レキシ「レキシチ」特集|7人の著名人が考える7thアルバムのキャッチコピー (3/5)

7thアルバム「レキシチ」インタビュー

日本人である自分の中から自然と出てくるメロディ

──「ムキシ」から約3年半ぶりのフルアルバムとなったわけですが、この間、コロナ禍でライブが行えなかったりと、予定していた活動が叶わなかったことと思います。そうした状況は、今回の作品作りに何か影響を及ぼしましたか?

コロナで家に閉じこもっていたことの影響というわけでは特にないけど、歌モノとかバラードみたいな、ちょっと暗めな曲が多くできたというのはあるね。でも、バラードを作ろうと思って作ったわけでもなくて、自分の中から自然に出てくる曲がそういうものだった。逆に言うと、俺はもともと作曲家としては、歌モノ寄りなんじゃないかと気付いたというかね。

レキシ

──レキシというと、ディスコやファンクなどブラックミュージックを素地にした楽曲の印象が強いですからね。

もちろん、ブラックミュージックからの影響もあるけど、そもそも自分はThe Beatlesが大好きだし。何も意識しないで曲を作ると、メロディアスな感じになるんだろうね。あとね、最近自分ってやっぱり日本人なんだなと、つくづく思うわけ。

──それは、どういう意味で?

一時期ゴスペルの映像を観るのにハマって。そういう映像を観てると、向こうの人は、たぶん子供の頃から、ゴスペルを歌って育ってきたんだろうなと思うんだよね。俺らは、「咲いた 咲いた チューリップの花が」で育ってきたけど、方や向こうは「Oh, Happy Day」みたいな、ソウルフルな歌に小さいときから日常的に触れてるわけでさ。昔は少なからず黒人のファンキーな感覚を意識してたけど、そもそも下地が違うなということに気付いて。そういう意識の変化もあって、自分の中から自然と出てくるメロディに抗わなくなった。そうすると、バラードとかスローな曲が増えていったんだよね。

──例えば「だって伊達」というバラード曲にも顕著ですが、今回のアルバムは、池ちゃんが歌っていてプリミティブに気持ちいい言葉やメロディを最優先しているような印象を受けたんです。

そう。今まではメロディを先行して作って、歌詞はあとから考えていたんだけど、それでけっこう苦労してたのよ。いいなと思うメロディでも、言葉が乗った途端につまんなくなっちゃうことがよくあって。それで今回は、なるべくワード先行にしたわけ。普段から曲に使えそうな言葉をメモってるんだけど、それを見ながら鍵盤を弾いて曲を作るということをやり始めた。

「ギガアイシテル」で得たミュージシャンとしての自己肯定感

──そうしたメロディアスな側面の充実ぶりに加えて、初期の楽曲を彷彿とさせる、1つの言葉から派生するアイデアとかをうまく転がしていくような、言葉遊び的な楽しさも目立っている気がして。ここ数作のアルバムに比べても、全体的に軽やかな印象を受けました。

いわゆる“連呼系”ね。わかるわかる。それは意識したかも。特に「たぶんMaybe明治 feat. あ、たぎれんたろう」、あと「Let's FUJIWARA」とか。「だって伊達」もそうだね。「たぶんMaybe明治」は、ひたすら「明治」って言葉を連呼しようと、それくらいの気楽さで曲を書いていった。昔は連呼系の曲がもっとあったよなって。そういう意味で初期っぽい雰囲気があるのかもね。

──聴いてて、単純に気持ちいいですよね。

やっぱ自然に口ずさんじゃう曲って、そういうことなのかなと思って。今までがんばって、いろんな歌詞を書いてきたけど、結局ライブで一番ウケてるのって、「キュッキュッキュー」だもんね(笑)。あと今回のアルバム制作は、昨年「ギガアイシテル」をシングルで出したことの影響も大きいね。「ギガアイシテル」は、映画「クレヨンしんちゃん」の主題歌ということもあったから、超ポップな曲を意識して作ったんだけど。

──確かに「ギガアイシテル」は、レキシ史上最強にポップと言える曲でした。

今までもポップな曲を意識して作ってきてはいたけど、その一方で、ポップに受け入れられることに対する気恥ずかしさがあったの。「すごくいい曲ですね」とか言われても、心のどこかで「またまたー」みたいなことを思う自分もいて。でも「ギガアイシテル」を作ったとき、意識して超ポップに振り切っても、自分の中から自然と出てくる歌の延長みたいなものになっているなと思って。曲作りって、自己肯定感と聴き手の評価との戦いみたいなところもあるじゃん。

──自己肯定感?

例えばYO-KING(真心ブラザーズ)が、「いい曲ですね」と言われて「いい曲だろ?」ってすぐに言えちゃうあの感じとか、すごくいいなと思って。曲を生み出す力も必要だし、その曲を世の中に放ったあとの作り手としての佇まいみたいなものも大事だなと思うようになった。そういうところに自分自身、葛藤していた部分もあったんだけど、今はすべてひっくるめてオッケーみたいに思えるようになったんだよね。以前は「歌詞を連呼するだけじゃねえ……」みたいなことを思ってたんだけど、今は自分から出てくるものを素直に認められるようになった。

──「ギガアイシテル」を生み出したことは池ちゃんにとって、すごく意味のあることだったんですね。

出したときには全然そんなこと思わなかったんだけどね。映画のコンセプトや、ストーリーに合った展開で曲がかかるとか、いろんなことが先に決まっていたんだけど、さまざまな要望に応えたうえで、きっちりレキシとしての色を出すことができて。「ギガアイシテル」を出すことによって、自信を持てたとまでは言わないけど、1人のミュージシャンとしてオッケーをもらえた感じがしたんだよね。自分の曲に背中を押されて、次のアルバムを作るっていうのも、なんだか不思議な感じだけど。

──でも、すごくいい循環ですよね。

うん、本当に作ってよかったなと思う。

atagiとの声の相性から生まれた新たなスタイル

──ここからはアルバム収録曲について聞いていきたいと思います。まずは「たぶんMaybe明治 feat. あ、たぎれんたろう」。Awesome City Clubのatagiさんとのコラボです。

“あ、たぎのれんちゃん”ね(笑)。Awesome City Clubとはフェスで何度か競演したことがあって。ただ、今すごい人気者だから、まさか歌ってくれるとは思わなかった。この曲を書いている最中に参加してくれることが決まったから、れんちゃんのイメージに合わせて、シティポップ感を足して曲を仕上げた。

──atagiさんと池ちゃんのボーカルの質感って、ちょっと似てますよね?

それ、けっこう言われるんだよ。歌入れのときは全然思わなかったけどね。これまでは1番を俺が歌って2番をゲストが歌うみたいなパターンが多かったんだけど、この曲みたいに、1行ずつ交互に歌うやり方は初めて。声の相性がいいからできたのかな。

──atagiさんの声と、“Maybe”を連呼するフレーズのグルーヴ感がすごく合ってるというか。ボーカリストとしての印象はいかがですか?

声の抜け方が独特だし、ブラックミュージック向きだよね。あと、うまいこと歌い分けるというか。「ここはもうちょっとクセを強く」みたいな要望にもすぐ応えてくれて。いい意味で歌声がシンセっぽいんだよね。ベンド感というか、音程の移動がなめらか。最近の若い人はみんな歌が上手だよ(笑)。俺なんか何回も歌って、やっといいテイクが録れるみたいな感じなのに、みんな一発オッケーなんだもん。

──でも、前半の記事でもGAMOさんから「池ちゃんは歌がいい」と褒められたじゃないですか。

そうだ! ケニー爺はいいこと言ってくれるよね。これからはGAMOさんの言葉を心の拠りどころにしよう。

──「明治ブルー」という歌詞のフレーズも印象的ですよね。

まあ、なんて言うの、江戸時代から明治時代に移ることへのマリッジブルーみたいな?

──マリッジブルーではないですよね(笑)。

マリッジはしてないか。時代が変わって、呼び名も変わる、そういう複雑な気持ちを歌ってるということで。