映画「さよなら ほやマン」特集|MOROHA・アフロが語る、主人公に重ねた別世界の自分 (2/3)

矛盾し続けるものに理解を深めていく

──東京から島にやって来たワケありのマンガ家・美晴のキャラクターには、これまでMOROHAが描いてきたテーマと重なる部分があると感じました。荒ぶる魂の置きどころや安らげる場所をどう描いていくのかも、MOROHAの音楽に内包されている1つのテーマだと感じていたので。

俺は自分が感じている疎外感を“選民意識”に切り替えないとやってられない時期があったんです。学校で孤立しているときに、「俺は弾かれてるんじゃなくて、バカらしくてあいつらから離れてるんだ」という気持ちでいないと自分を保てないというか。全員敵だと思って中指立てながら「自分は自分だ」って叫ぶことが俺の音楽における最初の衝動だった。カウンターカルチャーという言葉があるけど、それを狙ってやろうとしてること自体がもうカウンターではないじゃないですか? やりたいことをやった結果、それがカウンターになっていて、あとからそう評価されるのはいいと思う。だから初期衝動から生まれたMOROHAの音楽を聴いて、その人が自分の置かれている環境や境遇と重ねることはあっても、それは本来の意味での安らげる場所ではないと思うんです。

アフロ(MOROHA)

アフロ(MOROHA)

──なるほど。

ちょっと話は変わるんですけど、俺は友達、知人、仕事仲間の3つを並べたときに、なんとなく友達が一番大切だという教育を受けてきたんです。でもこの3つって、本当は全部が同じくらい大切で。友達とはリラックスして話せるけど、緊張感がなさすぎて話をいい加減に聞いたり、近さゆえに雑に扱っちゃったりすることがある。知人は友達ほどの安らぎはないけど、緊張感を持って相手の話を聞く姿勢になるし、そこから何か得るものがあるんじゃないかと思える。仕事仲間は同じ目標を持って進もうとする人たちで、目標が潰えたらバラバラになってしまうから、その人たちのことを大事だと思えば思うほど、目標に対してのモチベーションが高くなる。この3つを並列に考えると、すごく俺は安らぐんです。一番は友達だって思ってしまうと、そいつにも背負わせてしまう気がする。もとの刷り込みに振り回されず、自分がどういう人間なのか説明していくこと、理解することが安らぎにつながっていくのかなと思ったときに、曲の中でいろんな人の人生を肯定することが大事だなと考えるようになりました。中指を立てているときって、自分の思いや反骨精神を強い言葉で発信するからすごくわかりやすいんです。けど、そこに安らぎはないんですよね。いろんな人の人生を肯定していく中で矛盾が生じたとしても、相手への理解を深めていくことで安らぐことがあるし、最近はそういう感覚を歌詞にしたいなと思ってるんです。

映画「さよなら ほやマン」場面写真 ©2023 SIGLO/OFFICE SHIROUS/Rooftop/LONGRIDE

映画「さよなら ほやマン」場面写真 ©2023 SIGLO/OFFICE SHIROUS/Rooftop/LONGRIDE

映画「さよなら ほやマン」場面写真 ©2023 SIGLO/OFFICE SHIROUS/Rooftop/LONGRIDE

映画「さよなら ほやマン」場面写真 ©2023 SIGLO/OFFICE SHIROUS/Rooftop/LONGRIDE

──MOROHAの音楽は傷口に対して容赦なく切り込むものもありますが、最新の楽曲からは先ほどおっしゃったいろんな人の人生を肯定する姿勢を感じます。

例えば友達が浮気していて、それが原因で彼女に振られたとしたらそいつが悪い。でも、その友達が泣きながら俺のところに来たら、そいつが悪いとわかっていても、俺は「お前はなんも悪くないよ」と言ってしまうと思うんです。そいつはたぶん自分の人間性を正してほしいんじゃなくて、その瞬間を超えるだけの力を俺に求めて来たと思うから。そのためになら一瞬嘘をついてもいいかなと考えるようになったんですよ。そいつが話を聞ける体勢になったとき「お前、自業自得だぞ」と指摘するのが、何かを変えようとするときの向き合い方かなと。だから歌詞の書き方もそうありたいなと思います。まあ、そこで相手に寄り添わずにぶん殴っちゃってもいいのが音楽のよさだから、一概には言えないところもあるんだけど。でも、相手が求めていることを理解することによって、できる曲の幅が広がっていく気がするんです。浮気したヤツが本当は一番悪いのに「悪くないよ」と言ってる歌があってもいいと思うし、正論だけを歌うのがポップソングではない。そういうものがもしかしたら安らぎっていうのにつながっているのかもしれない。もちろん、ゆくゆくは“本当”を歌う曲が作れたらいいなと思うんです。でも、本当のことを言うだけだと人は倒れちゃう。そんなに強くないですから。人間って。

──おっしゃる通りです。

表現における懐の広さという話で言うと、俺はすごく芸人さんの表現が好きなんですよ。あの人たちは誰かがスベったときも寛容に笑い飛ばすパワーがあるし、自分がスベったときも受け入れる準備があるし、“負け”というものに対してすごく寛容ですよね。つまり“落語”なんです。市井の人たちによる、てへぺろの世界。だけど俺がやってる音楽は基本的には“講談”だと思っていて。講談は英雄の話だから、絶対にてへぺろが許されない。でも現実は、自分は英雄だと思い込んで突き進まなきゃいけない勝負の時もあれば、てへぺろで乗り越えなきゃいけない夜もあるじゃないですか。俺はその幅を描きたいんです。庄司監督が「『ほやマン』は笑えるところも作りたい」と言っていて、ちょっとコミカルな部分があるのは同じ気持ちだったのかなと思いました。

アフロ(MOROHA)

アフロ(MOROHA)

大切な人がいなくなった瞬間に人はどうするか、どう生きるか

──「ほやマン」には“震災を忘れない”というメッセージが込められています。MOROHAも東日本大震災の直後に「今、偽善者の先頭で」という曲をリリースしたり、自分たちに何かできることはないかと動かれていた印象があります。

そう見えているとしたらありがたいですけど、個人的にあのときは何もできなかったというのが正直なところです。俺が現時点で3.11というものに対して思っているのは、当事者の悲しみを完全に理解するのはどう考えても難しいということ。今年も3月11日に福島でライブしましたけど、むしろ自分が今後どう生きるかを考えさせてもらうタイミングをもらっている感覚なんですよ。3.11は地震が起きた日、津波が起きた日として認識されているけど、シンプルに言えば、多くの人が大切な存在を失った日ですよね。あまりにも亡くなった方の数や、テレビに映る津波の衝撃がすごいから、なんとなく3.11という言葉でくくってしまうけど、被災者からすると大切な人がいなくなった日。でも、そういう日なら俺にもあって、「だったら俺もわかるよ」と言えるし、被災者の方々に対して特別に遠慮したり、歌う内容を変えたりしなくていいと思うんです。「ほやマン」には津波のシーンがあるけど、その悲惨さや当事者の心情にフォーカスするのではなく、監督とは「あくまで大切な人がいなくなった瞬間に人はどうするか、その後どう生きていくか」というメッセージを受け取ってもらいたいという話をしました。そうやって自分のことに当てはめて考えていくと、いろんなことがシンプルになってくるんですよね。

──ご自身の中でいろいろと整理できた段階で「ほやマン」の現場に入れたことは大きかったでしょうね。

そうですね。津波があった日、そこにいた男を演じようと思うときついんです。だけど大切な人がいなくなった男の“その後”を演じると思ったら、自分にも思い当たる節がある感覚でした。震災って、でっかい箱みたいだなと思ったんです。中を覗けば、ただただ1人ひとりの悲しみの詰め合わせというか。大事な人がいなくなったとか、建物がなくなっちゃったとか、自分の未来が変わってしまったとか……でも、それは誰の人生にも一度は起こりうることだから、決して特別なものではないと思います。

芝居とライブの共通点

──アフロさんは島の漁師であるアキラを演じるにあたり、小型船舶の免許を取得したり、漁師が使うロープのつなぎ方を覚えたりして撮影に臨んだそうですね。

そうなんですよ。でも庄司監督からは、船を操縦するシーンはカメラの角度でいかようにもなるし、別に免許は取らなくてもいいと言われていたんです。ロープをつなぐシーンも結局1回もなかったし。それでも免許を取ったりロープの扱い方を覚えたりしたのは、ミュージシャンが映画で主演するとなったらナメられるんじゃないかと思ったから。自分の“プロモーション映画”には絶対したくなったし、芝居のプロの人たちにそう思われたくなかった。小型船舶の免許を取ったのは、共演者の方々に対して「本気で向き合ってやります。俺が一番ペーペーだからなんでも気付いたことあったら教えてください。お願いします」「ここに船舶免許があります」とお土産を持っていく感覚だった。だけど、蓋を開けてみたら本当のプロは、そういうことで相手のことを判断しないんですよね。自分たちの仕事をとにかく一生懸命にやるし、別にお土産を持っていかなくても、同じように俺に教えてくれたと思う。それでも自分の中でチームの一員になるために、本気なんだぞと意思表示するために必要なことだったと思います。

──ウェットスーツ姿のアキラ、すごく様になっていました。

撮影の中盤ぐらいに島のおじさんから「おお、兄ちゃん、島の男の顔になってきたな」って言われたんだけど、それがもういやでいやで(笑)。俺はどうにか山を抜け出して東京の男になったのに、「もう田舎顔に戻っちゃうの!?」みたいな。でも、島での撮影、すごく楽しかったな。津田寛治さんが完全に“島の男”の顔になっていて圧巻でしたね。

映画「さよなら ほやマン」場面写真 ©2023 SIGLO/OFFICE SHIROUS/Rooftop/LONGRIDE

映画「さよなら ほやマン」場面写真 ©2023 SIGLO/OFFICE SHIROUS/Rooftop/LONGRIDE

映画「さよなら ほやマン」場面写真 ©2023 SIGLO/OFFICE SHIROUS/Rooftop/LONGRIDE

映画「さよなら ほやマン」場面写真 ©2023 SIGLO/OFFICE SHIROUS/Rooftop/LONGRIDE

──現場で出演者の皆さんと音楽の話はされたんですか?

松金よね子さんとしました。松金さんはミック・ジャガーと忌野清志郎さんが大好きなんですよね。撮影でご一緒したあと、MOROHAのライブを観に来てくれて「アフロちゃんの歌はいい!」と褒めていただきました。島に行く前の稽古で俺も弟役の黒崎煌代くんも場数を踏んでないから芝居について「これでいいのかな?」と悩んでいたことがあって。そのときに松金さんが稽古場に入られて、監督からの要望を聞いたあと「現場に行ったら景色も変わるし、空気も変わるから同じようにはできないもんね」とおっしゃってくれたんです。もちろんそれを鵜呑みにして何もせずに撮影に臨むのはダメなんだけど、確かに現場では場所の力みたいなものをすごく感じたんです。音楽のライブに似てるなと思ったのは、リリックは決まってても、MCまで100%固めて行くとだいたいスベるところ。ちゃんと体の中にリリック、つまり台詞を入れて、その場で起こることに反応していくだけというのがきっと一番いい状態。そうなれた瞬間もあったような気もするけど、松金さんの領域は遥かに遠いと思った。いやあ、難しかった。