ナタリー PowerPush - 岡平健治
弾き語り自走ツアーV2達成 命がけの音楽半生を語る
岡平健治は約10年前、当時カリスマ的な人気を誇ったフォークデュオ19(ジューク)を解散し、ロックバンド3B LAB.☆(現 3B LAB.☆S)を結成。その後、ソロ名義での活動をスタートさせ、自ら運転するクルマで全国を回る弾き語り自走ツアーを2度敢行。先日その第2弾ツアーを無事終了させた彼に、今回ナタリーでは自身の音楽半生を振り返るインタビューを試みた。
9月23日にリリースされる最新アルバム「純粋」に収録された楽曲を含め、彼が今、伝えたいと思っているメッセージとは何か? 岡平独特の、ソリッドで少々刺激的な言葉に込められた真意を、ぜひ感じ取ってもらいたい。
取材・文/川倉由起子
自走ツアーは命をかけて回ってる
──弾き語り自走ツアー第2弾、お疲れ様でした。まずは率直な感想を。
単純に……V2達成!(笑) 感無量っていう部分もあるんですけど、僕の中ではこのツアー自体がエンタテインメントのひとつなんで。苦労して回ってるって思われるかもしれませんが、本当に楽しんでやってるんです。
──おそらく誰もやったことのないエンタテインメント、ですよね?
はい、多分僕みたいな規模では。言っちゃえば命かけてるんで。ライブが終わって夜11時に会場を出て、そこから夜走りが300キロ。で、お昼から次の会場の仕込みっていうのもしょっちゅうだったし。でもね、やっぱり親に感謝しながらやってた部分は大きいです。こんな精神力と頑丈な体をもらって、それを活かせる音楽活動って何かないかな? って思い付いたのがこのエンタテインメントだったんですね。
──もともと自走ツアーを発案したきっかけは?
はっきり言っちゃえば、3B LAB.☆S活動休止の影響が大きいですね。バンドって本当に難しいなと思ったんですけど、初期メンバーだったドラムがメンタル的に弱くて、それで活動が止まっちゃったときに、僕は止まるのが嫌だから何かやりたいなってことで弾き語りスタイルでやろうと思ったんです。これってある意味自分に足かせをはめて回る修行ですよね。あと今回、マネジャーも体調を崩して途中でリタイヤしちゃったんで、そこからは完全1人で。荷物を運ぶのもセッティングも舞台監督もケータリングも、1人5役くらいやりました。
──道中は孤独感とかなかったですか?
確かに感じましたけど、僕には大きな目的があったから耐えられました。各地で待ってくれているファンに歌を伝えるというのが目的の旅なので、辛くてもどこまででも行けるんです。例えば、今から博多に単純に遊びに行きましょうって言ったら絶対無理です(笑)。
今ごろ19(ジューク)でドームツアーとかやってたかもしれない
──ツアーを終えて改めて感じたことは?
それが……走っても走っても答えがないんですよね。でも、もっと世の中に伝わってほしいっていう歯がゆさもあるし、いろんな想いをこめて回ってるのは確かなんですけど。
──岡平さんのそういうストイックな姿勢って昔から変わらないなと思っていて。ここからは少し昔を振り返りたいんですけど、まずは約10年前、19(ジューク)であれだけの成功を収めたわけじゃないですか。
いやいや。でもその成功をブチ壊したのも自分たちですから。今ごろまだやってたら、ドームツアーとか、もっと楽なツアーやってたかもしれない。けどね、これも運命なんですよ。
──今一度、19を解散した理由をお伺いしたいです。
今でこそ感謝していますが、当時は事務所が嫌で(笑)。でもね、何ていうんだろう、当時の僕たちの心のケアをしてくれる人がいなかったんですよ。どんどん売れていく一方、心が空虚になっていく。当時19~20歳前後で、右も左もわかんない状態だったし、それで相方(岩瀬敬吾)も曲が作れなくなっちゃって。これじゃあ存続は厳しいなって思って、精神的なもので解散したのが大きいんです。決して音楽性の違いではなく。2人とも心のよりどころがなくて、心に余裕がなくなると2人しかいないから、どうしてもぶつかっちゃうんですよね。
──それで一旦リセットした、と。
はい。それと純粋に音楽を楽しみたかったんでしょうね。どうしてもビジネスとして音楽を考えられなかったというか。
──でも振り返ると、あの時代があるから今がある?
もちろんです。あの時代の曲はやっぱり好きだしパワーがあると思う。
「バンドの10年は夫婦の一生より難しい」って
──で、そこから19と並行して3B LAB.☆がスタートしました。
また素人ばっかり集めたバンドをね。ソロでやるとか、成功できる道はちゃんとわかってるんですけど、当時は素人集めてやんなきゃパンクになんねえ! みたいな感じで勢いづいてて(笑)。19と並行してた時期は、例えば福岡で2000人の前でライブをした夜に飛行機で帰って、0時から3B LAB.☆で小っちゃいスタジオに入ったり。「さっき俺、2000人の前で歌ったんだけどなー」なんて思いながら3人だけの部屋でMCして笑ったり、バカなことばっかりしてました(笑)。
──当時、3B LAB.☆を始めたときのファンの反応ってどうでした?
19はフォークロックでやっぱりメジャー感のあるサウンド、その点、3B LAB.☆はロックで全然違うから、19のファンには抵抗を持った人も多かったと思います。ちょろっとしか付いてきてくれなくって、3B LAB.☆はほぼNEWファンでしたからね(笑)。
──それはちょっとビックリですね。
本当に。だから元相方と2人で、「(19って)すごいブランドやったんやな」って(笑)。
──でもそのブランドをなくしてまで走り始めたバンド、3B LAB.☆S(3B LAB.☆から改名)が現在休止状態になっている要因は何だと思います?
成長の度合いって人それぞれ違うでしょ? でも、バンドって全員で上手くなっていかないとダメなんですよ。でも、それぞれに上達のペースがあるから、どうしても上手いヤツが満足いかなくなっていくんです。結構前に松任谷正隆さんがテレビで言ってたんですけど、「バンドの10年は夫婦の一生より難しい」って。まさにそのとおりだ! と思いますね(苦笑)。
CD収録曲
- 音松楽蔵
- ELEGY OF GRADUATION
- 夏の夜空に輝く星を君と見たいから
- 夢・風・水
- 満秋
- 恋島
- 凩
- オンボロの君と僕
- 童心
- 僕之故郷
- 人間交差点
- 大阪ライフ
- LEGEND OF PUNKFOLKER
- 縁側
初回盤DVD収録内容
- 「夏の夜空に輝く星を君と見たいから」ビデオ・クリップ (story ver.)
- 「夏の夜空に輝く星を君と見たいから」ビデオ・クリップ (KENJI ver.)
- アルバム・イメージ・フォト・スライドショー
- 「夏の夜空に輝く星を君と見たいから」メイキング映像
岡平健治(おかひらけんじ)
1979年長崎生まれ、広島育ちのシンガーソングライター。上京後の1998年に岩瀬敬吾と少年フレンドを結成。その後イラストレーターの326と出会い、19(ジューク)として活動をスタートさせる。同年にシングル「あの青をこえて」でメジャーデビュー。翌1999年にシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」でブレイクを果たし、2002年に解散するまで10代を中心に幅広い支持を得る。2001年に結成したロックバンド3B LAB.☆S(結成時は3B LAB.☆)と並行して、2007年からはソロアーティストとしての活動を本格化。2008年にはソロデビューシングル「告白」をリリースし、以降、自身で車を運転し日本全国を走破するという前人未到の「弾語り自走ツアー」を2度にわたって成功させている。2009年9月、2ndソロアルバム「純粋」をリリース。