両面宿儺は今一番有名な鬼?
──「鳳凰の柩」を聴いたときに、音の中に絵があるように感じるというか。それと、こんなにも激しいのに、なぜこうも美しいんだろうと思いました。
なるほど。鳳凰というのは、人間とは比較にならないくらい長く生きる霊獣で。その鳳凰のための棺を人間があらかじめ用意するというのは、極めてナンセンスだし、必要ないんですよね。つまり「鳳凰の柩」は「鳳凰はまだ死なないんだ」「私は生きてるんだ」という歌なんです。その激しさや美しさというのは、鳳凰は用意された棺や祭壇に対して「こんな不要なものは取り去ってくれ」という怒りを感じたのかもしれないし、人間は生命力を湛えて飛ぶ鳳凰に美しさを感じたのかもしれない。そういうことを想像していただけたのは、僕が思った通りに聴いてもらえていると思いました。
──話は前後しますが、鬼にまつわる楽曲といえば「茨木童子」のほかに「両面宿儺」もありますね。
両面宿儺はある意味、今一番有名な鬼かもしれないですね。というのもマンガ「呪術廻戦」で主人公に取り憑いてるのが、両面宿儺という名前の特級呪物で。ただ、あくまで陰陽座では本当の伝承をもとに書いてるので、「呪術廻戦」の人気にあやかろうという邪な気持ちはないです(笑)。
──ハハハ。本来はどのような鬼なんですか?
わりと多くの鬼がそうなんですけど、もともと普通の人間だったんです。その力を恐れる人間にとっては都合が悪い存在だから「あれは鬼だ」と烙印を押されて、討罰されたり追いやられたりする場合が多い。とはいえ、酒呑童子と茨木童子は盗賊や山賊の類で、地方を荒らしていてあまりに厄介すぎて「あれは鬼だ」と成敗された。やってることが犯罪ですから、それはしょうがないとしても、両面宿儺は飛騨地方の土地では名士と言われるべき、すごく立派な人物。中央の権力よりも、その土地では両面宿儺の人望や影響力のほうがよっぽど大きかった。それで中央から「あれは鬼だ」と烙印を押されて、なんの咎もなく討罰されてしまうんです。自分が地方を治めて、人々のために尽力しているのに、勝手に悪人に仕立てられて亡き者にされるという。
──あまりに一方的で悲しい話ですね。
悲劇でしかないですよね。強力な鬼とされたけれど、本来は人間でもあったわけで、討ち果たされるような言われはない。そんな悔しさ、悲しさ、怒りとか、そういうものをこの楽曲では歌ってます。なので、黒猫が歌ってるパートには意志の強さも感じるけど、同時に儚さややりきれない感じが伝わってくるのは、そのような目にあったからという背景があるんですね。
──確かに、この曲は黒猫さんの歌声が絶妙ですよね。張り上げるわけでもなければ、すごく落とすわけでもない。この物悲しさはそういうことなんですね。
そうです。両面宿儺は本来、悲しみに暮れるような弱い人間ではないんですが、でもそんな目にあって笑っていられるはずもない。おそらく自分が討たれたあとの収めていた土地の行く末も案じてるでしょうし、そういう悔しさがにじみ出た歌になってますね。
本当に猪笹王ってかわいい
──「両面宿儺」は「猪笹王」ともつながるんですかね?
悔しいとかやり切れないという意味ではつながってますね。とはいえ「両面宿儺」とは大きく違うところもあって。猪笹王は猪の妖怪で、ある日、猟師に犬で追い立てられて鉄砲で撃たれて死んじゃうんですね。大きな猪が、人間ごときに負けたのが悔しくて化けて出る。そして、ある人に「猟師の鉄砲と犬がずるい。武器は捨てて正々堂々勝負してほしい、と言ってくれ」と頼むんです。でも、猟師は「そんな話はのめない」と拒否する。それで猪笹王はやけになって、とある峠を陣取ってそこを行き来する旅人を襲うようになってしまう。そもそも「鉄砲と犬がずるい」というところがかわいらしいなと。「あれさえなかったら俺が勝つのに」と大きな猪が負け惜しみを言うのって愛おしくないですか? しかも拒否されるっていうね(笑)。
──踏んだり蹴ったりな感じで(笑)。
「頼むから鉄砲なしでやってくれ」と言ってるのに、人間から「無理だよ、俺は撃つ」と言われちゃう。猟師の言い分としては、人間は脆弱な生き物で、自然界では猿にだって勝てない。猪はあの体格と牙があるから強いし、猿は素早さと爪と歯があるから強い。逆に、人間は弱いからこそ生き抜くための知恵として鉄砲を作り、犬で追い立てる。要するに人間の武器は知恵と道具だから「これはお前の持ってる牙と同じ意味なんだ」と言って拒否してるんですね。そうやって拒否されて、それでも「武器がなかったら負けないのに」と悔しがってる猪笹王。曲は狂おしいメロディですけど、だからこそかわいそうになるというか。本当に猪笹王ってかわいいな、という曲です(笑)。
──“妖怪曲”で言うと「滑瓢」もそうですね。てっきり悪い妖怪の親玉みたいに思っていたんですけど、調べてみたらそうでもないというか。
悪い妖怪じゃないというより、そんなすごい妖怪じゃない。「ゲゲゲの鬼太郎」で妖怪軍団のラスボスとして鬼太郎と戦っていたので世間では「滑瓢ってすごく強くて偉い」というイメージが強いと思うんですけどね。だけど滑瓢の伝承は、家に帰ったら知らないおじさんがいて、勝手にお茶を飲んでいて、「誰だ?」と聞いたら「滑瓢だ」と答えるという、それだけなんです。ただの不法侵入者なんですよ。
──ハハハ、妖怪ってほどでもない(笑)。
「ただの不審者なのに、なぜか総大将」というところに僕の空想を働かせていて。ちょっと皮肉な内容の曲なんです。例えば打ち上げとか会合に行って、一番奥の一番いい席で誰よりもいばってでっかい声を出してるけど、「あれは誰?」って状況ないですか?
──ありますね。
ですよね(笑)。一番偉そうなのに誰に聞いても「何をやってる人かは知らない」と言われる奥の席の人。それって、まさに総大将面をしてる滑瓢そのものじゃないですか? そういう歌詞ですね(笑)。
──曲調はデスメタルなのが面白いですね。滑瓢のくせに荒々しくカッコつけるサウンドという。
楽曲もトホホな感じでは困りますからね(笑)。音楽的にはよきものにはするんですけど、歌われているのはそういうちょっと困った人。それは現代でもいるし、滑瓢という妖怪はそういうものだと歌ってる曲です。
陰陽座は上を見ず、前だけを見ている
──「赤舌」も“妖怪曲”ですね。
赤舌に関しては、それほど詳細な伝承はなく、「人の間に何かしらのいさかいが起こったときに現れる妖怪」という感じで、出てきても大したことはしないんですが、だからこそ想像の余地が大きい。とにかく何かしらのいさかいがあるところに現れるのであれば、いさかいを描くことでそこに赤舌が現れるだろうという曲ですね。
──こちらは瞬火さんがメインボーカルを務めています。改めて瞬火さんの歌声は馬力もあるし、表現力も魅力的なので、もっと聴きたいと思いましたね。
いやあ……僕は黒猫の声がもっと聴きたいですね。黒猫の歌唱力、表現力、ボーカリストとしての資質がバンドの核であると、メンバー全員が捉えていて。黒猫の歌だけでも間違いないんですけど、我々は人間の心そのものを歌うことを掲げているんですが、人類は女性だけではないですから、黒猫と僕どちらも歌うことで、より人間の心を余すところなく歌えるだろうという思いがあって。なので必要がある場合は、僕が歌いますね。
──ラストを飾るのは「心悸」です。この曲によって、アルバムが晴れやかに終わるというか、光が射したまま終わっていく印象を受けました。
最後はやっぱり晴れやかにして「いいアルバムを聴いたな」と楽しい気持ちで終わってほしい。これまでの作品もそういう風にしてきているので、今回も曲ができたときに「最後はこれだな」と思ってましたね。
──本作を完成させたことで、陰陽座はどういうフェーズに到達したと思いますか?
自分たちとしては、どこに到達したというよりも、また新たな一歩を踏めたということしかないですね。これは悪いふうに言ってるわけじゃないですが、「上に行く」と言うと聞こえはいいんですけど、まあ上に行くから落ちるわけで。前に進めば落ちることはないですよね? だから陰陽座は上を見ていなくて、前だけを見てる。それをずっと続けてきた20年なので、このアルバムでもまた新たな一歩が踏めた。それが本当にうれしいと思えるんです。
──大きな会場を埋めたいとか、誰もが知ってる存在になりたいとか、何かしらの地位や名声を求めることがガリソンになっている人も多いと思うんですよね。でも、陰陽座は上を目指していないこともそうだし、数字や規模も追い求めていない。ただ、本当にいい音楽を作りたいという気概を感じるんです。
まさにそうで。僕たちみたいにライブで何万人も集めていないバンドが「目標はそこじゃない」と言うと、ただの負け惜しみに聞こえると思いますし、そういうスタジアム級のお客さんを沸かせられるのは、僕たちが持ってるのとは別の才能なので、それは尊敬すべきものだと思います。だけど個人的には、おっしゃる通りただいいものを作っていたいんですね。とはいえ……とにかくいいモノを作りさえすれば評価があとからついてくるとか、実はそんなことないんですよ。今に限ったことではないですが、音楽業界は、見せ方とかプロモーションとかが重要なようで。それを駆使して、とにかく上に行くっていうのも1つのやり方だし、才能だと思うんです。そんな中、陰陽座はとにかくいいモノを作ることにこだわって、浮ついたことしないと言った結果「もう君たちは用済みだよ」となったら、じゃあそこが寿命でいいだろうと思っていて。だからこそ20年も続くと思っていなかったんですよね。でもファンの人が求め続けてくれた。だからこそ、ここまで来たら、ただいいモノを作りたいという思いを一切曲げずに進むしかないと思っています。
──最後に質問というか、お伝えをしてもいいですか。
ん?お伝えですか?(笑)
──僕、高校生になるまでハードロックを敬遠していたんですよ。だけど「三宅裕司のいかすバンド天国」で人間椅子を見たときに「これなら好きかも」と思えたんです。音楽性もビジュアルも、完成されていて圧倒された。陰陽座を聴いたときにも同じ感情になったんですよ。そしたら、瞬火さんも人間椅子に影響を受けていると聞いて、点と点がつながりまして。
陰陽座をやり始めた頃は見た目で「人間椅子、好きでしょ?」と言われて「好きに決まってるでしょ!」と言ってましたけどね。ちなみに、ベースボーカルが長髪で着物、という共通点で引っかかったということじゃなく? あ、今は鈴木(人間椅子の鈴木研一[B, Vo])さんは長髪ではないですけど。
──違うんです(笑)。僕の中でヘヴィメタルって、マッチョイズムの音楽と思っていたんですけど、陰陽座を聴いたときに「これもヘヴィメタルだったら好きかも」と思えたんです。この2組は僕の凝り固まった常識みたいなものを壊してくれた。
いわば食わず嫌いが治ったわけですね。それは、ヘヴィメタルを名乗ってるバンドとしては本当にうれしいです。メタルはレザースタッドに英語でハイトーンのシャウトをしなければいけない、という常識は人間椅子さんを含むいくつかのバンドが実力で叩き壊しましたからね。僕も個人的にはスタンダードなヘヴィメタルが大好きですけど、その真似事をするだけのバンドをやるつもりはなかったので、とにかくヘヴィメタルが持つ無限の可能性を追求するつもりでやってきました。そしたらうっかりメジャーデビューということになっただけです(笑)。
──(笑)。
ハッと気付いたら20年も経っていた。振り返っても、一瞬たりとも自分たちがやりたいことを曲げなかったのはよかったと思います。普通だったら清濁併せ呑むことで、ある程度やりたいことができるものでしょうし、社会人としてはそれが当たり前だと思います。なのに僕たちは自分たちがやりたいことだけをやってここまで続けさせてもらっているので、本当に感謝しかないですね。だから自分たちが好きでやっていることに対して、「これなら好きだと思った」と言ってもらえるのは、ありがたいですね。
プロフィール
陰陽座(オンミョウザ)
1999年に大阪にて瞬火(B, Vo)、黒猫(Vo)、招鬼(G)、狩姦(G)の4人で結成。“妖怪ヘヴィメタル”というコンセプトのもと、人間のあらゆる感情を映す“妖怪”を題材とした楽曲を男女ツインボーカル&ツインギターで表現するスタイルが高い評価を集め、2001年にキングレコードよりメジャーデビューを果たす。コンスタントに楽曲をリリースしながら精力的にライブ活動を行っている。2023年1月に4年半ぶり15枚目となるオリジナルアルバム「龍凰童子」をリリースした。