岡崎体育はまだ“SAITAMA”を知らない

道化と道楽の谷の狭間で

──そして、一世一代の大舞台であるさいたまスーパーアリーナ公演に向けて、3rdアルバム「SAITAMA」がリリースされました。

このアルバムを通して岡崎体育の今までの積み重ねとか新しい側面を感じて、興味を持ってもらって、ライブのチケットを購入してもらえる作品にしようと思ったんです。アルバムタイトルは基本的に自分のことを表現してて、1枚目は「BASIN TECHNO」という自分が作り出した架空のジャンル、2枚目は「XXL」にして自分の体形とか今まで経験してきたことの深みや大きさを出そうと思って付けました。今回は「SAITAMA」がベストだと思って決めました。

──制作はスムーズでしたか?

岡崎体育

いや、本当は3rdアルバムをもっと早い段階で出す予定で。1stアルバムと2ndアルバムのようにネタ曲とか話題になりそうな曲を入れて、その曲でミュージックビデオを作ってドカンと当てるぞと意気込んでたんです。でも、去年の夏頃から意識が変わって。ライブに1万6000人を集めるためには、話題性のあるネタ曲を入れたアルバムを作るのではなくて、今僕のTwitterにいるフォロワー46万人、ワンマンライブに来てくれた人やフェスで観てくれた人、岡崎体育の音楽をいいと思ってくれている人にアプローチするべきだと。ネタ曲は全部ボツにして、レコード会社にも作りたいと思った曲だけを入れさせてくださいというお願いをしました。

──なるほど。

あとお客さんの前や動画の中で岡崎体育というピエロを演じている道化の部分と、小学校の頃から思い描いていた音楽家像との“谷”に去年の夏ハマってしまって。僕はそれを「道化と道楽の谷」って呼んでるんですけど。

──その葛藤からどうやって抜け出したんですか?

僕、京都のラジオ局で番組を持ってるんですけど、番組の企画で「岡崎体育の好きな曲ランキング」をやったんですね。そしたら、見事にネタ曲がトップランクに入っていなくて、自分が作りたいと思って作った曲が上位にランクインしたんです。そういう曲を評価してくれる人がいるんだとそこで改めて気付いて。だったらそう思ってくれる人たちにライブに来てもらわなきゃいけないなと。今は岡崎体育を知らない人に話題性のある曲を提供して、「どうぞ岡崎体育を知ってください」っていうタイミングじゃないって。さいたまスーパーアリーナ公演を成功させるためには、今岡崎体育を聴いている人に対してアプローチするのが正解だという結論になったんです。

──ああ、それを聞いてすごく腑に落ちました。「SAITAMA」を聴いて私は非常にパーソナルな作品だなと感じたんです。バンドサウンドによるロックチューン、ダンスナンバー、アンビエントなインストゥルメンタルなどご自身が聴いてきた多岐にわたるジャンルの曲が収められていて、歌詞もご自身のことを歌った曲が多い気がしました。

まさにその通りで、オリジナルアルバムにはタイアップ曲は入れないようにしています。タイアップ作品はシングルや配信でリリースしたり、企画アルバム(「OT WORKS」)にまとめたりしてて。だからオリジナルアルバムはいつも自分語りなんです。今回は特に自分が作りたいものを作ってそれをコンパイルしましたね。これが評価されなかったら岡崎体育は終わりだし、評価されたらさいたまスーパーアリーナ公演の成功に近付くことができるという思いで作りました。だからこのアルバムが今後の僕の音楽人生の判断材料になると思ってます。

──これまで発表した中で一番の勝負作?

そうですね。

──そういえば、アルバムのジャケットでは毎回ご自身の写真を使ってますよね。

岡崎体育のアルバムなんだし、僕が写っていても違和感はないと思っているので。ただシンプルにわかりやすく、というのが僕のCDジャケットに対するこだわりなんです。今回使った写真は、インディーズの頃にちょうどさいたまスーパーアリーナでライブをすることを目指し始めた頃のものなんですよ。

──あ、そうなんですね。ちなみに写真が岡村靖幸さんみたいだというコメントも見られました。

恐縮です! 実は一昨年の「氣志團万博」で岡村さんにお会いして、軽くお話しさせてもらったときに光栄なことに「目指すんだったら俺だな」って言ってもらえて。もしかしたら潜在的にそれを覚えていて、岡村さんっぽい写真を選んだのかもしれない(笑)。

岡崎体育と盆地テクノは死ぬまでやる

──目標を達成したあとのビジョンはありますか?

デビューする前からずっと「さいたまスーパーアリーナが終わったら、裏方に回って表舞台から姿を消してひたすら作家活動をする」ってレコード会社のスタッフや周囲に言ってたんです。もちろんお客さんには言ってなかったんですけど。でも、メジャーデビューしてからの2年半の活動を通して、岡崎体育という“道化”を演じている葛藤を上回る楽しさがあって。お客さんが岡崎体育を観て笑ってもらってるところ、自分が作った曲で踊ってくれている景色が捨てられなくなってしまった。形態とかどういうスパンでやるとかは具体的に決めてないですけど、今後もずっと岡崎体育として表舞台に立っていくんじゃないかなと思います。

──大きな方向転換があったと。

……と思ってたんですけど、、それが実は2014年に初めてワンマンライブを奈良でやったあと、ブログの最後に「僕、一生盆地テクノやりますね。」って書いてて(参照:ワンマンライブ[BASIN TECHNO]を終えて - 岡崎体育ブログ 脂汗日記)。

──つまり、デビュー前に岡崎体育を一生続けると宣言していた?

はい。そのライブでは当初100人集めることが目標だったのが、台風が来てJR線が全部止まってしまって。でも90人近い人が来てくれた。ヤバイTシャツ屋さんのメンバーも大雨の中、原付で何回もコケながら駆け付けてくれたんです。そのときに、集まってくれた人に対して、がんばって自分が名を挙げることで感謝の気持ちを表せるかなと思って書いたんですよ。それを最近読み返して、結局自分が言ったことを絶対やるという信条から矛盾は生じないなと。だから、岡崎体育と盆地テクノは死ぬまでやると思います。

──それも言霊ですよね。

自分ではさいたまスーパーアリーナ公演を実現したら、表舞台から去ろうと思ってたんですけど、昔の自分の言葉が返ってきたんです。

岡崎体育

──2018年はNHKの朝ドラ出演や雑誌「an・an」でのコラム連載など音楽以外の活動も活発にされていましたが、それがさいたまスーパーアリーナ公演に生かされる部分はありそうですか?

はい。去年関ジャニ∞の丸山隆平さんと対談させてもらったときに、丸山さんが役者や音楽以外の仕事を経験して、それを関ジャニ∞に持ち帰って糧にしているということをおっしゃっていて。それが僕も少なからずはできるんじゃないかなと思って、役者の仕事をさせてもらったんです。役者業で得た経験を自分のステージに持ち帰れればいいなと。それ以外にもたくさん新しい経験をさせてもらったので、その経験を自分の音楽やライブで昇華してきたいです。