ナタリー PowerPush - おおたえみり
小西康陽がつづる“天才少女”のセカイ
おおたえみりが通算3作目のDVD+CD作品「セカイの皆さんへ3 / かごめかごめ'12」を完成させた。本作は、総勢22名のオーケストラとともにコンサートホールで行ったライブの映像をDVDに収録。映画「ゲド戦記」をはじめドラマや映画のサントラ、宝塚歌劇なども手がける寺嶋民哉がオーケストラの指揮とアレンジを担当した。またCDには、150曲を超える彼女のレパートリーの中から最もポップなナンバー「かごめかごめ'12」が収められ、ガーリーでキュートなビデオクリップもYouTubeに公開されている。
ナタリーは、特集第1回で安藤裕子による書き下ろしテキスト、特集第2回で三浦大知のインタビューを掲載し、おおたえみりに惚れ込んだアーティストの言葉からその謎めいた実態に迫ってきた。そして第3回となる今回登場するのは、小西康陽。日本を代表するポップメイカーが、どっぷり惹かれてしまったおおたえみりの天才性や、彼女との出会いから今日までを自らの言葉でつづった。
胸ポケットのセカイ。小西康陽
きのう、おおたえみりさんに逢った。きのうも素敵だった。ブルーのコートがとても似合っていた。とても小さな声で、けれどもしっかりこちらの目を見て話してくれる。いっぽう、こちらは彼女が眩しくて、まったく目を合わせることが出来ない。彼女とぼくは何もかも違う。天才少女と凡才老人。それくらいの違い。出会うはずもない人と、自分はなぜか出会ってしまった。
おおたえみりさんを初めて観たのは6年前だった。ヤマハが主催する新人アーティストのコンテストの、ゲスト審査員として観客席に座って観ていた。もうひとり、作曲家の小森田実さんも審査員として招かれていて、SMAPの「SHAKE」という曲が大好きだったぼくは小森田さんにファンです、と言いたくて、ただそれだけの理由でこの仕事を引き受けた。
いま思い出すなら、たくさん出場した若い音楽家の中で、おおたえみりさんだけは最初からひとり輝いていたように思う。彼女は電子ピアノを弾きながら、「情の苗」という曲を歌った。そのタイトルがやけに引っ掛かりながら、ぼくはその曲を聴いた。ちょっとだけポップスを聴き込んだ人なら好みそうなコード進行だな、と思ったのも束の間、数小節後には、ああ、この人は天才少女なんだな、と気付いた。
歌い終えて、司会進行の人とお喋りをする彼女を見ていた。好きなアーティストは「ゆらゆら帝国」だと言っていた。何となく、ゆらゆら帝国さんに嫉妬したのも憶えている。その後、何組かの出場者を観たけれど、彼女が飛び抜けた何かを持っている、という気持ちは覆されることはなかった。
審査選考会場? というか、審査員控え室に戻ると、そこには大勢のヤマハのスタッフ、そして小森田実さんもいた。小森田さんもやはり「おおたえみり」を推していて嬉しかったのだけど、ヤマハのスタッフの人たちはどこか困惑していた。そんな空気があったことはここに書いておく。
その日、けっきょく彼女は最優秀賞に選ばれたのだが、その後すぐにデビューした、という訳ではなかった。早熟の天才、であることが彼女の大きなセールスポイントになるだろう、と考えていたぼくは、このまま何年もデビューを待っていると彼女の魅力の大きな部分が損なわれてしまう。そんなふうに考えていた。とはいえ、彼女はそんな時でも、たぶん自分のペースで音楽のことを考え、歌を作っていたのだろう。
ヤマハにMさん、という方がいて、ぼくはどこかのモッドのイヴェントで知り合いになった。彼女はご自分でもバンド活動をしている人で、そのバンドの7インチはぼくもむかし買って聴いていた。詳しいことは判らないが、もしかしたらぼくをコンテストのゲスト審査員に招いてくれたのも彼女の進言があったからなのかもしれない。大阪の「KARMA」というクラブで彼女と会う度に、ぼくはおおたえみりさんの近況を聞いていた。さいきん彼女が作ったデモ音源、というのを貰って聴いたこともあった。
Mさんは、ぼくがピアノで参加している前園直樹グループの京都「拾得」でのライヴに、おおたえみりさんを連れてきてくれたこともあった。彼女の前でピアノを演奏するのはとても恥ずかしかったのを憶えている。さらには4月29日の「昭和の日」に大阪・昭和町で行われたイヴェントにDJとして参加した時、Mさんが彼女を連れてきてくれたこともあった。当時まだ未成年だった彼女は深夜のクラブには来ることが出来なかったが、このイヴェントは白昼の街並のスピーカーから大きなヴォリュームで音楽が流れていたのだった。
反対に、こちらが彼女の出演するライヴハウスに演奏を聴きに行ったこともあった。その晩、出演していたのは4人ともピアノの弾き語りで歌う女性歌手だった。そのうちの一人と、おおたえみりさんとだけを観て、深夜にDJすることになっていたぼくは店を出た。ぼくは彼女の音楽に圧倒されていた。
感動、というよりは圧倒だった。それはぼくの持つ音楽的記憶を総動員してみても、やはりただ<不思議ちゃん>、と形容する他にない歌ばかりだった。すべての女性シンガー・ソングライターは不思議ちゃんである。自分は普段からそう考えているのだが、ここまで誰にも似ていない音楽を立て続けに聴いたことはなかった。絶対に自分には書くことの出来ない歌を書いて歌う彼女に対して、ぼくは憧れのような気持ちさえ抱いた。
ある時、「KARMA」でのDJの後、Mさんと朝ごはんを食べながら、ずっとおおたえみりさんの話をしたことがあった。そのとき、ぼくは彼女とバンドを組んでベースを弾いてみたいんだけど、というアイデアをMさんに打ち明けた。その頃、自分は前園直樹グループというバンドが楽しくてたまらなかったのだが、同時にあのバンドでは演奏していないエレクトリック・ベースを弾きたいとも思っていた。ベースを弾くとしたら、絶対に才能あるシンガー・ソングライターのバックがいい。おおたえみりさんは、まさに才能あるシンガー・ソングライターだった。
Mさんは早速、おおたえみりさんにその話をしてくれたようだった。彼女はやってみたい、と言っている、とも伝えてくれた。しかしバンドは実現しなかった。この話はこれくらいにしておこう。前園直樹グループと、おおたえみりさんのバンドはその後、大阪で共演した。
おおたえみりさんがデビューするニュースを読んだのは、たしかこの「ナタリー」の記事ではなかったか。それを読んだとき、何だか少しだけ寂しい気持ちになって、そのことに自分はひどく驚いた。彼女のことを、自分だけが知っている宝物か何かのように考えていたのだろうか。
メイジャー・レーベルからリリースされた作品は、きのう彼女から受け取った。「セカイの皆さんへ」、という題名を抱いた三枚の連作のシングル。彼女は20歳になってしまったけれども、音楽の才能はいよいよ汲めども尽きぬ泉のごとくある、ように思える。
それを聴いて、自分は何故かラニー・シンクレア、という1960年代のアメリカの歌手のことを思った。あるメイジャー・レーベルで数枚のシングルを発表して、それはどれも本当にハイブラウなポップスだったけれども、けっきょく彼女はアルバムを遺すことなく、レコーディング・キャリアを終えたのだった。
もちろん、おおたえみりさんの音楽とラニー・シンクレアの作品に共通点はほとんど無い。そして事務所のスタッフも、所属レコード会社の人々も、ここまで力を入れているのにアルバムを出さないなんてことは考えてもいないはずだ。
けれども、この「セカイの皆さんへ」、という三枚を出して、彼女が沈黙してしまう、というのを、自分はどこかで期待しているのかもしれない。伝説の天才シンガー・ソングライター。この期に及んで、ぼくはまだ彼女を<自分だけの宝物>にしておきたいと考えているのだ。
そういえば以前、おおたえみりさんから突然、手紙が届いたことがあった。封筒を開けると可愛い旅行のお土産が入っていた。イギリスに旅行した、という話は聞いていたけれども、そんな心遣いが嬉しくて感激した。いや、あまりに嬉しかったので、思わず彼女に電話を掛けてしまったことをいま思い出した。
これから彼女は素晴らしい作品を次々と世の中に送り出し、多くのファンを持つようになるに違いない。そんな記事をこの「ナタリー」やネットのニュースで見つけて読む度に、ぼくは彼女との思い出を胸ポケットからそっと取り出して、しばらくの間、感慨に耽るだろう。それは凡才老人の、小さな愉しみだ。
おおたえみり / かごめかごめ'12
- DVD+CDシングル「セカイの皆さんへ3 / かごめかごめ'12」 / 2013年1月30日発売 / 1890円 / cutting edge / CTBR-92087/B
- DVD+CDシングル「セカイの皆さんへ3 / かごめかごめ'12」
DVD収録内容
- トマトソング
- 調整中
- きんちゃく
- シャンデリア
- 郵便局員タカギ
CD収録曲
- かごめかごめ'12
- かごめかごめ'12
(instrumental)
LIVE INFORMATION
2013年2月20日(水)
大阪府 心斎橋Janus
<出演者>
おおたえみり / 国吉亜耶子and西川真吾Duo / Amicable Number / ちょまたーず / 後藤雪絵
問い合わせ先:Music Club JANUS | ミュージッククラブジャニス | 大阪心斎橋のライブハウス
2013年2月21日(木)
東京都 Shibuya O-WEST
<出演者>
おおたえみり / 水面下ノ空 / ステキス / Re:MAKER / スズメナインティーン
問い合わせ先:West « Shibuya-O Group
おおたえみり
兵庫県出身。1992年9月14日生まれのシンガーソングライター。幼少期からピアノを弾き始め、小学生の頃から曲を作るようになる。15歳で関西を中心に定期的なライブ活動を行う傍ら、次々とオリジナル楽曲を制作。ほぼ関西のみの活動にも関わらず、エキゾチックな容姿とぶっ飛んだパフォーマンスが噂を呼び、じわじわと話題になり始める。2012年8月、DVD+CD作品「セカイの皆さんへ / 集合体」でcutting edgeからメジャーデビュー。同年11月には第2弾作品「セカイの皆さんへ2 / 最短ルート」を、2013年1月には第3弾作品「セカイの皆さんへ3 / かごめかごめ'12」をリリースする。
小西康陽(こにしやすはる)
1959年、北海道札幌生まれ。1985年にピチカート・ファイヴでデビュー。豊富な知識と独特の美学から作り出される作品群は世界各国で高い評価を集め、1990年代のムーブメント“渋谷系”を代表する1人となった。2001年3月31日のピチカート・ファイヴ解散後は、作詞・作曲家、アレンジャー、プロデューサー、DJとして多方面で活躍。2011年5月には「PIZZICATO ONE」名義による初のソロプロジェクトとして、アルバム「11のとても悲しい歌」を発表。2012年10月発売の八代亜紀「夜のアルバム」ではアルバムプロデュースおよびアレンジを担当した。毎月最終水曜23:00~、NHK-FMにてレギュラー番組「小西康陽 これからの人生。」が放送中。著書に片岡義男と共著の「僕らのヒットパレード」ほか。