椎名林檎|デビュー21年目の“初めまして”

椎名林檎が初のベストアルバム「ニュートンの林檎 ~初めてのベスト盤~」を11月13日にリリースした。

本作は「リスナーから特に高く支持されている」という観点で選曲された2枚組のベストアルバムである。DISC 1は1998~2003年、DISC 2は2007~2019年の楽曲で構成されている。またDISC 1には3年ぶりに宇多田ヒカルとのデュエットが実現した「浪漫と算盤 LDN ver.」、DISC 2にはテレビドラマ「時効警察はじめました」の主題歌である「公然の秘密」と、それぞれ新曲も収録されている。

デビュー21年目を迎え、なおも精力的に音楽制作を続けている椎名にとって、ベストアルバムのリリースにはどんな背景や意図があったのか? 2枚のディスクにまとめられた活動の足跡、新曲の誕生秘話、そして今後について本人に話を聞いた。

取材・文 / 内田正樹

きっかけとなったお言葉

──本作のジャケットのビジュアルコンセプトとアルバムタイトルは椎名さんご自身が考えたのですか?

私を交えたクリエイティブチームの発案でしたが、「~初めてのベスト盤~」というサブタイトルは私のリクエストで最後に添えてもらいました。これまでベスト盤を出さず、今回リリースに至った要因の1つには、私がデビューから一度もレコード会社を移籍しなかった経緯が挙げられます。ずっとお世話になってきて、ここまで待ってもらえて、今日こうして双方納得のいく格好でリリースできることは本当に恵まれていると実感せざるをえません。ですので、サブタイトルには、「ご覧ください、この蜜月関係を」という惚気があふれ出てしまったかも知れません。

──それは素晴らしい。と言うのも、本作がリリースされるというニュースが解禁された直後、SNSをチェックしてみたんです。すると、「椎名林檎がベスト盤を出すのは意外だった」といった趣旨の感想をいくつか目にして。

ええ。

「無罪モラトリアム」ジャケット

──確か2000年ひと桁代頃のインタビューだったと思うのですが、椎名さんはベスト盤についてあまり肯定的ではない発言をしていたので、おそらくそれを覚えていたリスナーの感想だったんじゃないかと思うんです。

本当に初期の頃ですよね。まだオリジナルアルバムを2枚しか発表してないという状況下でベスト盤を出すという発想自体、お客さんに対してあまりに阿漕だと感じていたので。

──確かに至極真っ当な思いだと思います。

ユーザーとしての私はもちろんベスト盤を買って楽しむこともあります。来生たかおさんのベスト盤を聴いて、「あれ、『赤毛の隣人』、入れてくれないんだ? 村上ポンタさんのドラムのフィルを聴かずして来生たかおは語れないのに」といった、拗らせオタとしての真っ当な手順も踏んできましたから。

──昨年デビュー20周年という節目を迎えられたことも1つの要因と推察しますが、ほかにベスト盤のリリースを決めるに至ったきっかけや動機のようなものはあったのでしょうか?

今から10年ほど前のお食事の席で、竹内まりやさんから、「(デビューから)10年経ってもベスト盤を出さないなんて」「これから初めて椎名林檎を聴こうとしている人が、どれから聴き始めたらいいかわからない」「入門編がないというのは不親切」「もっとたくさんの人々に聴いてもらうべき」というような意味のお言葉を頂戴しまして。

──おお。まさに“聖母まりや様”の御神託ですね。

そのお話により、“お得意さん”の信頼を得るための博打に毎回必死だった自分が、いかに“一見さんお断り”のスタンスを貫いて来てしまったか、はたと気付かされ、「御意。可及的速やかにお出しします」と思いました。実際、まりやさんへもそのようにお答えしたはずだったのですが、やはり当時はふさわしい曲がエントリーし切っていなかった。一見さん向けと呼べるダイジェストをご用意するには、まだまだあまりに曲目が乏しいように感じられて、そこからさらに5年10年と、それまで通りコアなお客さん向けの制作に特化してしまいつつ、時間稼ぎをさせていただいたというのが本当のところでした。レコード会社からベスト盤の制作を提案されるたびに、「新譜を書くから待ってください」と訴え、その都度、受け容れてもらってきたという具合でした。

徹底してきた“新曲第一”

──今回の選曲と曲順については?

制作チームからの「特に支持されている曲、リクエストなどで数字が動いている曲を時系列順にまとめたい」という提案を承諾しました。曲目案を見たとき、一瞬、「今一見さんに『すべりだい』は要るのかな?」「え? 『迷彩』は大丈夫かしら?」といった心配は頭をよぎりましたが黙っていました。

──黙っていた(笑)。「迷彩」は、近年のライブ(2015年に開催されたツアー「椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015」)でも披露されていましたよね?

「加爾基 精液 栗ノ花」ジャケット

あれはお得意さん向けの場でしたし、いきなりではちょっと引かれちゃうんじゃないかと。せっかくのご新規さん向けなら、“死にそう”みたいな感じではなく、努めて明るくしていただきたかった。

──つまり、ずっと煉獄を歩いちゃうような選曲は避けたかったと?

そうですね。「葬列」「あの世の門」みたいな流れは避けたいなと。まりやさんがおっしゃったように、確かに「初めての人にどれから紹介したらいいかわかんない」とか、「いきなり『加爾基 精液 栗ノ花』(2003年2月発売のアルバム)を薦めたら引かれちゃうかもしれないし」という声もお客さんから届いていました。沼勢の皆さんがうっかり選んでくださるような、林檎の真髄的選曲は改めて機会を設けるか、もしくはそれぞれのプレイリストにお任せしようかなと。

──確かに、椎名林檎は今や豊富なレパートリーを誇るアーティストになったと思います。きっと熱心なファンの皆さんは思い思いに「あれは入らなかったの?」と思う選外の曲だってあるでしょうし、今夏にオンエアされたユニクロのCM曲「確かな誇り」のような音源未発表の楽曲も控えていますからね。

私も「あれ? 『カリソメ乙女』は入れなくていいのかな?」とも思いましたよ。「本当に公正な調査のうえでの上位楽曲なのでしたらこの選曲でけっこうです」と承知しました。実はベスト盤のお話は昨年にも提案を受けていたのですが、最後の悪あがきで「2019年はオリジナルアルバム(『三毒史』)を仕上げるので、そのあとでもいいですか?」とお願いしたんです。

──その甲斐もあって、と言いますか、「三毒史」収録の「獣ゆく細道」「長く短い祭」「目抜き通り」も収録されました。

その話もしました。「今録っている曲が順序として入れられなくなる」と。ベストアルバムを後回しにしてしまっていた最大の理由は、新曲を求めてくださるお得意さんが常にたくさんいらしてくれたことにつきます。私はこれまで、「枯渇している」というお客さんの声が届くと、「絶対に新しい曲を届けたい」と臨月まで働く勢いでした。「体を張って新曲第一を徹底してきたのだから、たった半年、オリジナルアルバムとベストアルバムの発売タイミングを入れ替えることくらい、わけないでしょう」という強い意志を表明しましたよ。結果、「三毒史」プロモーション時は絶不調で、本当にお恥ずかしく申し訳なかったですけれど。

「三毒史」ジャケット

──過去に音楽ナタリーのインタビューでも話題に上りましたが、確かに近年の椎名さんは傍目にも働き詰めに映りました。

お客さんが「コンピレーションなんか聴きたくない。新曲が聴きたい」とおっしゃるので。今指しているお客さんとは、「あ、ここのどりんちゃんのフィル最高!」とか、「鳥越(啓介)くんの落ちサビ半分から出てくるフレーズえっち!」といった内容をつぶやいてくださる、素敵な女性のことですよ。

──相変わらずSNSのエゴサーチも入念ですねえ……。

「この方、『おっさんずラブ』をご覧になっているんだなあ」といったこともチェックしながら。そうやって、私にとって一番大切なクライアント、お得意さまのご要望へお応えするのに都度都度集中することができてしまっていた。つくづく幸せ者です。