川添象郎&大郷剛インタビュー|YMO楽曲をアイドルがカバーするPrincessnext始動 (2/3)

キャンティに通っていた15歳のユーミン

大郷 ユーミン(松任谷由実)さんも「ヘアー」の流れですか?

川添 ユーミンは「ヘアー」に出たがってたけど、若すぎてダメでした。その頃15歳ぐらいだったけど、「ヘアー」が大好きでしょっちゅう楽屋に遊びに来てたから「なんだろう? この女の子は」って。

大郷 すごい。その当時、ユーミンさんはこのキャンティにも通ってらっしゃったんですよね。

川添 八王子からバスだか電車だか乗り継いで来てました。ある日「私、実はいい曲書くんだ」って言うから聴かせてもらったら、すごくよくて。「才能あるね、君」って村井に紹介して、シンガーソングライターとして契約して1973年に「ひこうき雲」というアルバムを作った。すごいいいアルバムなんだけど、お金をかけたわりには2、3万枚しか売れなかったんです。次のアルバム「MISSLIM」は僕がプロデューサーをやって、これもすごくいいアルバムだったけど、やっぱり3万枚ぐらいで止まっちゃって。

左から川添象郎、大郷剛。

左から川添象郎、大郷剛。

──あの名盤が当時そんな状況だったとは意外です。

川添 だけど、僕らしつこいですからね。いいと思ったら徹底的にやる。これはテレビでプロモーションしないとブレイクしないねって話になったんだけど、ユーミンはまだステージ経験も浅いし、バックバンドのティン・パン・アレー(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)はマルチトラックじゃないと個性が出ないから、当時の音楽番組じゃ本領が発揮できない。だったらドラマの主題歌に持ってっちゃおうと思ったんです。TBSのドラマ班のプロデューサーのところに行って音楽の予算を聞いたら15万か20万ぐらいだって言うから、「その10倍かけた音源をタダで使わせるから、ドラマに荒井由実とクレジットを入れてくれ」と持ちかけて。そしたら向こうもおいしい話だと乗ってきて、曲を聴いてもらったら「これはいいね」という話になり、「家庭の秘密」(1975年8月~11月放送のドラマ)の主題歌に使われて大ヒットしました。「あの日にかえりたい」という曲ですね。

──ドラマとのタイアップのはしりですね。

川添 そこからファンがどんどん増えていって、「ひこうき雲」も「MISSLIM」も過去に作ったアルバムなのにあっという間に100万枚ずつ売り上げて大ブレイクしました。それで今の松任谷由実がある。実際、今聴いても古くないですからね。

──いいものだからこそ、世に出すためのアイデアを次々と実践していったわけですね。

大郷 僕もユーミンさんとは川添さん同席で何度か食事をさせてもらいましたし、ほかにもずいぶんいろんな方を紹介していただいて。川添さんの音楽に対する考えを僕も学んで受け継いでいるので、プロデュースのあり方を習った師匠ですね。次元が全然違いますけど。

川添さんから学んだ、いい音楽を残すこと

──大郷さんはこれまでプロデューサーとしてSoulJaのほか、純烈やファッションショーの「GirlsAward」の誕生に携わってきました。現在は放課後プリンセスのマネジメントをされていますが、今回YMO楽曲のカバープロジェクトを始めたのにはどういう思いがあったんでしょうか?

大郷 SoulJaをやって、純烈を作って、「GirlsAward」を始めて……自分の会社がだんだん大きくなってきた時期に2011年の震災もあり、自分の生き方を見つめ直したんです。それで手がけていた事業を一度全部辞めた。その時期に地下アイドルという世界があることを知り、人に相談される形で、縁あって2013年から放課後プリンセスを預かって育てることになりました。1年で「GirlsAward」を国立代々木競技場第一体育館の規模まで持っていけたので、自分なら彼女たちを1年で武道館に立たせられると思ったんですけど、大きな勘違いでしたね。アイドルってめちゃくちゃ難しいんです。

──というのは?

大郷 放課後プリンセスは、これまでシンガーソングライターのまふまふさんに「輝夜に願いを」という楽曲を提供してもらったこともありますし、いいものを作ってきた自負があるんです。マーティ・フリードマンさんに「BABYMETALと放課後プリンセスは日本が誇るアイドルだ」と言ってもらったことがあるし。でも、せっかくZeppくらいまでステップアップしても、メンバーが卒業するとまた動員が元に戻ってしまう。しかもアイドルの世界は、音楽のクオリティが高ければ売れるというわけでもない。チェキがどれだけ売れたかみたいな話ではなく、僕は音楽で勝負したいから、その葛藤がずっとあったんです。そして考えた末、目指すべきところは川添さんから学んだ、いい音楽を残すこと、感動を作ることだと思いました。TikTokで瞬間的にバズるのもいいけど、この先長く残る音楽を作るほうがうちの子たちにとっては幸せだろうなと。そういう思いがあって、川添さんにもう一度いろいろ勉強させてもらうつもりで今回のプロジェクトをお願いしました。

左から川添象郎、大郷剛。

左から川添象郎、大郷剛。

──川添さんがアイドルのプロデュースを手がけるとは想像もしていませんでした。

大郷 川添さんが何年か前「僕がもしアイドルやるんだったらYMOの『ファイヤークラッカー』とかいいと思うんだよね」とおっしゃっていたことを思い出して。もう一度勉強させてもらうつもりで「あれ、やりたいんですけど」とお願いしたところ、「いいんじゃない?」と言っていただけて今回のプロジェクトが始まりました。すぐに細野さんをはじめ、関係者の方に連絡してもらって快諾いただいて。川添さんは本人に直接連絡できるから、話がめちゃくちゃ早かったです(笑)。

サウンドディレクターはYANAGIMAN

──今回、細野さん作曲の「コズミック・サーフィン」と「シムーン」、高橋さん作曲の「ナイス・エイジ」のカバー3曲のデモ音源を聴かせていただきましたが、「シムーン」はメンバーのボーカルがしっとりと乗っていますね。

大郷 今回、ケツメイシさんやFUNKY MONKEY BABYSさんを手がけられてきたYANAGIMANさんにサウンドクリエイターをお願いしたんです。YANAGIMANさんにはSoulJaの2ndアルバム「COLORZ」にも参加していただいています。

川添 僕とずっと一緒にやってきた佐藤博さんが2012年に亡くなってしまって困ったなと思っていたけど、素晴らしい才能をお持ちのYANAGIMANさんがいてよかったですよ。

大郷 YANAGIMANさんはバークリー音楽大学を卒業されていて、教養と経験がありますから。例えば川添さんが40年前のアメリカのミュージシャンの名前をパッと言って、それがわかる人じゃないと会話できないじゃないですか。とても助かります。しかも性格が仏様みたいな人なので、うちのまだまだ未熟な子たちにもめちゃくちゃ優しい。一生懸命ボイトレして、励ましながら歌えるようにしてくれているので、ありがたいです。歌詞に関しては最初、いろんな作家事務所に募集をかけて何百と詞のプレゼンが来たんですけど、川添さんが「全部違う」と言って、結果として高木完さんにお願いしました。大事なところは川添さんもけっこう書いています。

左から川添象郎、大郷剛。

左から川添象郎、大郷剛。

川添 そういう共作みたいな仕事は今までいくつかやってますからね。サーカスの「アメリカン・フィーリング」のサビは僕が書いて、竜真知子さんが前後を作った。今回も英語の歌詞とか一部は僕が作ってます。

──「ナイス・エイジ」はオリジナルの退廃的な歌詞を一新し、ラップも入った現代のアイドルソングに変わっていて、そのアップデート具合が絶妙でした。音源の完成が楽しみです。

大郷 ラップしたことない子たちのために、YANAGIMANさんの紹介でフリースタイルバトルに出ている人気女性ラッパーにお手本になってもらって特訓したんです。なかなかいい仕上がりになったと思います。