音楽ナタリー Power Push - シクラメン×田臥勇太(リンク栃木ブレックス)対談
バスケ好きの3人が日本バスケ界のレジェンドに会いに行く
NBAのスターとの興奮エピソード
──DEppaさんは今日はバスケットシューズを履いて気合いを入れて来たんですね。
DEppa こんな機会なかなかないですからね。今日は田臥選手に聞きたいことがありまして……バスケ少年みたいな質問なんですけど(笑)。実際に会って興奮したスター選手の思い出ってありますか?
田臥 自分が昔から見てきていて、現役を続けている選手に会ったときはすごく衝撃を受けました。そもそも僕はマジック・ジョンソンがきっかけでバスケを始めまして……ちょっとマニアックな話になっちゃうんですけど、彼のチームメイトだったマイケル・クーパーが自分のチームのヘッドコーチになったときがあるんです。NBAの下部組織(NBDL)のアルバカーキ・サンダーバーズで、1シーズンでしたけどマジック・ジョンソンと一時代を築いた彼と直接つながりを持てたのは刺激的でした。
DEppa マジック・ジョンソンに会ったことはあるんですか?
田臥 それがないんですよ。(ワシントン・)ウィザーズのときにマイケル・ジョーダンが横を通ったことはあるんですけど(笑)。
DEppa へえ! 僕はもう20年近く前に引退直後のマジック・ジョンソンが日本でチャリティマッチか何かをやってて、それを観に行ったことがあるんです。そのときに僕、観客席の後ろのほうから「マジックー!」って叫んだんですよ。そしたら振り返ってくれて、周りのお客さんから拍手された(笑)。
肉だんご その話、何かあるとすぐするよな(笑)。
DEppa もう20年近く経ってるけど、あれはテンション上がったなあ。
田臥 思い出すと興奮しますよね、マジック・ジョンソンは伝説の選手だなって思います。あとヴィンス・カーター(メンフィス・グリズリーズ)とか……。
DEppa おお、ヴィンス・カーター!
田臥 ヴィンスが(ニュージャージー・)ネッツに在籍してたときに、彼の家にみんなで行くっていう機会がありまして。僕はネッツのサマーリーグチームに入っていたんですけど、サマーリーグが始まる前のチーム練習をなぜか彼の家でやるっていうことがあって、それも刺激というか驚きでしたね(笑)。家自体、体育館くらいの広さがあるんですよ。リビングとコートも扉隔てて隣接しているし、すごかったです。
バスケの名門・能代工時代での経験
肉だんご 田臥選手は能代工時代に9冠を達成するっていう負けなしのチームで活躍してましたよね。当時はどういうモチベーションで練習を重ねていたんですか?
田臥 あんまり結果は気にしてなかったです。結果っていうよりも、毎日の練習に対する集中力とかを厳しく突き詰めていくようなことが多かった。
桃紅茶 それは顧問の先生やキャプテンが決めた方針ですか?
田臥 バスケ部の伝統ですね。レイアップ(シュート)1つ落とすだけでも周りが「それじゃよくないよ」っていう空気になるし、ミス1つ許されないような状況で毎日練習してました。
肉だんご 高校時代の経験は今でも役立ってますか?
田臥 すごく生きてますね。今でも毎日練習の積み重ねだし、試合ですべてを出し切れることのほうが実際は少ないですから。で、試合後には「もっとこうすればよかった」っていう反省しか残らないので、またそれをバネにやりがいや面白さが生まれるんですよ。もっとうまくなれるし、もっとこうなれるっていう気持ちがあるから、日々どんどんバスケを好きになるし。
DEppa 飽くなき向上心みたいな。
田臥 幸せなことだと感じています。違う世界に向かう同期とかが多くいる中、年を重ねても好きなことに熱中できているので。
桃紅茶 僕らの場合、僕らの曲を聴いたファンから「勇気を出して学校に行けるようになりました」とか「嫌いなものを受け入れて好きになりました」とか前向きな言葉をもらうことが一番のモチベーションになっています。チャートとか動員とか、もちろん結果は大事だけど、それ以上に大切にしてるのはファンの気持ちなんです。
応援してくれる親の存在
桃紅茶 留学中に家族から手紙やメールをもらったそうですが、家族の大切さをより強く感じましたか?
田臥 そうですね。高校のときから親元を離れてますが、歳を重ねるごとに大切さを感じるようになってきましたね。留学中、アメリカ人が家族とすごく仲良くて互いをすごく尊重しあってる姿を間近で見たとき、「恥ずかしがってるほうが恥ずかしいな」って思うようになりましたし。
肉だんご 俺はいまだに超恥ずかしい(笑)。
DEppa まあ普通はそんなもんだよね。ちなみに僕と肉だんごは兄弟なんですよ。
桃紅茶 で、僕が肉だんごの幼なじみです。
田臥 へえそうなんですか。兄弟はそんなに似てないんですね(笑)。
桃紅茶 田臥選手のご両親はよく試合を観に来るんですか?
田臥 高校のときから試合を観に来てくれてますね。
DEppa ああ、我々の親と一緒ですね。
田臥 今も観に来ますよね?
肉だんご ええ、いっつも来ます(笑)。
DEppa 田臥選手は親の応援をしっかり活力にしてるけど、俺は正直ちょっと煙たがってたわ(笑)。
桃紅茶 そんなんじゃダメってことだよね。
DEppa ダメだよね、やっぱり。でもなかなか「ありがとう」とかって面と向かっては言いづらいんで、曲にしたためて渡すことはあるんですよ。
田臥 素敵なことじゃないですか。
DEppa でも最近やっとですね、それができるようになったんですよね。“支え”ってすごい大事だなと思ったから。
──田臥選手がバスケに目覚めたきっかけは父親が観ていたNBAの試合を録画したビデオだったそうですね。
田臥 それが始まりで、今までいろいろ助けてもらいました。若い頃は感謝をまっすぐ伝えるのに恥ずかしい気持ちがありましたけど、ちゃんと言えるようになったのはプロになってからですかね。アメリカに行く前、日本のチームを辞めるのに親に頭を下げてもらったことがあって、迷惑をかけたんですよ。そのくらいからですね、親のためにもがんばろうって強く意識し始めたのは。
次のページ » 親からの応援
- シクラメン ミニアルバム「こんにちは羽田」 / 2015年6月24日発売 / TOY'S FACTORY
- 初回限定盤 [CD+DVD] 3240円 / TFCC-86510
- 通常盤 [CD] 2000円 / TFCC-86511
CD収録曲
- 誰かのために
- 風まかせ
- 流れ星
- SKYWALKER
- エンドレスサマー
- -午前2時-(skit)
- ホタル
初回限定盤DVD収録内容
2015.2.8 ZEPP TOKYOライブ映像
- オープニング
- エール
- らいふ☆カーニバル
- MUSIC
- 101
- ボルケーノ
- Only 愛
- ありがとう-Acoustic ver.-
- はな
- あかね
- 行ってきます
- 100年初恋
- ここで泣こうよ
- 僕の宝物
[Encore]
- すまいる
- ミュージックドリーマー
- ららら★フェスティバル
- SAMURIDER
- エンディング
シクラメン
2007年に東京都大田区で結成された3MCユニット。メンバーは兄弟のDEppa、肉だんごと、幼なじみの桃紅茶。子供から大人まで幅広い世代に響くストレートな歌詞とポップな楽曲でリスナーを魅了している。2008年に「スルメ」、2010年に「スルメ2」、2011年に「スルメ3」とインディーズ時代に3枚のアルバムを発表。2011年9月に市原隼人の主演映画「DOG×POLICE~純白の絆~」の主題歌「僕の宝物」をTOY'S FACTORYからシングルリリースし、メジャーデビューを果たした。地元を題材にした楽曲などを多数発表したことから、2012年10月には大田区観光PR特使に就任した。2013年5月にメジャー第1弾アルバム「スルメ1」を発表し、その後もシングルリリースを重ねていく。2014年夏にはアルバム「シクラメンの夏」を携えてユニット史上最大規模の全国ツアー「シクラツアー2014 ~君と僕の夏物語~」を開催し、約1 2000人を動員した。2015年1月に全米感涙協会より「涙活公認アーティスト第1号」に任命され、2月に5thシングル「キミノナミダ」をリリース。4月には関東地方で開催されたイベント「肉フェス2015」に公式応援歌「みーとフェスティバル」を書き下ろし、6月に羽田空港国際線旅客ターミナル応援ソング「SKYWALKER」を含むミニアルバム「こんにちは羽田」を発表した。同月に夏ツアー「シクラツアー2015 愛は地球を救うのか!? 肉だんご日本横断1000kmマラソンの旅 24HOUR TOY'S FACTORY」をスタートさせた。
田臥勇太(タブセユウタ)
1980年10月5日生まれのプロバスケットボール選手。男子プロバスケットボールチーム・リンク栃木ブレックスに所属し、チームではキャプテンを務めている。小学2年でNBAのスター、マジック・ジョンソンのプレイ映像を観てバスケに興味を持ち、1997年よりバスケの名門である秋田県立能代工業高等学校で活躍。在学中に9冠を達成し、世界ジュニア選抜にも選出された。2000年にNCAA2部のブリガムヤング大学ハワイ校に進学。約3年半で大学を中退し2002年5月にJBL・トヨタ自動車に入団。2002-2003シーズンで新人王を獲得する。2003年に再び渡米し、2004年にフェニックス・サンズで日本人初のNBAプレイヤーとしてデビューしている。2008年に帰国し、同年8月よりリンク栃木ブレックスに所属。1年目にチームのベスト5、アシスト王、スティール王に輝き、2年目にはプレーオフMVPを獲得する活躍を見せJBLでチームを初優勝に導いた。2015年6月には約4年ぶりに日本代表候補に選出された。