斉藤朱夏はともかくステージが大好きな人だ。ステージに立つことを夢見てたくさんのオーディションを受け、アーティスト・斉藤朱夏としてもAqoursのメンバーとしても、数々のステージを踏み締めて輝き続けてきた。2020年は新型コロナウイルス感染症の影響でライブができない状況が続き、ステージに立つことを生きがいとする斉藤にとってはつらい時期だったという。それでも斉藤はファンと再会を約束し、2021年は6月に東京・東京ガーデンシアター公演、8月にZeppツアー、12月に神奈川・パシフィコ横浜 国立大ホール公演と、念願だったライブの開催に至った。
そんな斉藤の初のライブBlu-ray「斉藤朱夏 LIVE&DOCUMENT-朱演2021“つぎはぎのステージ”-」がリリースされた。本作には神奈川・パシフィコ横浜 国立大ホールで行われた「朱演2021『つぎはぎのステージ』」の模様と、昨年8月から斉藤を追ったドキュメンタリーが収録されている。音楽ナタリーでは本公演の話をベースに、斉藤に自身のライブについてじっくりと語ってもらった。彼女のステージに懸ける思いを、ぜひ感じ取ってほしい。
取材・文 / 中川麻梨花
「もう逃げたいかもしれない」と思ってました
──2021年は6月に東京・東京ガーデンシアター公演、8月にZeppツアー、12月に神奈川・パシフィコ横浜 国立大ホール公演と、ライブができてよかったですね。ステージに立てない時期はともかくつらかったということをたびたびインタビューでおっしゃっていたので。
本当によかったなと思います。11月にやる予定だった大阪公演が中止になってしまって、それは悲しかったんですけど、公演をやるごとにみんなと次のライブの約束ができるのが2021年はすごくうれしかった。2020年はみんなに会いに行くという約束を果たせなくて、悔しい思いをしたので……。
──ステージに立つのが生きがいの朱夏さんにとって、ライブができないのは相当つらいことだろうなとは思うんですが、ファンの人との約束を守れないつらさや申し訳なさも大きかったんですね。
そこが一番大きかったです。みんな一生懸命お仕事や学業を日々がんばっている中で、大切な時間を割いてライブに来ようとしてくれているのに、その時間をなくしてしまったというか。もちろんしょうがないことではあるんですけど、それをしょうがないで片付けたくなかった。どうすることもできないことがすごく悔しかったです。
──12月にパシフィコ横浜 国立大ホールで行われた「朱演2021『つぎはぎのステージ』」が映像化されるということで、今日は同公演をベースに朱夏さんのライブに対する考え方をいろいろとお伺いできればと思っています。去年の8月にリリースされたアルバム「パッチワーク」のインタビューで「自分の人生を歌うアーティストもいいなって思ってる」とおっしゃっていましたが(参照:斉藤朱夏 1stフルアルバム「パッチワーク」インタビュー)、アルバムと紐付いたパシフィコ横浜公演は、まさにそういった朱夏さんのアーティストとしてのスタイルがひとつ確立されたようなライブだったんじゃないでしょうか。
そういう感覚はすごくあります。あのアルバムは自分の人生のことを歌った楽曲が多かったから、ライブも自分の人生を全部見せるくらいの勢いでやらないとダメだなと思っていて。でも、あの頃は精神的にけっこうギリギリでしたね。自分でもなんであんなにギリギリになっていたのかもわからないけど、最終リハのときもつらくて。ひさしぶりに、「あー、ちょっともう逃げたいかもしれない」と思ってました。
──それはどういうつらさだったんですか?
ステージってスタッフさんがいて、バンドメンバーがいて、遊びに来てくださる皆さんがいることで初めて成り立つわけで。そして、そのセンターに立っている私はいろんな人の思いを全部受け止めて、それを1時間半ですべて出さなければいけない。その重さというのを、2021年はライブをやるごとに強く感じていたんですよね。「今日という日を最高の日にしないと」「みんなの思いを受け止めて、強い気持ちを持ってステージで爆発させないと」って。
──気負っていたんですね。
そうですね。そしたらどんどん自分には抱えきれないくらいのプレッシャーが押し寄せてきちゃって、「あー、どうしよどうしよ」みたいな。ステージに出る直前まで生きている感覚がなかったです(笑)。
──映像作品に収録されているドキュメンタリーでは、ライブが始まる直前に朱夏さんがステージ袖でうずくまっている場面がありました。怖さと戦っているような表情にも見えましたが、あのときはどういうことを考えていたんですか?
いつもはステージが始まる前は1回気持ちを無にするんですよ。そうしないとすごく緊張しちゃうし、あんまり考えすぎるとたぶんヤバいから。自分の中でステージは一番好きな場所で、一番怖くて嫌いな場所でもあるので。でも、「つぎはぎのステージ」のときは気持ちを無にすることができなかったんですよね。頭の中フル回転でいろんなことを考えすぎちゃって怖さのほうが強くて、「私、このままでステージに立てるのかな?」って。
──その怖さはやっぱり先ほどおっしゃっていたプレッシャーがもとになってるんですかね?
そうだと思います。皆さんの時間をいただいている身として、という気持ちがすごく強くて。遠くからわざわざ来てくれている人もいるわけだし、それを考えたらなんとしても素敵な日にしてあげたい。来てくれた人の中には今日が初めてのライブだという人もいるかもしれない。少しでもその人の背中を押してあげたい。あの時期はいろんなことを考えすぎて考えすぎて、ナイーブになっていました。でも、そんな中ですごくありがたかったのは、バンドメンバーの存在。最近はずっと同じバンドメンバーでライブをやっているので、メンバーもスタッフさんも私の性格をわかってくれていて、今だ!というタイミングでいろんな人が「調子どう?」「大丈夫だよ」と声をかけてくれるんです。
──「前は自分自身が孤独だと思う瞬間が多かった」ということもおっしゃっていた朱夏さんが、そういうふうに周りに支えられて1人じゃないと気付けたのは大きな変化だったのではないでしょうか。
本当に大きかったですね。あと、ステージに出た瞬間に「えっ、こんなにも人がいるの? すご!」みたいな(笑)。こんなにたくさんの人が応援してくれるなんて、私ってなんて幸せ者なんだろうと思って。支えてくれている人がいるのをちゃんと目で見て、耳でクラップを聞いて、どんどん気持ちが解されていったんです。
ステージに立ってるときの自分が一番好きなんです
──ステージが“一番怖くて嫌いな場所”で、不安や緊張で逃げたいと思っても、それでも毎回ステージに立とうと思える一番の理由は何なんでしょう?
こんなに怖がってるのに、本当に変ですよね(笑)。自分でも「なんでだろう?」って思います。
──「つぎはぎのステージ」のMCでは「これからもこの先、ステージに立ち続けます。それは約束します」と断言されていました(参照:斉藤朱夏、ありのままの自分でみんなと交わした約束「ずっとステージに立ち続けていきます」)。
正直、逃げるのは簡単なんですよね。でも、きっと私が見たい景色や知りたいものって未来にたくさんあって、まだそれをつかめていないんです。もちろん今まで見てきた景色も私が見たかったものだけど、見れば見るほど欲が強くなっちゃうんですよ。もっともっといろんな景色を見たいし、もっといろんな人をライブに巻き込んでファンのみんなと楽しい人生にしたい。あと、コロナ禍でなかなかライブに行けない方や海外のファンの方から手紙やSNSを通して「いつか絶対行きます」という言葉をもらうと、その人のためにステージに立ち続けたいと思う。ファンのみんなには、いくら「ありがとう」と伝えても感謝の気持ちを伝えきれないんですよね。となると、この先も一生ステージに立ち続けて、恩返しをしていきたいんです。
──もうすぐ新しいツアーも始まるということで(取材は4月上旬に実施)、“一番怖い場所”に年4回も立ち続けるということですよね。
私、ステージに立ってるときの自分が一番好きなんです。日常生活の自分は意外とつまらない人間なので、特に好きだとは思わなくて(笑)。私は一番好きな自分のために生き続けたい。だから、ステージに立つことが生きる原動力なんです。
──ステージに立っている自分が一番好きだという感覚は昔からあったんですか?
そうですね。最初にそう思ったのは、人生で初めてステージに立ったダンススクールの発表会でした。
──小学5年生のとき、初めてステージに立ったのが新木場STUDIO COASTだったんですよね。
そうです。そのときに「何これ、ヤバい!」と思ってしまったのがきっかけで、ステージの虜になりましたね。そのときは言うても全然ステージの端っこでしたよ。端のほうで踊ってて、それでも「こんなに楽しいことがあったの?」と思って、その瞬間からずーっとですね。で、どんどん欲が出てくるんですよ。端っこからセンターに行きたいとか、ソロパートをもらいたいとか。必死こいて練習して、今は自分がセンターで1人で歌っていると思うと、とんでもない人生だなと思います。
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1人の少女の人生を表現したかった