ヒカルちゃんからのお題
──2曲の新曲についても聞かせてください。DISC 1の「浪漫と算盤 LDN ver.」は、2016年の「二時間だけのバカンス」以来となる宇多田ヒカルさんとのデュエットです。どんな経緯で実現したのでしょうか?
「二時間だけのバカンス」のあとも、ヒカルちゃんとは常々、「もっと一緒に何かやりたいね」と言い合っていたものの、彼女も私もリリースやツアーがあったので。あるとき、共通の知人とヒカルちゃんとの会話の中で“ロマンとソロバン”という言葉が議題に上がったそうで。何でも、彼女が「曲のタイトルにいいかも。でも私より、ゆみちん(椎名)が得意そう」とおっしゃっていたらしく。私は“お題”に燃えてしまうタチで……難易度の高さに痺れつつも、なんとか仕上げた次第です。
──歌詞に描かれているのは、「三毒史」収録の「急がば回れ」でも歌われていた“人として生きる姿勢について”ということですが。
ええ。わりとシリアスですね。
──創作に携わる者の端くれとしては背筋が伸びます。
恐れ入ります。でもなかなか書けなくて、途中、「『浪漫と算盤』、無理。『仕事と生活』だったら書けるかも」などとつぶやいていたらしく。
──何ですかそりゃ(笑)。
ちょうどNUMBER GIRLを観に「RISING SUN ROCK FESTIVAL」を訪れたものの台風10号の影響で中止された絶望の最中、そんな弱音を吐いていたらしく。主人も、「それはさすがに生々しいからやめなよ」と私を諭していたそうです。必死だったからか、一連のやりとりを忘れてしまっていました。
──この曲のフルオーケストラはロンドンフィルハーモニック・オーケストラの演奏です。しかもレコーディングは、かのアビイロードスタジオで行われたということで。椎名さんの海外レコーディングは「三毒史」収録の「あの世の門」で訪れたブルガリアに続いて2度目ですが。
ヒカルちゃんの歌やリズム録りは東京で行って、その上に乗せていただく管弦をどなたかへお願いしようと思っていたら、幸運にもロンドンフィルからご協力いただけて。20年間、十分国産にこだわりましたからね。これからは必然性に応じ、どこへでも、喜び勇んで馳せ参じたいです。
三日月さんに歌ってもらえませんか?
──今回のコラボレーションを経て、宇多田さんについての感想は?
やっぱり面白い方です。ヒカルちゃんって、すごくひょうきんじゃないですか。そのうえもう大人だし、何をやってもシリアスで素敵なところは絶対に汚れないから、お茶目サイドの表情をオフィシャルな場でも拝みたいと思っています。客としても楽しみですし、もちろん2人ででも、一緒に何かおっちょこちょいなことをやってみたい。作品以外の場だとしたら、テレ東へのご相談になるでしょうか。
──まさかの「いい旅・夢気分」ですか?(笑) ともかく今後も楽しみです。そしてDISC 2の「公然の秘密」は、テレビ朝日金曜ナイトドラマ「時効警察はじめました」の主題歌です。椎名さんの十八番と言える“裏社会シリーズ”ですね。三木聡監督作品への楽曲提供は、2010年放送のテレビドラマ「熱海の捜査官」の主題歌「天国へようこそ」(東京事変)以来、9年ぶりですが。
スタッフを通じて、ドラマの制作サイドへ「三日月さん(麻生久美子が演じる総武署・交通課課長補佐)に歌ってもらえませんか?」と5回ぐらい時間を置いて言ってもらったんですが。歌メロもそれを想定していつもより平易なタッチで書いたのに。叶えられず。やっぱり今でもお聴きしたいです。
──そうだったんですか。
「ヒカルちゃんに歌ってもらうのは?」という話もごくごく初めの段階にしていました。
──ええ!?
でも、それはうちのスタッフから「宇多田さんを裏社会シリーズに巻き込むのはちょっと」と、止められました。三木監督から、詳しいサウンドのオーダーをいただくまえに曲だけは書いていたんですよ。いくつかの候補デモ曲を、それぞれどう育てるか、チーム内で話し合った、本当に初期段階での出来事ですよ。ヒカルちゃんとのプログラムが、お互いの日程上ドラマ主題歌より先に進行していたものですから。
──コンプライアンスや自主規制、炎上という言葉に代表されるように、椎名さんのデビュー当時と今ではエンタテインメントにおける表現の空気感も変わってきました。ウイットの効いた表現が、以前よりもためらわれる瞬間や窮屈に感じられるような局面が増えたという感覚はありますか?
まったくないです。「まじめにふざける」「巧みにバカをやる」。三木監督にも通じることですよね。世間の気分も手伝い、時に非難や誤解をいただいたとしても、それが人を貶めようという悪意のない表現であって、作り手が人知れずしっかり汗をかいているものであれば、最後には相殺されるものですよね。また“稽古の積み重ね”という裏付けがあってこそ初めて成り立つぜいたくな遊びであれば、楽しんでいただけるものだという意味です。これは「公然の秘密」で聴いていただけるようなアンサンブル然りです。地道な努力を積み重ねて来た匠と呼ばれる人々が集まってくれてやっと実現できるすっとこどっこいなタッチです。せっかく日常的に辣腕とやり取りしているわけですし、たまにはこうして意識的に、高級な悪戯へも挑んでいきたいと思っています。
──椎名さんが敬愛するアレッサンドロ・ミケーレ(現GUCCIクリエイティブディレクター)もそうした匠の1人と言えるでしょうか。
(溜め息をつきながら)あの方は本当に育ちがいいのでしょうね。きっと深く広く愛されて育った方。だからあれほど余裕を持ってあらゆる人々に優しさを振りまけるのではないでしょうか。私にとっては、(中里)太郎右衛門や(今泉)今右衛門のような存在です。彼らの作品へ触れるたび、こちらがものを書くうえでの姿勢を正されます。
これから新しい演目を
──21年のキャリアの途中では、配信ビジネスやSNSによって音楽を楽しむ環境も大きく変わりました。
ドラマチックな動きでしたね。私はもともとそんなに嘆いていません。むしろどんどん便利になってくれたらと歓迎しています。無論、批評は常にあって然るべきだと思いますが、選択肢が無数に増えて情報ソースが平坦になっていく分、むしろお節介で偏屈な音楽ユーザーや評論家気取りみたいな人がどんどん減っていくんじゃないでしょうか。「あの人、うさん臭いことばっか言ってる」「音楽の話、全然してないじゃん」「結局自分語りかよ」と思えばそっぽを向く。「好きか嫌いかでしょ?」という声がもっとも本質的。受け取る側も自由だし、各々が選びたいほうを選べたほうが健康ですよね。若い方が国内外問わず先達の音楽に興味を持っておられる様子を見るにつけ、世の中、捨てたもんじゃないと思えるし。
──なるほど。
先ほどの話にも通じますが、“まじめにふざける”うえでも、そのほうが健全でいいじゃないですか。何か起こると、その対症療法としての薬に当たるような表現が新たに生まれますよね。「あ、今の言い方、ハラスメントー! 傷つきましたー!」みたいに当事者以外の方が誰かの言葉尻をふやかして大仰に騒ぎ立てる痴話喧嘩のようなものが増えていくのはどうかと思いますが、例えばそれが芸として技としてきちんと成立するのならば、大いにけっこうなんじゃないでしょうか。
──では最後に、改めて本作のリリースを通しての感想と今後の抱負について聞かせてください。
“実体験に見せかけた劇中劇”を書いているつもりでやってまいりましたが、それでも林檎という役が発する言葉のほうはやはり、中の者(=作家自身)の人生により大きく左右されるものではあるでしょうね。古典芸能育ちの自分としては、そんな現場のルールを紹介申し上げるうちにいつの間にか20年も経ってしまった感覚です。そして今、ある程度の“お約束事”を踏まえていただいたうえで、これから新しい曲目・演目を通じ、お客さんと何を交換させていただけるか、楽しみに思うばかりです。
──それにしても椎名さん、やっぱりちっとも休む様子がないですね。
とりあえず2020年、乗り切れるか否か。2021年はMIKIKO先生と「充電しよう」と約束していますが、果てさて。