緑黄色社会は今、新たなフェーズへ突入しようとしている。
結成当初から「国民的存在になりたい」という目標を掲げ続け、そこへ向けた道のりを順調に歩んできた緑黄色社会。今年9月には初の武道館公演を大成功で終えるなど、4人の活動は順風満帆そのものに見える。しかし本人たち曰く、「国民的存在」という言葉の捉え方に変化が訪れており、そこには目標に近付いてきたからこその自信と不安の両方があるという。音楽ナタリーはそんな緑黄色社会の4人にインタビューを行い、武道館公演を終えたリアルな心境やニューシングル「ミチヲユケ」について話を聞いた。
取材・文 / 天野史彬撮影 / NORBERTO RUBEN
「武道館ってやっぱりすごいな」
──まずは9月16、17日の2日間にわたり開催された初の日本武道館公演に関しての話から伺わせてください(参照:緑黄色社会が結成10周年で初の武道館公演、満員の会場で鳴らした未来への希望)。武道館でライブをやられて、いかがでしたか?
小林壱誓(G) きっとメンバー1人ひとり感じ方は違うと思うんですけど、僕はお客さんが入る前のリハの段階で武道館のステージに立ってみて、「思ったよりも狭いな」と思ったんです。でも、本番でお客さんが入った状態でステージに立ってみると、圧をすごく感じて、「武道館ってやっぱりすごいな」と思いましたね。ライブが終わったあとは、「今後はより強い圧を感じていきたい」とも思いました。
peppe(Key) 長屋が直前にコロナにかかってしまったこともあって、リハでは音源の声を流しながらやったり、かなりイレギュラーというか、いつものライブとは準備段階から違ったんです。それに、ツアーじゃなくて2日間だけで終わるライブがそもそも初めてだったんですよね。火が付いて消えるまでの時間が短かったので、達成感というか、燃え尽きていく感覚がツアーのときとは違ったなと私は思っていて。案外、ツアーのほうが終わったあとに余韻に浸る時間は長いんですよね。武道館は2日間をやり終えたあとで「ああ、終わったなあ」と浸るよりは、強くなれた感じがしたというか、その経験がパワーになって次の日からはもう前を向いていたような気がします。
長屋晴子(Vo, G) 私は、ここ数年で一番いいメンタルでライブができたと思っていて。いろんな要因があるんですけど、今peppeが言ったように直前にコロナになってしまったから、リハに入れたのが日数で言うと2日しかなくて。ライブは2日間だったので、1日のライブにつき1回だけリハで通したっていう感じの極限状態ではあったんですよね。そこに不安もあったんですけど、逆に「もはやどんな状況でもやるしかない」くらいの気持ちでもあって。声も万全ではなかったし、体調的にも完全に回復していたわけではなかったんですけど、それでもやるしかなかったし、だからこそ吹っ切れた感じでした。「もう怖いものはないな」って。ここ最近、そういうマインドでライブをできたことがなかったんですよね。常に何かの不安と戦っている感じだったんですけど、武道館では強い気持ちでいられたし、音楽に集中できたなと思います。「その場にいる人たちを楽しませる」という気持ちに振り切ることができた。こういう気持ちって、バンドを始めた頃に持っていたものなんですけど、あの頃は何もわかっていなかったからこそ「自分たちは最強だ」と思っていたんですよ。忘れていたあの感覚を思い出しました。
穴見真吾(B) 僕は、ありえないくらい楽しかったですね。どのくらい楽しかったかというと、人生で初めてワンマンをやったときとか、人生で初めて音楽スタジオに入ったときのような高揚感。あれが武道館にはありました。これを人生で感じることのできる機会って少ないと思うんですけど、その1つが武道館にはありましたね。あと、僕はライブ前にソワソワしたくないタイプだし、最近のライブはあんまり緊張せずに臨めていたんですけど、武道館って、会場が緊張させにくるんですよ。それにイラッとしました(笑)。
一同 (笑)。
穴見 会場によって左右される自分が嫌だなと思って(笑)。どうして人は武道館を特別な場所だと思うのかというと、もちろんThe Beatlesをはじめいろんなアーティストが立った場所だし、そういう意味で聖地ではあるんだけど、それだけじゃないと思うんです。やっぱりキャパ的な意味で、武道館に出るタイミングってターニングポイントになるものだと思うんですよね。「武道館に出ることができれば満足です」というスタンスで活動する人たちもいると思うし、そういうアーティストも僕は素敵だと思う。それだけ、いろんな人の分岐点になるような場所で、だからこそ、自分はドキドキしたんだろうなと思ったんです。出来事として、バンドの歴史に深く刻みこまれる場所だなと思って。
より具体性が増した“国民的存在”という目標
──僕は17日の公演を拝見したのですが、バンドとしての力強さを感じたし、何より緑黄色社会の歴史を横断するようなセットリストにも引き込まれました。アンコールの最後に「これからのこと、それからのこと」が演奏されたことにも意味を感じましたし。当日のセットリストはどのように決められたんですか?
長屋 セットリストを決めるときに、どういう見せ方をしようかって話し合いをしたんです。結成10周年という節目だし、「これまでを含めた自分たちを見せたいのか? それとも、今のカッコいい私たちを見せたいのか?」というところから話し合いは始まって、最初は過去がどうとかではなくて、“今”の私たちを見せたいという話になっていたんです。今を見せたうえで、未来に希望を持たせたい。そうなると、初期の曲はやらないでいいのかなって。でも、ちょっと待てと。初期も含めての10年間だし、初期の曲でも、今の私たちだったら違う見せ方もできるし。そういうことも考えて、やっぱり、「今の私たち」も「これまでの私たち」も、どっちも見せたいという結論になったんです。
──穴見さんがおっしゃられたように、日本武道館はキャパシティ的な意味でもアーティストの分岐点になる場所だと思うのですが、皆さんがこれまで目標として掲げてきた「国民的存在」という言葉の、皆さんの中での意味やイメージは過去と今とで変化していると思いますか?
長屋 そうですね。より具体性が増しました。きっと、昔も今も同じものを目指していたと思うんですけど、結成した頃に目指していた“国民的”というのは、今と比べるともっと漠然としていたと思う。漠然と「売れたい」とか「みんなに知ってもらいたい」と思っていたけど、最近はファンの人たちの顔も浮かぶし、「次はこういう場所に立ちたい」とか「こういう曲を出したい」とか、そういう具体的なイメージも浮かぶ。“国民的”という言葉自体、私たちの中で成長したというか。
小林 こうやって武道館のキャパが埋まったりすると、やっぱりわかりやすくなるよね。俺たちはこれまで、チケットの即完をそんなに経験してきていなかったんですけど、武道館が即完だったのはうれしかったです。
長屋 うん。武道館を2日間完売できたのは、国民的存在に近付けているということなんだろうなと思う。まだ全然、自信はないんですけどね。
peppe 私は「国民的」というモヤモヤしたワードが現実味を帯びて、よりクリアに見えるようになってきた分、「そこにたどり着きたい」とも思うし、「たどり着かなきゃ」とも思うし、「どうしたらたどり着くんだろう?」とも思うし……いろんな思いが出てきて。不安も、前より大きくなっている気がします。今も考えると心臓がドキドキしてくる。
──穴見さんはどうですか?
穴見 前の僕らが「国民的」という言葉を使うときって、周りの景色を見て言っていたと思うんですよ。「こういう結果があれば、国民的なんだ」みたいな。でも今は、「国民的な存在とは何か?」を考えることって、「自分たちはどうあるべきか?」を考えることに近付いているんですよね。そこが圧倒的に変わったなと思います。
長屋 確かに「国民的存在」という概念を、自分たちで見つけていくゾーンに入った気がするよね。
右往左往しながら道を行くイメージ
──ここからはニューシングル「ミチヲユケ」のお話を聞かせてください。1曲目の「ミチヲユケ」はドラマ「ファーストペンギン!」の主題歌ですが、シングル曲らしいまっすぐなポップさがあると同時に、さまざまな要素が混ざり合うカオティックなサウンドもとても印象的でした。
穴見 この曲はもともと、小林と僕が一緒に暮らしていたときに作った原案となるデモがあったんです。
小林 その状態で、1コーラス分のメロディも付いていたし、歌詞もすでに書いていて。そこから歌詞を外した状態でドラマサイドに聴いていただいたら、「この曲でいきたい」と言ってもらえて。それを真吾がリアレンジしていったんです。そもそもはかなりシリアスな曲だったんですけど、ドラマの世界観に合うようにポップな要素を加えていきました。
──この目まぐるしく展開していく曲調やサウンドについては、どのように作られていったんですか?
穴見 例えば、2番のAメロでテンポがハーフに落ちてトラップみたいなビートが入ってくるところとかは、自然と浮かびました。「ミチヲユケ」というタイトルは曲を作っている段階では付いていなかったんですけど、まさに、右往左往しながら道を行くようなイメージは、曲作りをしている段階からあって。そのイメージを、アレンジャーの川口圭太さんがより強調して、全体的にカオスにしてくれた感じでしたね。
peppe ピアノのレコーディングも、今までにない実験的なことをやったんです。それまでの私の常識ではありえないことだったんですけど、ピアノの弦の上に鉛筆を置いたり、缶の蓋を置いたりして、弾いたときにそれが跳ねる音もレコーディングしたんです。川口さんの提案だったんですけど、私はずっと「ピアノの上に物を置いちゃいけない」という感覚でいたから、「すごい!」と思って(笑)。マジックが起こったみたいだった。
穴見 あれ、すごかったよね。めちゃくちゃいい音が鳴ってた。
小林 僕が差し入れに持っていった、名古屋名物として有名な坂角の「ゆかり」というおせんべいの缶の蓋を使ってました(笑)。
peppe そうそう(笑)。「常識に囚われていちゃいけないんだな」と思いましたね。それで、この曲では気分で入れてみたフレーズを採用したりもしたんです。最後のオルガンの音も、いつもだったら決め込んだ音を使っていたんですけど、今回は決め込まずにフリーで弾いてみたりして。こういう終わり方って今までしたことなかった。今までの常識を壊していった曲ですね、「ミチヲユケ」は。
長屋 この曲の持っている凄味って、カオティックで独創的な部分もあるのに、初めて聴いた人たちのことも置き去りにしないところだと思う。すごく絶妙なポジションにいる曲なのかなって思います。
次のページ »
「生まれ変わる」ではなく「生まれ続ける」