瀬名ちひろインタビュー|アイドルグループやインフルエンサーとしての活動を経てソロデビュー

アイドルやモデル、インフルエンサーとしての活動を経て、瀬名ちひろがソロプロジェクトを始動。セルフプロデュースによる初のソロシングル「ばず らいふ イヤー!」が配信リリースされた。

「ばず らいふ イヤー!」は「人には人それぞれのホンモノの愛」をテーマにした楽曲で、SNS社会の心ないアンチテーゼにも負けない強い思いがポップかつラブリーに歌われている。この曲で瀬名はプロデュースユニット・DogPとの共作という形で作詞に初挑戦。キャッチーなメロディとともに届けられるウィットに富んだ歌詞に、瀬名が持つ独創的なセンスが反映されている。音楽ナタリーではソロデビュー曲のリリースに合わせて瀬名にインタビュー。ソロプロジェクト始動に至るまでの経緯や、ソロ活動を通して実現したい夢などを語ってもらった。

取材・文 / 川崎龍也

社会人経験を経てアイドルの道へ

──瀬名さんは日本大学藝術学部文芸学科出身なんですよね。日芸には一芸に秀でている人が集まるイメージがあります。

私は型にハマることが苦手なタイプなんですけど、高校や大学への進学といった一般的な道を進むことが両親にとっては安心材料で、私自身もそれを理解していたので大学に進むことにしました。ただ、大学を決めるときには、単に文系科目が得意で読書が好きだからという理由ではなく、より言葉を深く探求できる学部のほうが自分には合っていると思って文芸学科を選びました。言葉は自分の鎧であり、「私」を生み出し続けると思っています。大切な人たちには「私」を伝え続けたいんです。思っていることをどう表したらいいかわからないのが一番もったいないのではないかと。

──大学ではどのようなことを学ばれていたんですか?

小説などを書くコースがあったので、そこに進みました。多くの芸術作品に触れる中で、ゼミでは三島由紀夫の作品研究に明け暮れていて。軽井沢とかには日大生が泊まれる大型ホテルなどもあり、ゼミ合宿で泊まったりと楽しい学生生活を送っていました。同級生の中にはエッセイやコラムを書く仕事に就いたり、出版社に入ったりした人が多くて。私も就活のときは出版社への就職を考えたのですが、「好き」を仕事にすることへの壁を強く感じてしまっていました。本が好きでも、本を作る側になると想像と違ってくる部分も多いと思うんですよ。なので、出版業界以外にも幅広いジャンルの企業を受けました。でも、最終的には父が勤めていた建設会社で働くことにしました。

──そのあと芸能活動を始めることを考えると、珍しいキャリアですよね。

よくそう言われます。淡々と業務をこなしていく中で、刺激や自分らしさを求める気持ちが強くなっていって。特に19、20歳の頃に、よく周りが言う「何者かになりたい」という感覚が自分にも芽生えてきたんです。親にはその気持ちを言えなかったのですが、アイドルのオーディション広告を見て応募してみようと決意して、誰にも言わずに受けました。受かったとき、最初は周りから驚かれたんですけど、親は私の心の変化に気付いてくれていたみたいで背中を押してくれました。

──それ以前は「何者かになりたい」という思いはなかった?

ありませんでした。そこそこ幸せだったし、規則正しい生活が心身ともに充実感をもたらしてくれていたというか。社会人になって日々の仕事に縛られる生活の中で「このままこれしかできないのか、違う世界線の自分に出会うことはないのか」と考えたときに、急に逃げ出したくなって(笑)。「普遍的な生活から逃避したい」という、自分の中に秘めていた思いに気付くまでが遅かったんですよね。

──そして瀬名さんにとっては「何者かになりたい」という思いを実現する存在がアイドルだったと。

逆転のチャンスが一番大きいと思ったんです。アイドルって役者や声優、モデルなどと比べると、下積みや即戦力となる技術がなくても挑戦しやすい職業だと感じていて。特にライブアイドルはそうで、日々のライブハウスでの活動を経て徐々にスキルを上げて成長していけたらと考えていました。あとグループへの加入を選んだ理由としては、ソロだけでは出しきれない魅力をメンバーの人数分発揮して戦えるので心強いなと。

──日本のアイドルシーンは、観客がアイドルの成長を楽しむという独自の文化がありますし、最初に求められるハードルは確かに低いかもしれませんね。

そうなんです。「誰かに見つけてもらって、ファンになってもらって、そのファンの方々と一緒にステージをゼロから作り上げていく」という意味で、初めての体験がたくさんありました。普通に会社員をしていたら出会わなかったであろうメンバーやファンの方と出会って同じ瞬間を共有できるのは、アイドルならではの醍醐味だと感じます。

瀬名ちひろ

令和のきゃりーぱみゅぱみゅになりたい

──グループアイドルを卒業後、どのような経緯でソロプロジェクトを始動させることになったのでしょうか?

これまでソロ活動をしたいと思ったことは一度もなかったんですよ。夢みるアドレセンスというグループでの活動を終えたあと、「令和の虎」というYouTubeチャンネル内のプロジェクトで私がプロデューサーとなってアイドルグループを立ち上げようと動いたのですが、うまく立ち回りができず周りの大人や仲間との関係が崩れてしまい、そのプロジェクトが頓挫して、ついには1人になってしまいました。そんな中でも、私を支えてくれるクリエイターの仲間たちもいて。現在の思いや感じていることを音楽という形で表現して、これまでの経験を無駄にしないようにしたいと考えるようになりました。

──ソロプロジェクトには瀬名さんのパーソナリティが色濃く反映されているわけですね。

そうですね。あと、芸能活動がネット活動と直結する中、誹謗中傷や勝手な憶測にどう向き合えばいいのかと悩むことがたくさんあって。「令和の虎」のプロジェクトの件で炎上してしまったときには、YouTubeの動画に数百件ものコメントが寄せられたり、InstagramのDMに多くの意見が送られてきたりしました。中には厳しい言葉も多くて最初は傷付きましたが、自分の反省すべき点は反省し、負けないで前に進む強さを持たなくてはいけないと思うようになったんです。

──いわばアンチに対する反骨心みたいなものが原動力になっている?

それも確かにありますが、自分がアイドル活動やインフルエンサー活動を通じて、もっとバズを起こしたい、つまり「バズライフ」を送りたいという正直な思いがあって。「ばず らいふ イヤー!」という曲のタイトルには、現代社会で重要な「ネットの使い方」や「エンタテインメントの楽しみ方」という視点も含まれていて、誤解を招かない発言やSNSの適切な使い方を発信者として広めていきたいという願いを込めているんです。そのためには私自身に「バズ」を起こすような影響力が必要なんじゃないかなと考えています。

──ソロ活動にあたって、コンセプトみたいなものはあるのでしょうか?

ここ最近ずっと考えていたことは、「令和のきゃりーぱみゅぱみゅになりたい」ということで。「ばず らいふ イヤー!」もきゃりーさんの非現実的なパラレルワールドみたいな世界観をモチーフにしています。炎上して傷心していた時期に、それらを忘れることができる、中毒性のある音楽やファッションが癒しになっていました。あと、きゃりーさんの耳に残るような細く芯のある歌声が自分の声と似ていると感じることがありました。音質的に全体に鼻にかかった甘い響き。憧れの“誰か”とまったく同じにはなれないことは理解しているので、自分なりのオリジナル、唯一無二性を大事にして発信していきたいと思っています。