私は見ている範囲がすごく狭くて、その中で曲を紡ぐしかない
──また「今日」には、かけがえのないものに対する愛情の念も感じられます。
私自身まだ結婚をしていないし子供もいないけど、甥っ子姪っ子が生まれたり、周りの友人たちに子供ができたのを見ていると、すごく変化しているんですよね。それに加えて、歳を重ねるにつれて「自分の母親って偉大だな」って気持ちも強くなっていて、人間愛と言っちゃうと大きすぎるかもしれないけど……そういう気持ちを入れたかったところもあります。愛する人がいる、愛する場所があるってものすごく大切なことだと思うから。
──半径数メートルに見えるものを丹念にスケッチしながら物語を紡いでいく、というのが笹川さんの創作スタイルだと思うんですが、その視線が変わらず貫かれているのが収録曲を聴くとよくわかりますね。
そうなんですよね。私は見ている範囲がすごく狭くて、その中で曲を紡ぐしかない。だから「応援ソングを作れるアーティストさんってなんてすごいんだろう」とか思ってしまいます。
──時代性を考慮しつつ曲を書いたりすることってありますか? 今の時代に足りないものは何か?とか。
そういうことをスタッフとも話し合うんですけど、不器用だから時代の流れを読み切れないんですよ(笑)。どうしても視野を広くできない。そこを踏まえたうえで自分自身の世界が抽出できたら、また新しいものが見えたりするのかな?と思うんだけど。視野の広い曲を作るためにはたくさんの音や情報をインプットしなければいけないんでしょうね。私はあんまりほかの方の曲を聴いてこなかったタイプですから。ただ、ボブ・ディランさんとかはちゃんと知ってるんですよ(笑)。
──どうして「さん」付け?(笑)
あはは(笑)。レコーディングとかでもあるんですけど、「ギタリストの誰々のフレーズ」とか言われても「そうなんだ……」くらいしか答えられなくて。私、ホント音楽知らないなあっていつも思ってる。
──そうなんですね。ではそんな中でソングライティングの面で影響を受けた人って、挙げられますか?
歌詞の面で「こういうことを書いてもいいんだ」と思って衝撃を受けたのは「翳りゆく部屋」でした。
──お、ユーミンですか。
「『死ぬ』っていうワードをこうやって出してもいいんだ」って発見がまずあった。小学6年生で初めて聴いたんですけど「ランプを灯せば街は沈み」って描写にすごく驚いたんです。映画を観ているみたいにイメージがハッキリと浮かんだ。こういうフレーズを曲の中に収められることに、とにかく感動しましたね。
やっとスタートラインに立てたかもって思えたんです
──笹川さんにとってターニングポイントと呼べるときっていつになるんですか?
この5年間かな。一度avexを辞めてインディーズに行ったとき、そこで初めて聴いてもらう人のことを考えて曲を作るようになって、「もっと聴いてほしい」って願望が生まれたんです。そんな中でどうしようかいろいろと悩んでいたところ、2012年に「もう一度ウチでやってみないか?」とavexから声をかけてもらって。新しいスタッフと組み、デビューからずっとやってくれていたアレンジャーも変わったことで私の曲が新しい音になったんですよ。「自分から生まれたメロディがこうなるんだ」っていう発見もあって、いい意味で力を抜いてやれるようになりました。
──ニュートラルな状態になったということ?
そう、「ニュートラルになってもいいのかもしれない」って思えたと言うか。それまではわりと声を張って歌っていたところも、ニュアンスを生かした歌い方ができるようになった。もしかしたらアレンジがそういう歌い方を誘発するようになったのかもしれないです。それから三十代手前で舞台のお仕事をさせてもらったときに、そこにいた人がみんな歌えるアーティストの方々だったんですね。それまで私、自分のことをアーティストだと思えたことがなかったんです。でも皆さんが「ほらアーティストってさあ」なんて話しているのを聞いて、「私もアーティストって言っていいんだ!」って思えるようになって。そうしたら、そこでまたフッと何かが変わりました。「もっとちゃんとしなきゃ」じゃないけど「アーティスト然としたい」という自覚を強く持つようになりました。ということで、この5年間の経験が私にとっては大きな実になっています。たぶん10年目の頃だったら、ベスト盤のお話は断っていたと思う。「まだ私はムリだよー」って。
──なるほど。
でも今年ベストを出そうってことになり、「新しい世界」で初めてほかの方の曲を歌う経験をさせてもらって、やっとスタートラインに立てたかもって思えたんですよね。スタートラインに立ったからこそもっといろんな人に聴いてもらいたい、って気持ちにもなれた。ここに至るまでに15年もかかっちゃいましたけどね(笑)。
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知らず知らずのうちに和音階を好んでいる