歌手・丘みどりが、演歌界に新たな息吹をもたらしている。
最新シングル「涙唄」の発売を記念して行った本インタビューでは、彼女の多方面での活躍を深掘り。2024年の勝負作だという「涙唄」に込められた思い、今夏に開催予定のワンマン公演への意気込みを聞いた。
演歌に出会い、演歌を愛し、演歌の魅力をSNSやテレビを通じて発信してきた彼女のこれまでの活動の内容はどんなものだったのか? さまざまな世代にまたがるファン層の獲得、音楽としての演歌の進化、そして彼女自身の音楽に対する真摯な姿勢と成長の軌跡を紹介する。
取材・文 / 小野田衛撮影 / YOSHIHITO KOBA
演歌を知らない人に演歌を届けたい
──ここ数年の丘さんは「千鳥の鬼レンチャン」(フジテレビ系)のカラオケ企画で演歌歌手の圧倒的な歌唱力を世間にアピールするなど、マルチに活躍の場を広げている印象があります。
うれしいのは、最近コンサートにお子さんが来てくれるようになったんですよ。
──演歌のコンサートに子供ですか?
完全にテレビ効果ですよね。「『鬼レンチャン』を観て来ました!」と言ってくれる中学生の女の子とか小学生の男の子が増えましたから。お母さんが私と同じ年だって子もいました。そして、そのお母さんも「この子がどうしてもみどりちゃんのコンサートに行きたいというもので、私自身も演歌は初めてなんですけど……」なんて言うんです。
──そんなこともあるんですね。
いろんな方がいますよ。ほかには30代の娘さんと60代のお父さんの親子が私のファンクラブに入ってくれていまして。ファンクラブ旅行では、お父さんから「まさかこの歳になって娘とデートができるとは思わなかった。みどりちゃんのおかげだよ。ありがとう」と感謝されました(笑)。家族の中で、演歌という共通の趣味ができるって素敵ですよね。
──それも丘さんが世代を超えて親しまれるキャラクターを持っているからでは?
そうだとうれしいんですけど……。やっぱり私には「今まで演歌を聴いたことがない人に届けたい」という考えが根本にあるんです。バラエティ番組に積極的に出ていこうと決めたのもそうした発想からですし、実際、そこで知ってくださる方がものすごく多いんですよ。バラエティ番組や旅番組で私を見かけて、「演歌の人って普段はどんな曲を歌っているんだろう?」ってYouTubeで検索して、「へえ、演歌って意外にカッコいいんだな」と感じてくれたら万々歳。演歌を気軽に感じていただきたいので。
──演歌界にとって、非常に意義のあることをされていると思います。7月にはワンマンで2DAYS公演が行われますね。
この前まで「演魅4」というタイトルの全国ツアーをやっていたんですけど、7月のコンサートはさらに誰でも楽しめる内容にしようと思っておりまして。旅番組やバラエティ番組で知った人がいきなり演歌のコンサートに来ても、置いてけぼりにならないような構成を心がけているんです。たとえ知らない曲が多かったとしても、目で見て楽しめる要素を増やすことで飽きないようにするとか。セリフを入れながら歌ったり、役を演じるパートを増やしたりして。
──演歌にはコンサートでないと伝わらない魅力がありますよね。衣装替えをたくさんしたり、有名曲を積極的にカバーしたり、観客を楽しませることを第一に考えている。
今やっているコンサートでもジャズやシャンソンを歌うし、80年代アイドル曲のカバーコーナーまであるんですよ。もちろん演歌がずっと好きだという人に満足してもらうのは大前提ですが、バラエティ番組や動画配信を観て「よくしゃべる人だなあ」と感じたくらいの方にアピールしていきたくて。
──演歌歌手としては、少し特殊な立ち位置かもしれませんね。
演歌の熱心なファンの方って、わりとファンクラブをかけ持ちするパターンが多いんです。ところが、私のファンの方はほかの演歌歌手をあまり知らない。テレビで私のことを知ったという女子高生の子は、カバーで演歌の名曲を歌っても「何これ?」という感じのリアクションを最初はするわけです。それが徐々に変わっていき、「最近、ちあきなおみが沁みるんです」とか言い出すようになるから面白くて。「ちあきなおみさんは酒場の歌が多いけど、女子高生はお酒を飲んだことがないよね?」って心の中でツッコんでますけど(笑)。
──それだけ魅力的なジャンルなのに、なぜ演歌というジャンルは食わず嫌いの人が多いのだと思いますか?
やっぱり先入観が強いんでしょうね。「演歌=お年寄りが聴く歌」みたいな固定観念があって。自分には関係ないものだというイメージなのかも。それは本当にもったいない話で、普通の女子高生にちあきなおみさんの曲が沁みるくらいだから、誰の心にも響く音楽だと思うんですよね。
幼心に響いた演歌のメッセージ性
──丘さん自身は、どんなきっかけで演歌の門を叩いたんでしょうか?
5歳のとき、おばあちゃんが鳥羽一郎さんのコンサートに連れていってくれたんです。私の世代的には演歌が流行っていたわけじゃないから、学校では相当な変わり者扱いをされましたけどね。ただ、うちの両親は私の変わり者具合を褒めてくれたんですよ。「他人と違うことをするなんて、めちゃカッコいいやん。みんなが赤いものを持っていたら、黄色いものを持つようにしなさい」という感じで。
──その教育方針が結果的によかったんでしょうね。今につながっているわけですから。周りの子がJ-POPに親しんでいる中、子供時代の丘さんは演歌の何が特別に感じたんですか?
おそらく歌詞の響きがよかったと思うんです。もちろん歌詞の内容はわかっていなかったんですけど、日本語の響きという部分は子供ながらに胸を打つものがありますよね。鳥羽一郎さんのコンサートに行く前、私が3歳とか4歳の頃だったと思うんですけど、島倉千代子さんの「人生いろいろ」をよく歌っていた時期があるんです。当時は別に「4年間も生きてきたら、男も女もいろんなことが起こるよね」なんて、歌詞に共感していたわけじゃないはずですけど(笑)。
──酸いも甘いも噛み分けた未就学児なんていませんよ(笑)。
でも日本語の素直な響きが子供心にズトンときたんだと思う。アップテンポじゃないから、歌詞が聞き取りやすいという面もありますし。そしてさらに大人になると、その歌詞の本当の意味が理解できて、二重の意味でおいしいんですよね。
18歳でアイドルデビューした理由とは?
──そのように幼少期から演歌に親しんでいた丘さんは、民謡コンクールで何度も優勝したそうですが、なぜ18歳のときにアイドルグループでデビューしたんですか?
2000年頃はまだオーディション情報をパソコンやスマホで検索する時代ではなくて、みんな雑誌で探していました。2ページにわたって大々的にオーディションの告知を載せているところがあって、それがホリプロ大阪。ホリプロという会社名は聞いたことがあったし、「石川さゆりさんも昔はホリプロにいらっしゃった」とママが教えてくれたので、ここに合格すれば自分も演歌歌手になれるんじゃないかと考えたんです。
──つまり最終的に演歌歌手を目指すため、その足がかりとしてアイドルになった?
そこは私も考えが甘かったんですけど、一度事務所に入ったら好きなことをなんでもできると思っていたんです。オーディションでは特技披露みたいなこともやって、そこで私は民謡を歌ったんですね。審査員の方たちも「おお……!」って感じでどよめいていたから、てっきり歌唱力を認められて合格したのかと思ったんですよ。でも、あとから聞いた話だと、5歳の頃から高校卒業まで1つのことをやり続けてきた根性を評価されたらしくて。だって、そもそもHOP CLUBというそのグループは歌わないんですから。
──どういうことですか?
アイドルとは言っても、音楽活動はしなかったんです。基本的にはバラエティ番組やラジオ番組に出たり、どこか別の場所からタレントとして中継したりするのが主な活動内容。例外的にイベントでモーニング娘。さんのカバーとかを歌うこともありましたけど、それも年に1回あるかどうかでした。
──民謡で培った能力が、まったく生かせない(笑)。
だけど、すぐ辞めるわけにもいかなかったんです。オーディションに合格した翌月から、くりぃむしちゅーさんの番組アシスタントを務めることになりましたし。それでとりあえず1回はがんばってみようかと思ったんですけど……。
──丘さんはトーク力も高いから、それはそれでハマリそうな気もしますけどね。
そうなんですよ。やってみたら、すごく楽しかったんです(笑)。関西のコテコテな番組なので、体を張るような過酷なロケも多かったんですけど、それも喜んでやっていましたから。だけど番組が終わる頃、ちょっと冷静に考えてみたんです。「あれ? 私、何がやりたかったんだっけ?」って。それで事務所を辞めて、音楽系の専門学校でイチから歌を勉強し直しました。
カセットを手売りした2000年代の記憶
──シングル「おけさ渡り鳥」で演歌歌手としてデビューしたのが2005年。21歳のときでした。
専門学校に通っているとき、先生に「カラオケ番組があるから出てみたら?」と勧められたんです。当時はaikoさんとかELT(Every Little Thing)とかが流行っている時代だったんですけど、せっかくテレビに出られるなら演歌がいいなと思い、私は中村美律子さんの「河内おとこ節」を歌いました。通っていた専門学校は普通のボーカル科で、練習していたのもポップスばかりだったので、先生も「えっ!?」とびっくり(笑)。ただ演歌事務所の人はいいじゃないかと思ってくれたらしくて、お声がけいただいたんです。
──憧れの演歌歌手としての再出発は、いかがでしたか?
戸惑いましたね。現代においても、こんな昔ながらのやり方が残っているのかという衝撃。ひたすら各地のスナックを回って、お釣りとかも自分で数えながらCDやカセットテープを手売りして……。
──カセットテープですか!
演歌の世界だと、カセットはつい最近まで当たり前の存在でしたから。それまで自分が思い描いていたのは、きれいな着物を着て、テレビのセットの中で歌う姿。だけど実際はスナックを5、6軒ハシゴして、楽屋もないからトイレの中とか廊下の端で着替えたりする毎日。当たり前なんですけど、デビューしたての頃なんてどこの誰かもわからないような状態だから、「丘みどりが歌いに来ますよ」なんて告知しても人が来てくれないわけですよ。なんとか無理矢理カッコつけて、常連のお客さん2人とママが1人、合計3人も集まりましたよ、みたいな世界。歌う場所もないから、カウンターの中でマイクを持ったりしていましたし。
──まさにドサ回りという。
本当にそうなんですよ。キラキラした世界に憧れていたのに、ここまで現実は厳しいのかと打ちのめされました。
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丘みどりが見た演歌界の現実