ももいろクローバーZの佐々木彩夏が1stソロアルバム「A-rin Assort」をリリースした。
セルフプロデュースによるソロコンサートを2016年より毎年開催するなど、ももクロメンバーの中でも特に積極的にソロ活動を展開している佐々木。「A-rin Assort」は今年6月11日に24歳の誕生日を迎えた彼女のこれまでのソロ曲をまとめ、約10年間の“あーりんMUSIC HISTORY”を完全網羅したアルバムになっている。
音楽ナタリーでは佐々木にリモート取材を行い、アルバムの収録曲のほか、新型コロナウイルスの影響による外出自粛生活で感じたこと、この10年間での性格の変化、彼女自身が考える“あーりんらしさ”についてたっぷり語ってもらった。
取材・文 / 近藤隼人
こんなに休みが続いたのは初めて
──外出自粛期間中は、主にどのように過ごしていました?
ずっとおうちにいました! 実家住まいで買い出しにも行かないし、4月5月は散歩さえしませんでしたね。小6からずっとももクロで活動してきたし、それ以前も芸能活動をやっていて毎日何かをしている人生だったので、なんの予定もない日がこんなに続いて、長い時間を家族と過ごせたのは初めてでした。お休みがあっても友達と遊びに行く予定を詰めちゃうタイプで、休日もおうちにいることが少なかったんです。
──ここまで突っ走るように活動してきた分、急に時間ができて戸惑ったんじゃないですか?
ももクロは活動を自粛するのがわりと早かったんですよ。緊急事態宣言が出る前から活動のペースを落としていて。その頃は何カ月も家にいなきゃいけなくなるとは思ってなかったから、「いっぱい寝れるなー」とかのんきなことを考えてたんです。でも緊急事態宣言が発令されて、私たちだけじゃなく、いろんな業種の方が休業するようになったときに、その変化にちょっとびっくりしましたね。そんな中、ライブをはじめとする芸能に関することは不要不急の外出に含まれてしまうけど、日頃みんなの楽しみや息抜きになっていて、それは自粛期間中も同じはずだと思い始めて、「こういうときに何ができるかな」と考えるようになりました。
──そう考えて、自粛期間中に何か新しく始めたことはありますか?
一番大きいのは、家で撮影した動画をYouTubeに上げたことですね。私たちっておうちで仕事をすることが基本的にないじゃないですか。たまにサインやアンケートを書くことはあるけど、家だとはかどらないから仕事の空き時間に済ませることが多くて。家で仕事をするという感覚が全然なかったので、動画を撮って公開したり、インスタライブをやったりしたのはすごく新鮮でした。プライベートで新しく始めたのは「どうぶつの森」(「あつまれ どうぶつの森」)くらいかな(笑)。
──「あーりんクッキング」や「ももクロの曲を倍速で踊ってみよう!」という動画シリーズをアップしていましたが、これは佐々木さんのアイデアで?
はい! 勝手にやりました。私はもともとYouTubeを観るのが大好きだし、生配信番組に出るのも好きなので。自粛期間中ということもあり、最初はどんな内容の動画にするか悩みました。極力外出しちゃいけないということを考えると、観たあとに何かを買いに行きたくなるような動画を上げるのは違うんじゃないかという思いもあったんですよ。そんな中で何ができるかなと考えたときに、スーパーでついでに買えるものを使うんだったら大丈夫かなと思って、クッキング系の動画を始めました。ママに協力してもらったんですけど、これまでお料理の手伝いを全然してこなかったので、私もママも楽しんでできました。そこからほかのこともやりたいなと考えて、ももクロの楽曲を踊るだけだったら誰にも迷惑をかけずにできるなと思い付いたんです。それで古ちゃん(古屋智美マネージャー)に「ももクロの曲を倍速に加工できる? それ使っても大丈夫かな?」と聞いたら、音源を送ってくれて。
──昔は火や包丁を使うのをお母さんから禁止されてましたよね。今はどうなんですか?
今は「使うねー!」とひと言断って使っちゃいます(笑)。自粛中に一番がんばって作った料理はスパム丼です。スパムを包丁で切って火を使って焼いて、一歩前進しました(笑)。
ももクロにとってライブが一番の武器
──新型コロナウイルスの影響により、7月12日に神奈川・横浜アリーナで開催予定だったソロコンサート「AYAKA NATION 2020」が中止になりました。毎年大きな会場を借りてセルフプロデュースという形でソロコンを行ってきただけに、かなり落胆したのでは?
中止っていう言葉は重たいですよね。ゴールデンウィークあたりに「もしかしたら今年はソロコンを開催できないんじゃないか」「もし7月に開催できるとしても6月からリハできるのかな」と考え始めて、どんな決断をするにしても不安な日々でした。結果として(高城)れにちゃんのソロコンが来年に延期になったのに対し、私の場合は中止になって。チケットを売っていたから延期、まだ売ってなかったから中止というだけの差で、私も来年のソロコンの日程を発表したんですけど、やっぱり喪失感みたいなものはありましたね。
──夏フェスも次々に中止になりましたし、いつ元通りになるかわからないという状況が続くのもつらいですよね。
ライブは私たちの一番の武器で。全身にグッズを装備したモノノフ(ももクロファンの呼称)さんが声援を送ってくれて、みんなで一緒に歌ったり踊ったりするのがももクロのライブなんですよ。それができないとなると八方塞がりというか、私たちのいいところを出しきれない状況になるわけで。先が見えないのは私たちだけじゃないですが、このモヤモヤを誰にぶつけたらいいのかわからないし、今までに感じたことのない感情になりましたね。
──誰かが悪いという話でもないですもんね。
でも、こんなときこそ「みんなで集まれなくてもこんな楽しみ方があるよ」と提供していくことがエンタテイナーの役目だと思うので、私たちがブーブー言って心が折れたままでいてもしょうがないんですよね。それはこの間のももクロの無観客ライブでも感じました(参照:ももクロ、結成13年目初ライブを生配信!モノノフと作り上げた新たなエンタテインメントの形)。いつ元通りになるかはわからないですけど、“with コロナ”の時代をどう過ごすのか試されているなって。
今も現役バリバリの「だてあり」と「反抗期」
──1stソロアルバム「A-rin Assort」の発売日も佐々木さんの24歳の誕生日である6月11日から延期になりましたが、7月8日にめでたくリリースされました。このアルバムは“あーりんMUSIC HISTORY”を完全網羅した1枚ということで、これまで発表されたソロ曲がまとめられています。最初のソロ曲「だって あーりんなんだもーん☆」 がお披露目されたのは、佐々木さんがまだ14歳だった2011年4月の東京・中野サンプラザホール公演でした(参照:ももクロあかり最後のステージ「私は本当に幸せ者です」)。
「だてあり」は音源をいただいたときのことも、初披露したときのこともよく覚えてます。いやー、なんか10年って怖いですね(笑)。「だてあり」は初披露からずっとファンの皆さんに愛してもらって、何回歌ったかわからないくらい歌ってきました。2012年のホールツアーで毎公演のように歌ったのも思い出深いし、フェスやソロコンでも歌ってきたし、いろんな「だてあり」のシーンがよみがえりますね。今でも現役バリバリで活躍してくれている曲で、常に更新されているような感覚もあります。
──中学生だった頃、24歳になってもこの曲を歌うと思ってました?
1ミリも思ってなかったです!(笑) 「成長期よ 14歳」という歌詞があるじゃないですか。「19歳」まではきれいにハマるけど「20歳」からはゴロが合わないし、成人したらさすがに歌わないかなと考えてました。自分でも若い子が歌うから許される曲だと思ってたし、「20歳超えてこの曲歌うのはきついなー」って。でも、実際は全然大丈夫でしたね!(笑) 大丈夫どころか、この曲があることは強みで安心感を感じているし、「一体感はももクロの曲にも負けないぞ!」という自信さえあります。
──初披露の段階ですでにコールが入っていましたし、ももクロメンバーのソロ曲の中で一番破壊力がある気がします。
ももクロのライブで歌うと、ほかのメンバー推しのモノノフさんも「あーりん! あーりん!」と声援を送ってくれて。会場にいる全員があーりん推しなんじゃないかという錯覚に陥るくらい、プニノフ(あーりん推しの呼称)さん以外も楽しんでくれてると思います。
──2012年発表の2曲目のソロ曲「あーりんは反抗期!」も当時の年齢に合わせて制作された楽曲ですが、この曲も今なお現役バリバリですよね。
「あーりんは反抗期!」は私のママに対する不満を歌った曲で、「ママうるさい!」みたいなリアルな気持ちが歌詞になっているので、当時はママがライブに来るたびに「うわ、いるよ」と思いながら歌ってました(笑)。でも、モノノフじゃない人や友達も「さーさき!(おい!) さーさき!(おい!)」というフレーズを知っているくらい浸透している曲で。今もライブで盛り上がりますし、当時のことを思い出しながら歌ってます。「高校生のときはママがうるさくて大変だったな」って(笑)。
──佐々木さんの反抗期が終わったのはいつ頃でした?
20歳かな? 20歳超えたらママがかなり放任してくれるようになったんです。「終電までに帰ってくればいいよ」という感じで。自分のお金でプリクラやカラオケも行けるし、お酒も飲めるようになったし、ある程度自由に遊んでも仕方ないと思ったんじゃないかな。わかりやすく変わりましたね。でも20年間いい子で生きてきたので、その間に積み上げられてきた「ママ怖い」という感情が大きくて、今も終電ギリギリで帰るようなことはないです(笑)。
──20歳のときに発表された「あーりんはあーりん♡」でも、“あーりんママ”の存在が大きくフィーチャーされました。
「だてあり」「あーりんは反抗期!」と同じく私の気持ちを前山田(健一)さんにヒアリングしてもらって歌詞にしていただいていたんですけど、この形式の楽曲はこれで完結させようと話して3部作の締めにしてもらったんです。反抗期も終わったので(笑)。
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14歳から24歳までの変化