなるんですよね。

ああ、だったらすごくうれしいです。いろんな時代、いろんな領域を往還することで、できるだけ多くの聴衆に音楽の自由さを届けたい。もちろんクラシック演奏の研鑽はしっかり重ねつつ、それは常に意識してますので。ただライブの雰囲気については、けっこう会場によっても違うんですよね。開演直前、舞台袖からちょこっと客席を覗いたりするんですけど、にぎやかにザワついてる日もあれば、不思議とピーンと張り詰めてる日もある。個人的にはワイワイ盛り上がってくださった方が、リラックスできてうれしいんですけど。

角野隼斗

──近年は海外公演の機会もどんどん増えていますが、日本のオーディエンスの特徴を挙げるとすると?

一番強く感じるのは、集中力の高さですかね。例えばサントリーホールに立たせていただくと、2000人近いオーディエンスの意識がピアノ1台にギュッと集中してくるのが肌でわかる。海外から帰国した直後なんかは、あまりにも静かで、本当に楽しんでいただけているのか不安になることもありますが……あのコンセントレーションの凝縮感はちょっとほかでは得られない。自分のホームはここなんだという安心感がありますね。だからこそ毎回のツアーでは、何か新しい表現なりコンセプトを必ず届けたいなと。

──ある種の使命感として?

そうですね。世界中で演奏させていただくようになっても、同じ都市を再訪するチャンスはまだまだ少ない。僕のライブに2回、3回と足を運んでくださるのは、やっぱり日本のお客様じゃないですか。そういうファンの方々に、今までなかったような音楽の風景を提示したい。演奏家としてそのパッションは大事にしたいし、実際それが原動力になっているとも思うんです。だから日本のオーディエンスに対しては、常にポジティブなプレッシャーがありますね。